ひとりごと(1999年10月分)

 

◆「買ってはいけない」論争!?

 9/21にこの「ひとりごと」でも紹介した、「買ってはいけない」(週間金曜日刊)が売れているそうだ。きっと消費者は飲食物や日用品にたいする安全性に高い関心があるのだろう。この本は時代のニーズにマッチした内容だといえそうだ。

 私がこの本を紹介した時も、「内容に誤りや根拠が不明確な点が散見されるが、情報公開という観点で評価できる」という趣旨のコメントを書いた。

 ところがである。ここへきて「買ってはいけない」の批判本が相次いでいる。知るところでは、“「買ってはいけない」は買ってはいけない”(夏目書房刊)、“「買ってはいけない」は嘘である”(文藝春秋刊)がある。
 いずれも「内容に誤りや根拠が不明確な点が散見される」と私が評した部分を強く非難する内容だった。また両者の本ともそれなりに売れ行きを見せ、週間セラーの上位に名を連ねているのだ。
 また本のタイトルから連想される趣旨から、批判本を買った人達の大多数は「買ってはいけない」をすでに購入したものと想像される。

 批判本の内容は、たとえば私が引き合いに出した、味の素の成分グルタミン酸ソーダ(MSG)の毒性については、「30年前の論文の引用であり、後の追試試験で強い毒性は否定されてきている」ということだった。
 概して批判本の内容は「買ってはいけない」の文中で危険性があると評価した商品に対して、「実際の危険は少ない」「成分分析に誤りがある」「危険性の有無が未確定なのに、さも危険性があるかのように書いている」などと、論文を引用しつつ危険性を否定していくものだった。
 そして、どちらかといえば批判本の方が、化学的な検証という観点で軍配が上がるように思えた。

 私は三者の本を読み比べてずいぶんと勉強させてもらった。昔は危険だと言われた物質が、後に危険性がないと言われても、いまだにその物質が危険であると喧伝されている事実。研究予算を取りたいがために、とある物質の危険性をことさら強調している事実。そして厚生省で使用を認可されている物質でも絶対安全ではないということも。

 三者の本は「情報公開」という観点ではその論旨に一致が見られる。「この商品は○○という物質が含まれていて取りすぎると危ない」とか、「この商品の製造メーカーは成分の開示をしていない」といったことを知ることができる。
 今まではこういった情報を知りたくても、なかなか知ることができなかった。今までは商品の選択肢を示されても判断基準がなかったり、選択肢自体が無いように思われたのだ。
 三者の本ともよく売れているのだから、「知りたくてもなかなか知り得ない」と同じ想いをしていた人もきっと多かったのだろう。

 ところで“「買ってはいけない」は嘘である”の著者である日垣隆氏は、著書の中で「ダイオキシンの虚構」というサブタイトルで、猛毒と言われるダイオキシンの危険性は作られたもの、と言う指摘をしていた。最初読んだ時は、本の趣旨からはややはずれた内容と思ったのだが。しかし読み進んでいくうち、その重大性に気がつかされた。
 著者は「過去にダイオキシン汚染を疑われた地域で、実際に死者が出たり、生物の奇形をもたらしたという事実は確認できなかった」と指摘、「ダイオキシンの猛毒性は作られたもの」と断定していた。
 ちなみに化学辞典をひも解くとダイオキシンの項には、悪性ニキビの発生原因になる、などと書かれているそうだ。人の致死に至る量に関しての記述はないらしい。マスコミなどでは青酸カリよりもはるかに毒性が高いと報じられている割りに、その内容は何だか拍子抜けだ。

 では近頃、新聞や雑誌で盛んに報道されている「ダイオキシン汚染」や「ダイオキシン対策」という見出しは一体何なのだろうか?そう思わされてしまう。ごみの焼却炉が危ないと言われたり、多額の調査対策費用が計上されているのは何のためだろうか、と私はにわかに疑問を抱くようになってしまった。

 世間で言われているほどに、ダイオキシンは本当に猛毒なのか・・・本当の真実がどこにあるのかをもっと知りたいなあ、と思うようになりました。

[1999.10.31 by かっきい]

 


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◆「自然災害」

 最近、岐阜県を旅行した際に驚いたことがあった。車を運転しながら各地を回ったのだが、あちこちの幹線道路が崖崩れのために寸断されていた。私が通行しようとしていたルートのうち、3箇所が通行止めになってしまっていた。

 一つ目は高山から白川郷に向う途上、国道360号の天生峠。このルートが寸断していたことは、高山を出発した途上で気付き、そこから60キロほど迂回して白川郷にたどりついた。迂回路に使った国道156号もまた、何ヶ所かで片側通行規制になっていた。

 二つ目は白鳥町から福井県の九頭竜湖に向う国道158号の油坂峠。こちらは平行して走る油坂峠道路(有料道路で最近開通したばかりだそうだ)を通って難無く峠を越えることができた。しかし突然の国道通行止めの標識と、有料道路に誘導するような迂回路表示には面食らってしまった。他の車も、有料道路の入り口で入るか入るまいかと戸惑っていた。

 三つ目は東海北陸道の美濃IC〜美並IC間。東海北陸道は先ごろ名神高速道とつながり、北側のルートも白鳥ICまで開通して便利になったのだが、秋の観光シーズンを前に通行止めになってしまっていた。平行して走る国道156号があるので、通行には支障ないが、しかしそのときは国道が渋滞してしまっていた。

 いずれも先月襲った台風16号の影響らしい。台風がもたらした大雨はあちこちで崖崩れの被害をもたらし、特に岐阜県ではその被害が甚大だったと聞いてはいた。
 しかしそれを直に目の当たりにすると、その生々しさに改めて驚かされる。自然がもたらす脅威を実感した。

