ひとりごと(1999年12月分)

 

◆小さな小包

 昨日、私の手もとに小さな郵便小包が届きました。どうも心当たりが無かったので「はて、なんだろう?」と思いながら、包装を解きました。郵便小包の主は、製菓会社のR社。先日、私が菓子包みの不良品をこのR社に郵送で返品し、それに対するメーカーからの返信だったのです。

 私が返品したという不良品の菓子包みは、次のような物でした。正常品ならば、小袋1つにキャンディーが1つ入っています。ところがその中の1つに、2つの小袋がつながったまま、小袋と小袋の真ん中でキャンディーの一つが機械切断されかけて、中身が飛び出していたものがあったのです。

 それほど大して騒ぎ立てるような代物ではないかもしれません。しかしその小袋の中身を食べよう、という気がしませんでした。また不良品をメーカーに返品すると、どのような返答が返ってくるか、という好奇心もありました。
 そういった経緯で、郵送で不良品をメーカーに返品することにしました。同封した便箋には「不良品の発生原因の解明をお願いします」という文言も添えておきました。

 はたして数日後、メーカーからの返答がこの小さな小包だったのです。小包の中身は、キャンディー2袋。私が買い求めたキャンディーと、別の一品でした。さらに私が送った封書の送料と同額の切手、それとメーカーからの返信の便箋が同封されていました。

 便箋の文面によると、通常は手作業で取り除かれるはずの不良品が、作業ミスで取りきれなかった、との回答がありました。私はその返答に充分満足しました。

 この気ぜわしい年の瀬。メーカーであるR社の対応に私は誠意を感じ、この「ひとりごと」で紹介することにしました。

 それでは来年もまた「かっきいのweb page」をよろしくおねがいします。

[1999.12.31 by かっきい]

 


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◆東北道の駅スタンプラリー「完走証明書」

完走証明書

 つい先日のこと、東北道の駅連絡会から大きな封筒が届きました。封を開けると、右の写真にあるようなスタンプラリー完走証明書が同封されていたのです。

 これは東北道の駅68ヶ所を全て回ったという証明書です。東北地方にある道の駅を、今年の5月から7月の3ヶ月間にかけて、めぐりめぐった証しになるものです。普通の人が見ると、単なるA4サイズの印刷物に過ぎないのかもしれませんが。

 思い返せば、ゴールデンウイーク中の5月上旬が、東北道の駅めぐりの第1回目でした。会社の上司から申し渡されていた自宅待機を無視する形で、福島県〜山形県を28時間かけて回ったのです。自宅から山形県中北部の戸沢村まで、往復約1200kmを全て一般道を使用。このような一般道を連続走行したドライブは、もう2度とできないかもしれません。

 2度目は5月下旬、今度は山形県〜秋田県を回ったのです。国道17号線を新潟に向けて北上、そこから日本海沿いに走るルートでした。
 道中、数度の仮眠をしたのだけれども、眠気はちっとも取れなかった。思えば随分と疲労が、重なっていたのでしょう。帰り道の東北道上河内SAで、たまらず真夜中に仮眠をとったところ、気がつくとすっかり夜が明けてしまっていたのです。図らずも、車中泊ドライブなってしまいました。
 それからしばらく間、体調を崩してしまっていたのです。翌週、東京青海のMEGA WEBに行ったところ、立ちくらみがしてしまい、同行していた人達に迷惑をかけてしまいました。今になって考えると、もう無謀としか言いようがないドライブでした。

 3度目は6月上旬、岩手県〜宮城県のルートを走行。前回に懲りて高速道路を多用して、今までに比べて負担が軽いドライブを計画しました。反面、ずいぶんと高速道路の通行料がかさんでしまったのが少し悲しかったのですが。24時間で約1400kmもの距離を走り、一日で走った距離としては自己最高となりました。
 この3度目の道の駅めぐりの時点で、スタンプの押印は30ヶ所をクリア。この時、全ての道の駅を回れるんじゃないか、と本気で思い始めたのです。

 4度目は6月下旬、宮城県〜山形県〜福島県。この時は、全ての道の駅クリアのため、各地に点在していた取りこぼしの道の駅を拾うためのドライブでした。しかし、いかんせん当初の計画がまずかったため、思うように道の駅を回ることができませんでした。結局、福島県の2つの道の駅「川俣」「つちゆ」は取りこぼし、最終回に委ねられたのです。

