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東京国立近代美術館フィルムセンターで開催されている“発掘された映画たち2003”に行ってきました。 今回の目玉は、昨年秋に発見され、デジタル復元された『斬人斬馬剣』で〜す。 『忠治旅日記』と並ぶ伊藤大輔の無声映画時代の代表作と云われながら、これまでフィルムが現存しない幻の名作だったんですよ。今回発見されたのは家庭用のダイジェスト版で、オリジナル版の2割強(26分)しかありませんが、躍動感あふれる群集シーンや、乱闘シーンの見事さは、名作の名に恥じません。 また、この作品は、傾向映画の先駆的作品としても有名です。 代官に雇われた浪人たちが、百姓一揆に味方する浪人(月形龍之介)を斬りにいって逆にねじ伏せられ、月形の味方になるのですが、その時のセリフ。 「何故、俺を斬りにきた?」 「飯を食うためだ!」 「その飯は、誰が作っている?」 う〜ん、まさにプロレタリア解放だ。 でもって、併映の『御誂治郎吉格子』と、夜の回の『海援隊快挙』、『国定忠治・信州子守唄』も観ました。 |
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『御誂治郎吉格子』は、以前テレビで観た時は不覚にも寝てしまったのですが、今回も途中でウトウトしてしまいました。音声がなく(弁士なし)、字幕だけの無声映画は、ハッとするような映像がないと、どうしても退屈してしまうんですよ。伏見姉妹(直江、信子)や、“あーのね、オッサン”で有名になる前の、メーキャップなしの高瀬実乗の演技だけではねェ。 それに無声映画の字幕も慣れていないと読みづらいんですよ。 『海援隊快挙』は、ロシア・ゴスフィルモフォンドで発見された作品。 月形龍之介の坂本龍馬が実に良いです。人なつっこい笑顔から、一転して眼光するどい気迫あふれる顔へ。巧いんだなァ、これが。寺田屋を襲撃してきた幕府の侍を相手にした立ち回りも惚れぼれします。 ラストは、とってつけたような国策シーン。製作当時(1933年)の時代を反映していますね。 『国定忠治・信州子守唄』もロシア・ゴスフィルモフォンドで発見された作品。わずか19分しか現存しておらず、作品のでき云々は? ただ、この作品はマキノ・トーキー旗揚げの祝いに伊藤大輔がマキノ正博へ贈った『忠治旅日記・信州血笑編』の脚本をそのままトーキーにしたもので、それなりにレベルの高いものと推測されます。 今回、部分的ですが、戦前の月形龍之介の作品を3本観て、月形龍之介の魅力を肌で感じましたよ。 |
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(2003年5月) |
京橋の東京フィルムセンターで『雲助出世街道』と『海を渡る祭禮』を観ました。幻の傑作として名高い『海を渡る祭禮』は、部分ではあるけどフィルムが見つかり、この機会を逃すと、いつ観ることができるかわかりませんからね。 『雲助出世街道』(1938年・大都/監督:大伴龍三) 全6巻のうち、冒頭の2巻が欠落している不完全版だが、内容は充分に把握できました。 貧乏駕篭かきの権十と太助が、ひょんなことから由比正雪の残党を捕らえ、代官所の役人(それも与力)に出世する。しかし、役人をクビにされた男が逆恨みして残党を牢から逃がし、太助の母親を殺す。権十と太助は母の仇を討つが、母が殺されたのは自分たちが役人に出世したからだと悟り、元の駕篭かきに戻るという物語。 1938年といえばトーキー時代に入っていますが、これはサイレントです。資料によると、大都はB級チャンバラ映画会社のようで、この作品もストーリーはたいしたことはないのですが、チャンバラの動きはいいですよ。 太助役の大乗寺八郎は立回りが巧く、近衛十四郎との共演(当時、近衛も大都のスター)では火花の散るようなぶつかりあいだったとか。この作品では今イチですけどね。 『海を渡る祭禮』(1941年・日活/監督:稲垣浩) |
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わずか24分しかフィルムは現存していませんが、それだけでも傑作とわかります。 遠くから近づいてくる馬の群れや、浜辺の神輿の躍動感、風を視覚化した屋根瓦の上で回る風力計など、映像が語りかけてくるんですよ。稲垣浩の作品は当り外れがありますが、これは大当りです。 祭礼を稼ぎとするた芸人たちが滞在する港町の宿に、“馬芸”の無法者たちがやってきます。彼らに立ち向かうのが、居合斬りの名人の戸上城太郎です。(右:画像) 戸上城太郎は、主役をはるにはエロキューションに難があって、戦後は傍役にあまんじていますが、立回りは巧いですねェ。 |
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(2003年7月) |