 聞く所によると最近、集中豪雨が起きる頻度が増えているそうだ。単に異常気象ではなく、世界的に気候が変化しているらしい。それら気候の変化は、人間が地球の自然環境を変えてしまったから、という説が根強い。

 そうすると、最近発生している異常気象−−−集中豪雨、竜巻の発生、異常熱波や異常寒波などは、人間達の所業に対する、自然界からのしっぺ返しなのかもしれない。
 そういえば古代中国では、洪水などの自然災害の発生は、悪い政治のために起こった、などと言われたそうだ。

 そんなことを想いめぐらすうちに「人間とは何と罪深い存在なのだろう」と思えてきた。そろそろ自然環境を守るためにはどうしたら良いか、本気で考え始めなければならないのかなあ・・・そう感じさせられた今回のドライブ旅行だった。

[1999.10.18 by かっきい]

 


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◆「10年目の失敗」

 人生の中で同じような事象が繰り返されると、ついそれが当たり前のように思えてしまう。また一旦その事象が崩れてしまって初めて、それが単なる思いこみであったことに気付く。
 私が速度超過でおまわりさんのお世話になったことも、「私は交通違反で捕まることはない」という思いこみの事象の見本なのだろう。

 いまからちょうど一年前、私は免許取得からちょうど10年目に差しかかっていた。ドライバーとしての実績は、小さな接触事故こそ起こしてはいるものの、交通違反は今まで皆無。ちょうど同じ年の6月に、運良くゴールド免許を取得して「私はドライバーの鏡なのだ」などと思いこんでいた。いわば有頂天の状態だった。

 そんな思いこみが崩れてしまったのは、某SIGのオフラインミーディングの帰り道、国道129号の厚木市内でのことだった。
 すでに夜の11時を過ぎており、交通量もまばらな直進道路だったので、私は猛スピードで車を走らせていた。
 それでも時々バックミラーを覗く余裕があったが、後方を走る車の中で少し挙動のおかしなのがあった。その車は2車線道路を私と同じようなスピードで走りつつ、車を何度も左右に車線変更しているのだ。

 「何か変だな?」そう思っていた矢先、その挙動のおかしな車は突如としてサイレンを鳴らし赤ランプを点灯させながら、私の車に停止を促した。そう、その車は覆面パトカーだった。
 結果、24キロオーバーの速度超過。「何だかついていない」そのときはそう思ったものだ。

 「何だかついていない」はたて続けだった。その翌日、今度は大磯町内でレーダー測定機で止められた。本人はあまりスピードを出していないつもりだったが、18キロ超過と測定された。
 2日間たて続けに速度超過で青切符を2枚。合わせて3点減点、科料は¥27000だった。9年以上無違反だった私には、まさに悪夢の2日間だった。

 普通に考えると、2日続けて速度超過で捕まるとは、ずいぶん間の悪い話だ。
 他方、もしこの時捕まっていなかったら、私は今ごろどうなっていただろうか。時々想像してみることがある。

 相変わらずスピードを上げた運転を繰り返し、その挙句、30キロ以上の速度超過で赤切符を切られていたか。あるいは大事故を起こして重傷を負っていたか。あくまで、もしもの話なので想像の域を一歩も出ないのだけれども。
 でも逆説的で少し変な言い方かもしれないけれど、悲惨な結末を迎えるくらいなら、この程度のお灸で済んで良かった、という考え方もある。

 ともかく速度超過したときからちょうど一年経った。ようやく差し引かれた点数も元に戻ったので、少しホッとしているところだ。

[1999.10.16 by かっきい]

 


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◆「起こってはならないこと」

 起こってはならないことが起きた。茨城県東海村にあるウラン加工施設の臨界事故のことだ。
 国内の事故としては初めて、ウランの核分裂が制御できなくなる臨界状態に達し、作業者3名の方が重度の被曝者となった。まことにもってお気の毒としか言いようがない。
 また事故の影響は、事故現場から一時は半径10kmの範囲への立ち入りを制限された。さらに事故発生の地域に限らず茨城産の農作物価格が暴落。ついでに電力関係会社や、茨城県に拠点を持つ企業の株価下落まで招いたとされる。

 一民間企業が起こした事故とは言え、これほどまで甚大な被害を及ぼすのは、ひとえに核分裂の生成物である放射能がもたらす汚染と、放射能への恐怖の結果だろう。
 今回の事故で、原子力事故のポテンシャルを持つのは、原子炉に限らず核燃料を生成するプラントにもあることが白日のものとなった。そのような施設がずさんな運用をしているようでは、原子力発電全般にたいする風当たりはさらに強まるに違いない。本当に残念なことだ。

 日本国内の電力供給において、原子力発電の依存度は総供給量に対して半数に迫っている。関西電力に至っては、すでにその6割を原子力発電に依存している。そのような意味で、原子力発電は無くてはならない存在なのだ。

 発電施設としては風力発電や太陽光発電などのクリーンな代替施設が、にわかに脚光を浴びてはいる。だがいかんせん日本国内の電力需要の伸びには、代替エネルギーは焼石に水といった存在でしかない。
 “文明的生活を望む日本人”にとって、大きな発電量を期待できる原子力発電に頼るのは、もはや必然とさえ言える。

 今回のすでに事故は起こってしまったのは仕方ないとして、関係者には事故再発防止の策定作りを、切にお願いしたい。くれぐれも「原子力は制御すれば安全」という強弁のみを繰り返すのは、ご勘弁願いたいものである。
 また一般の人達にも「なぜ原子力が必要なのか?」を知ることにより、未来へ向けてのエネルギーのあり方について考えるようになってくれることを期待したい。

 今回は少しばかり、シリアスな内容になってしまいました。実は私も、放射能はとても怖いものですから・・・。

[1999.10.6 by かっきい]

 


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