 5度目はた び 物 語で紹介した通り。7月中旬に岩手県〜青森県〜秋田県を3泊4日で回る、壮大な道の駅めぐりとなりました。途中、雄大な眺めの十和田湖や、本州最北端の大間崎などを回ったのも想い出の一つ。
 また計画はことごとく変更を余儀なくされ、ずいぶん苦労したのですが、終わってみると計画していた道の駅全てを回ることができて、ほっとしたものです。

 6度目は福島県の「川俣」「つちゆ」を回りました。そして最後の「つちゆ」で、道の駅の係員の人にスタンプ帳を手渡し、無事完走を果たしたのでした。「つちゆ」を後にするとき、「やっと終わったなあ」という安堵感と、「もう終わってしまったのか」という何となく寂しい気持ちが交錯していました。「道の駅を全て回ったんだ」という達成感は、その時は不思議と起こらなかったのです。

 こうして年の瀬に、当時の行動を思い起こすのも何だか懐かしい。今年の自分の10大ニュースを作るとしたら、確実にベスト3位以内には入る出来事でしょうね。
 さて来年はどんなドライブをしようか。年相応に、もう少しのんびりと観光地めぐりなどをしてみようかと思っているところです。

[1999.12.25 by かっきい]

 


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◆年賀状書き

 今年も年賀状を書く時節がやってきました。この時期はどんな年賀状を書こうかと、考えをめぐらす人は多いでしょう。なかにはそれが、ユウウツに思う人もいると思います。手書きで趣向を凝らす人。プリントゴッコやパソコンのプリンターのように手作り印刷をする人。あるいはプロの印刷屋さんに任せる人。それぞれの方法で製作する人がいることとおもいます。

 私の場合は、ここ数年プリントゴッコを使用して手作り印刷をしてきました。このプリントゴッコ、簡単な印刷を売りにしてはいますが、いざ使ってみると細かい部分のタッチが荒く感じられ、また印刷ムラも少々気になります。どうも私の不器用さが表に出るようで、どうも具合が悪い。

 そこで今年はプリンターを買って、パソコンで印刷しようと検討しました。実は貰いもののカラープリンターが一台手元にあるのですが、昨今主流のフルカラー印刷にはドットが荒く、実力不足です。その手持ちのプリンターは、もっぱら文字印刷に使っているだけです。

 そういうわけで、最新のプリンターを買い求めようとしました。
 でもちょっと待てよ。カラープリンターを買ったとして、どれだけ絵柄を印刷する機会があるのだろうか?年賀状を書くときの、一年に一回だけかもしれない。また私の狭い部屋に保管するには、手狭に過ぎます。
 一年に一回使うためだけに、プリンターを新調するのはいかにももったいないと思い、結局は新しいプリンターを買い求めるのは見送りました。

 残る手段は、今まで通りプリントゴッコを使うことです。いろいろ考えた挙句、結局いつも通りになってしまったけど、仕方ないか。なんだかんだ言っても、よく使いなれたツールだし。

 ただし例年は2版刷りで印刷していたものを、今回は1版刷りに省略してしまいました。2版刷りの場合は、2回印刷することで色の濃淡を楽しむことができます。しかし、いかんせん2回印刷するときの合わせが難しく、いつも2版目の合わせで躓いていました。

 1版刷りは、どちらかというと平板な仕上がりで、面白みがない印象があります。しかしそこは工夫のしどころ。類似色の多色刷りで、割りと面白い仕上がりが期待できます。
 またごく当たり前のことですが、2版の時は1版目が終わると、印刷が乾くのを待っていなければいけません。それが1版だと1回で印刷が済んでしまうので、忙しい身にはとてもありがたい。なぜ今までこんなことに気付かなかったんだろうか?

