ワイルド・レンジ 最後の銃撃

(OPEN RANGE)


(スタッフ)

監 督:ケビン・コスナー

脚 本:クレイグ・ストーパー

原 作:ローレン・ペイン(The Open Range Men)

撮 影:ジェームス・ミューロー

音 楽:マイケル・ケイメン

 

(キャスト)

ボス・スピアマン(ロバート・デュバル)

チャーリー・ウエイト(ケビン・コスナー)

スー・バーロー(アネット・ベニング)

デントン・バクスター(マイケル・ガンボン)

バトン(ディエゴ・ルナ)

モーズ(アブラハム・ベンルビ)

パーシー(マイケル・ジェッター)

プール保安官(ジェームズ・ルッソ)

 

(2004年7月20日 銀座シネパトス1)

 

(物 語)

 

 ボス・スピアマン、チャーリー、モーズ、バトンの四人は、“オープン・レンジ”で牛を追いながら旅を続ける“フリー・グレイザー”と呼ばれる遊牧カウボーイだった。

 食料買出しに行った料理人のモーズが帰ってこないので、ボスとチャーリーがハーモン郡の町に訪れると、モーズはケガを負って留置所にブチ込まれていた。雑貨屋で暴れたのが留置理由だが、その町は牧場主のバクスターが支配しており、“フリー・グレイザー”に対するバクスターの手下の嫌がらせが原因だった。

 釈放を求めるボスに対して、バクスターはすぐに町から出て行くことを条件として釈放するが、腹の中ではボスたちへの仕返しを考えていた。

 キャンプ地に戻ると、4人の白覆面が見張っていた。ボスとチャーリーは、森の中で4人を痛めつけ、バクスター一味だとわかるが、二人が留守の間に他のバクスター一味がキャンプ地を襲い、モーズは殺され、バトンは重傷を負う。バトンの治療のため、町へ引返した二人はバーロー医師の姉・スーにバトンを預ける。

 バクスターと対決することを決意した二人は、互いに本名を名乗りあい、最後の決闘に向かう……

 

バクスター役の

マイケル・ガンボン

(感 想)

 

 善対悪の対決という、昔ながらの西部劇ですが、含むところは色々ありますね。

 この物語の背景となる1882年においては、主人公たちは“オープン・レンジ=公共の放牧地”で牛を育てる古いタイプのカウボーイで、それに対するバクスターは“クローズド・レンジ=個人所有の放牧地”を営む新しいタイプのカウボーイといえます。善対悪の対決である同時に旧対新の対決なんですね。

 ラスト20分のリアルなガンファイトは、最近のアクション映画の見られる絵空事の銃撃戦へのコスナー監督の対決のような気がします。全米で5週連続トップ10入りした事実は、CG全盛のドライなアクション映画に、古いタイプのロマンあふれるアクション映画の西部劇が勝利したといえるかもしれません。

 これまで西部劇は、アメリカ国民の政治に対する感情を敏感に感じ取って制作されてきました。「西部劇を観れば、アメリカが解る」というのが、私の持論ですが、この作品においても、それを感じます。

 バクスターの主人公たちに対する態度は、ブッシュのイラク政策に類似しています。バクスターは大牧場主ですが、当時の実在した殆どの大牧場主は家畜を自分の保有地だけでなく、公共の放牧地でも育てていました。そして、家畜泥棒から群れを守るためにガンマンを雇っていました。彼らは“フリー・グレイザー”を発見すると、猛攻撃を加えて殺したり、追っ払ったりしていたんですよ。“フリー・グレイザー”の中には、家畜泥棒がいたのも事実ですが、主人公たちのような真面目なカウボーイも多くいました。ブッシュが証拠もないのに、大量破壊兵器があると言って、イラクを占拠した行為と似ているでしょう。イラク戦争への批判が含まれていると思うのは穿ちすぎでしょうか。

 ところで、邦題の『ワイルド・レンジ』ですが、意味のない横文字題名ですね。原題の『オープン・レンジ』だと、“オープン・レンジ”が“自由”の象徴として使われているので、ボスの演説や、バクスターの権力の前に自分の意思をころして生活していた町の住民が起ち上がるラストが活きてくるわけです。

 西部劇らしい空間的拡がりのある映像、オーソドックスな物語展開、2時間20分は少し長い(2時間弱に収まれば、間延びしたところがスッキリするのだが)ですが、十二分に満足できる西部劇でしたよ。

 

 

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