一般受けする映画


マーキュリー・ライジング(1998年/監督:ハロルド・ベッカー)

NASの暗号システムを解読した自閉症の子どもと、囮捜査で少年を殺してしまったことが精神的負担になっているFBI捜査官が、逃避行を続けながら、事件の真相を明かにしていくサスペンス・アクション。

ハロルド・ベッカーという監督は、私は知らないのですが、なかなかきめの細かい演出をみせています。ひとつでもズサンなシーンがあると、この手のサスペンス映画はいっぺんにシラケますからね。子どもが殺し屋から逃れるシーンも不自然でなくて良いです。

ブルース・ウィルスは子役にくわれながらも、存在感のある演技をしていましたよ。

 

アルマゲドン(1998年/監督:マイケル・ベイ)

NASAと交信中のスパースシャトルが突然爆発し、無数の隕石がニューヨークに降りそそいだ。異変はそれだけではなかった。テキサス州と同じ大きさの小惑星が地球に向かっているのだ。衝突回避のためには、小惑星の地中で核爆発を起こし、軌道を変えるしかない。惑星上での採掘作業に、石油採掘のプロが選ばれるが……

でもって、この連中が、欠陥人間なんです。マトモそうなリーダーのブルース・ウィルスだって、自分の娘に手を出したベン・アフレックにメチャクチャ銃をブッ放すんだから、少しオカシイのです。宇宙へ旅立つ彼らの精神鑑定をする医者役のウド・キアーもマトモな役だけど、やっぱり、どこかヘンでした。

映画そのものは、荒唐無稽さを、SFXと出演者のキャラクターで強引に納得させるような感じですね。気力がダウンしている時は、ビールを飲みながら、頭を使う必要のない、こんな映画を観よう。

 

マトリックス三部作(監督:アンディ&ラリー・ウォシャウスキー)

CGによる映像表現が斬新なSFアクション。その面では映画史に残る作品といえるかもしれません。

 

『マトリックス』(1999年)

コンピューター・ハッカーのネオ(キアヌ・リーブス)は、トリニティ(キャリー・アン・モス)とモーフィアス(ローレンス・フィイシュバーン)に出会い、自分がコンピューター支配を破壊する救世主であることを告げられる。彼らは仮想社会のマトリックスで戦いを開始するが、エージェント・スミスが現れ……

劇場公開時のテレビCMがカッコよかったので期待したけどハズレでした。よくできたCGですが、格闘アクションは本物の肉体がぶつかりあうものでないとね。キアヌ・リーブスには気の毒だけど。

映像表現には見るべきところは多々ありますが、物語が抽象すぎてよくわかりませ〜ん。続編が製作されるので、それでわかるのかなァ。

 

『マトリックス・リローデッド』(2003年)

元コンピューター・ハッカーのネオは、人類最後の都市を救うために、モーフィアス、トリニティと仮想社会のマトリックスへ乗り込む。マトリックスの全ての入り口にアクセスできるキー・メーカーを探し出し、ソースと対決するためだったが、彼らの前にパワー・アップしたエージェント・スミスが現れ……

完結篇への繋ぎということもあるのでしょうが、よくわかりませ〜ん。

 

『マトリックス・レボリューションズ』(2003年)

前作でネオは、マトリックスに取り残され、現実世界では眠っていた。預言者からネオの居所をきいたモーフィアスとトリニティは、ネオの救出に向かう。その頃、人類最後の都市ザイオンは、コンピューター・マシン軍の攻撃にさらされていた……

結局、よくわかりませ〜ん。観客が勝手に解釈して楽しめばいいんですね。

コンピューターに支配されていると気づいた人類が、その支配から逃れるために仮想社会のマトリックスに乗り込んでゲリラ活動するのが第一部。コンピューター側も人類の反乱に手を焼くが、内部にも制御できないシステム(エージェント・スミス)が生まれ増殖するというトラブルが発生している。そこでネオというシステムを作り、人類との融合を図りトラブル処理をさせる。概要は、そういったところじゃないでしょうか。

それにしても、ザイオン防衛隊長のミフネには笑えたなァ。敏郎さんソックリなんですから。ところで、モニカ・ベルッチは何のために出演したの。如何でもいい役ではありませんか。

革命的映像表現も繰り返されると褪せてきますが、とにかく話題の映画でした。

 

ラストサムライ(2003年/監督:エドワード・ズウィック)

明治政府の軍事近代化のために日本にやってきた南北戦争の英雄(トム・クルーズ)が、近代化に逆行する武士集団と戦って捕虜となり、武士の頭領(渡辺謙)と接するうちに武士道の精神に触れ、彼らに共鳴してサムライになる物語。

渡辺謙、真田広之、福本清三はカッコよく撮れていましたが、内容的には問題がありますねェ。自分たちが理解できる範囲で、大作映画に仕上げるハリウッド流エンターテイメントにすぎません。

表面的にはトム・クルーズの行動は武士道に魅せられたようになっていますが、インディアン虐殺のトラウマが、滅び行く集団である渡辺謙が率いる武士一族と重なりあっているだけですね。結局ハリウッドにとって、精神文化面においてサムライもインディアンも同じなんですよ。ラストで渡辺謙が政府軍に戦いを挑むのは、“今日は死ぬには良い日だ”じゃないですか。

武士集団の村にでかい寺があるのですが、禅と武士道は密接につながっているので、禅を学ぶ寺がないのはおかしいと彼らは考えるんです。だから、日本人にとっておかしいようなシーンでも、彼らにとっては当然なことなんですね。

歴史的にみて、日本にとって近代化は決して悪いことじゃないですよ。アメリカは、太平洋戦争は軍事を中心とする日本の近代化が原因と考えているのかもしれませんがね。

それにしても、トム・クルーズは鎧姿が意外と似合っていました。足が短いのかなァ。

 

 

 

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