 とはいえ、1版刷りで手抜きだと思われるのは不本意。今回のために類似色のインクを買い込んで、1版の中に7色もの色を使いました。どんな作品が出来上がったかは、私からの年賀状が届いた人だけのお楽しみ。そうではない方は、失礼いたしました。

[1999.12.19 by かっきい]

 


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◆flame(論争)

 「flame」という単語は、元来「炎(ほのお)」という意味です。それが転じて、インターネットやパソコン通信の掲示板などで、しばしば起こる論争を意味する言葉として使われます。

 それではインターネットやパソコン通信の掲示板などで、しばしば繰り広げられる論争とは、どのような人達が行うのでしょうか。
 一般的には、喧嘩っ早い人や気の短い人が論争の中心人物になることが多いでしょう。また論争に加わっていく人は野次馬根性が旺盛な人が多いようです。これは統計をとったわけではないのですが、大体そういったものでしょう。
 いずれにしろ、控えめな人、普段から自己主張をあまり行わない人などは、flameとは無縁の人達だと思うものです。

 ところが先日目撃したflameは、インターネットのとある掲示板で行われた中傷合戦でした。そしてその中心人物が、そのような論争とは無縁に思える2人だったのです。
 その2人は、20代と30代の女性同士でした。どちらの方も、直接会って話をしたことがある方達です。その時の印象は、どちらも人あたりがよく控えめで、いつもニコニコしている・・・そう、一般に大人しい女性と呼ばれている人達だったのです。
 この2人は、お互い何らかの遺恨があったようです。しかし、もともと掲示板でいがみ合うような人達ではないはずです。それはつまり、普段どんなに優しく振舞っている人でも、心の内面に攻撃的な一面を持ち合わせている、ということなのかもしれません。

 その昔の学生時代、一般教養の心理学で、講師の先生が「人間の性格は一つだけではない」とおっしゃっていたのを覚えています。その講師の先生の言葉を元に、私なりに今回の2人が、flameが起こしたときの心理状態を分析を試みましょう。
 普段大人しい人は、攻撃的な性格が表に出ません。それがあるきっかけで、例えば人から中傷を受けて防衛する必要性を強く感じられたとき、攻撃的な性格が表側に出てしまった。それが普段おとなしい人だと、いかにも意外に感じる。それが今回の事件の真相ではないかと思うのです。

 それにしても攻撃的な性格が出るきっかけが、インターネットの掲示板というのも興味深いところです。文章のみのメディアとは、時に誤解されたり、誇張されて伝わることがあります。また掲示板に書きこみをしている時の心理は、孤独でナーバスな状態に陥りやすいことが多いのかもしれません。

 「口は禍(わざわい)の門」ということわざもあります。掲示板の書き込みは、文面には細心の注意を払って気をつけていたいものです。

[1999.12.16 by かっきい]

 


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◆「京都駅」

 先日、電車で京都へ行く機会がありました。友人に会うことが主目的だったのですが、その他にもいくつか観光地に立ち寄ったりもしました。
 その中でも特に印象的だったのは、世界遺産にも登録されている京都の寺社仏閣などではなく、一昨年に新装オープンした京都駅の駅ビルだったのです。

 地上11階、地下2階の階層。外観の側壁は黒いガラス張り。駅ビル中央部には鉄骨を組み合わせた高い吹き抜けの天井。そして高級ホテルを連想させるグレーが基調の内壁と床面。駅ビルの東西それぞれに京都伊勢丹百貨店とホテルグランビア京都が同居する、巨大な建物です。それは今までの地方都市の駅ビルのイメージを一新する、近未来的な建築物と言えそうです。

 この京都駅ビルはまた、京都の旧来の街並みを保存しようという“景観論争”に一石を投じ、景観破壊の槍玉に挙がっているという一面を持っています。確かに、京都古来の背が低く地味な色合いの建築物と比較するならば、駅ビルはまさしく一線を画する異端なつくりといえるでしょう。

 しかし京都を一つの都市という目で見るとどうでしょうか。一般に都市とは新しい価値の発信地という一面を持ちます。時代を超えた普遍の価値は必要だけれども、同時に目新しい価値観もまた必要でしょう。目新しい価値観が無ければ、都市としての魅力を失い、時代の流れに取り残されていくというものです。

 京都という都市が、「観光都市京都の『古い街並み』という商品」のみで安閑としているならば、いつまでも同じ価値を持ちつづける保証はない。伝統的な古い街並みにも何らかの目新しさが味付けとして必要である、というのが筆者の考え方なのです。

 京都駅ビルの一角に「シアター1200」というアミューズメントがありました。そこでは手塚治虫のアニメシアターとミニライブラリーの展示があったのです。どちらかというと子供向けでしたが、私のようなある程度の年齢層でも鑑賞に耐え、充分に楽しむことができました。アニメに少しでも興味がある方はどうぞ、おすすめです。

[1999.12.6 by かっきい]

 


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