時代は源平


『源義経(総集編)』(1956年東映/監督:萩原遼)

牛若丸が京都から奥州へ行き、兄・頼朝の挙兵に応じて、富士川で対面するまでの物語。正・続を編集した短縮版のため、筋を追うだけで物語に深みがありません。

特に続編部分が大幅にカットされたようです。千原しのぶが登場しなかったよォ。

それでも、私のお気に入りのスチール(左の画像)にあるシーンが出てきたので、満足、満足。やっとの思いで奥州にたどりついた義経(中村錦之助)は、藤原秀衡に歓待されるが、疲れから居眠りをしてしまう。すっかり寝込んでしまった義経を、宿舎まで弁慶(月形龍之介)がオブって帰るんですよ。月形のトッつぁんと、錦之助が醸し出す雰囲気が抜群に良いんだなァ。

錦之助が最高に綺麗だった頃の作品で、錦之助の義経を超える役者は見当たりませんねェ。

 

『新・平家物語』(1955年・大映/監督:溝口健二)

藤原一族の貴族政権が崩壊しつつある頃、公家たちの蔑視を受けながらも、武士たちは次第に勢力をもたげつつあった。平家の頭領・忠盛(大矢市次郎)の子・清盛(市川雷蔵)は、自分が白川上皇の子であるかも知れないと苦悩しつつも、権力への野望を抱く。法力をかさに、横暴な振る舞いをする叡山の僧兵たちと、家来の喧嘩がもとで対決することになり……

初期の雷蔵映画は、雷蔵ファンだった母親に連れられてリアルタイムでかなり観ているのですが、後年テレビで観て、何となく思い出す程度で、多くの作品は殆ど憶えていません。

だけど、この作品だけは、はっきり憶えているんですよ。それには理由がありまして、一つは平清盛が主人公だったこと。当時の私は、源氏が善で、平家は悪と単純に思っていたので意外だったんです。

もう一つは、カラー映像が素晴らしくキレイだったこと。まさに絵巻物を見ている感じで、その色彩表現に圧倒されました。

映画としての価値は、そこにあるのに、現存するフィルムは、かなり劣化しているのか、画面が暗いんですよ。色も黒ずんでいて、鮮やかさが全然ありませんでした。ガッカリ!

 

新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』(1956年・大映/監督:衣笠貞之助)

倶利伽羅峠で平家を破った木曽義仲(長谷川一夫)は都へ攻め上るが、期待していた恩賞がもらえず、不満の日々を過ごす。義仲の兵たちが掠奪を行ない、鎌倉から義仲討伐の軍勢が迫ってくるが……

義仲の悲劇が全然伝わってきません。三人の女(京マチ子、山本富士子、高峰秀子)との恋模様も、単に色好みにしか見えず、共感できないんですよ。

それと、『地獄門』で見せた素晴らしい色彩映像の衣笠作品にもかかわらず、この映画も画面が暗く、黒ずんでいましたね。次ぎの『新・平家物語 静と義経』もそうですが、フィルムの劣化が作品の価値を落としています。

 

新・平家物語 静と義経』(1956年・大映/監督:島耕二)

義仲を討って上洛した義経(菅原謙二)は、幼馴染の静(淡島千景)と再会し、二人は愛し合うが、頼朝の命で百合野(香川京子)が嫁いでくる。義経は平家を滅ぼすが、法皇より勝手に官位を受けたことで頼朝の怒りにふれ、都を追われる。

当時、“講道館モノ”で人気のあった菅原謙二が主演。だけど、菅原謙二の演技はド下手。セリフは棒読みだし、メロドラマの悲劇の主人公としての感情表現もできていません。柔道映画なら、それも朴訥さにつながってプラスとなるんですがね。

映画衰退後、活躍の場を新派の舞台に移しますが、年季が演技を熟成させたのでしょうか。

淡島千景も今イチ魅力ないし、静御前のイメージじゃないんですよ。凡作。

 

『武蔵坊弁慶』(1942年・東宝/監督:渡辺邦男)

太刀千本を得て王城安堵を祈願するため、武蔵坊弁慶(岡譲二)は都大路で毎夜刀狩りを行っていた。ある夜、清盛の館を逃げてきた白拍子の小式部(山田五十鈴)を助ける。小式部を匿っているうちに二人は心惹かれはじめるが……

“征かぬ身は、いくぞ援護へまっしぐら”と戦意高揚のスローガンが最初の画面に出るところは、公開当時の雰囲気を伝えています。弁慶が太刀千本集めるのも皇国史観になっていますね。

内容は弁慶と小式部のプラトニック・ラブなんですが、それを全面に出せないので、とってつけたような皇国史観でラストを誤魔化している感じです。

それにしても、牛若丸の高峰秀子が可愛かったよォ。山田五十鈴も美麗だったのだ。

 

 

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