阪神淡路大震災で実家が全壊

平成7年1月17日、阪神淡路大震災が起こりました。 京都にいた私は大きな揺れで、すぐテレビを付けました。NHKでは 神戸放送局の揺れた瞬間のVTRが放映、そのうち各局の中継が出始めました。 家に電話すると、コールはするのですが誰も出ません。「それはおかしい、帰った方がいい」 という上司の言葉で夕方、バイクで神戸に向かいました。日が暮れてきました。 高架が落ちる、信号が消えているorない、街灯も消えている、明かりは車だけ、 車道には段差がある、路肩はクレパスになっている、などで、 迂回&大渋滞&歩道走行で5時間もかかりました。いつもの交差点は信号や電柱、 電線が倒れて絡まっており曲がれない。 避難所に避難していた両親と出会えたのは夜の11時。真っ暗。懐中電灯のみが頼り。 ただ周囲は、所々火災が起こっているのが見えました。持ってきた差し入れの品々を渡して、 翌早朝、ガスタンクからのガス漏れのため再度避難勧告が出たので、京都へ戻りました。 1週間後、鉄道が一部開通し、両親が京都に避難してきました。 全壊した実家の写真 (Photo by 勝見 武 氏 −私の妹の夫−京都大学防災研究所) をすこし紹介します。

写真1 台所の食器棚が見えています。私の母はこの奥のもう一つ奥の部屋に寝ていました。タンスが倒れ、 壁土が降ってくるのがわかったそうですが、どうしようもなかったと言っていました。 幸いに体への直撃は免れ、このすきまから這い出てきました。
私の妹は、出産のため帰っていて母の部屋のさらに奥の部屋にいました。床を壊して2階から助け出されました。
写真2 私の父は、この畳の部屋に寝ていました。寝ていたときの布団が見えます。 運良く北側に家がつぶれ、下敷きになるのを逃れました。
写真3 近所でもかなり死者が出ました。ほとんどは一階に居た人です。 写っているアパートの一階に住んでいた方も亡くなられました。

おかげさまで、平成8年3月末に実家再建しました。

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