ひとりごと(1999年6月分)

 

◆「自由」とは?

 今回は自由(英語で言うliberty)について考える。

 よく混同されがちなことだが、「自由」と「勝手」は違う。「自由」は行動の末のかかる結果において、責任がついて回る。他方「勝手」はやりたい放題で、あとの始末は知らんふり、という違いである。

 日本の実生活では、この「自由」と「勝手」が混同して使われている場面をよく見かける。
 例えば、思春期の子供が親に対して反抗的な態度をとる。好き勝手し放題の末に、「私の自由でしょう?」と食ってかかる。
 これは明らかに間違い。子供の自由放題にやった代償を、本人が払うことはできないからだ。また民事法では、保護者は扶養児童に対して「親権」が認められており、扶養児童の自由を制限することだってできる。

 上の思春期の子供の例は、何も子供が悪い、と責めている訳ではない。その子供を取り巻く環境が「自由」において理解度が浅いためだ、と考える。親が、学校の先生が、あるいはそれに類する人達が、子供達に「自由とそれについて回る責任」について、満足に教えることができていないのである。

 そういう意味で日本という国では、真の意味での「自由」は根付いていないのではないか?と思わせてしまう。

 欧米では、「自由」を血を流して闘い、勝ち取った歴史がある。また「自由」とは何か、常に問答している。自らの自由の獲得のために、躍起になっているのだ。そのため「自由」とは、ひょっとして定まっていない事柄なのか?と思わせてしまう。

 日本は、戦後になってアメリカから思想として流れてきた、と見るのが正しかろう。そして空気と同じようにあらかじめ定まったように存在している、と思われがちだ。そのような安直な「自由」など、あるはずがないのに・・・。

 戦後マッカーサー元帥が日本に進駐したおり、日本人を評してこう言った。「日本人の知能は12歳。」日本人の先達に対する、何ともひどい侮辱である。
 しかし「自由」について回る「責任」を、果たせる日本人がどれだけいるのか。最近の社会情勢などを見るにつけ、何だか悲しくなってくる場面に直面する。「ひょっとして日本人の知能は未だに12歳なのか?」そう思わせてしまうのだ。

 今回は私の、自由に対する思い入れを語ってみました。

[1999.6.27 by かっきい]

 

◆「カメラ」

 この「かっきいのweb page」のJPEG画像は全て、SONY製のDigitalMavicaという機種を使い、撮影したデジタル写真を用いています。一昔前の機種で、記録素子数は41万画素、レンズはズームで一眼レフ換算35〜400mmといったところ。専用のバッテリーは2時間の連続動作可能と充分です。
しかし、もはや一昔前の機種とあって、記憶媒体の3.5インチFDのアクセス速度はいかにも遅く、また本体も重くかさばるのが難点です。それでもホームページ製作には充分なスペックで結構重宝しており、それなりに良い買い物だったなあ、と思っています。

 私のカメラ歴は、中学生の頃にさかのぼります。今となっては、いきさつは忘れてしまいましたが、私の親が私に対して、一眼レフカメラをプレゼントしてくれたのです。今になって考えると、中学生には高価なオモチャでした。

 買ってもらった機種はKonica製のFS-1といいました。オートワインダー内蔵で、フィルムを巻き上げるレバーのないのが特徴的。またレンズは35〜70mmのズーム+テレコンバーター(焦点×2)で、重いながらも広角から中望遠のレンジをカバーしていました。また精悍な印象を与える、黒色のボディもお気に入りでした。

 さすがに中学生の時分では小遣いも少なく、また遠出する機会も少なかったのです。だから、フィルムを買ったり撮影に出かけることは、あまりありませんでした。それでも撮影技術というか、初歩的なノウハウなんかを習得していました。シャッタースピードと絞りの相関、絞りと被写界深度(ピントが合う範囲)などを勉強していったのです。
そのカメラは結局、高校生の頃まで使っていましたが、その後しばらくはカメラをいじる機会は、ほとんどなかったのです。

 転機が訪れたのは2年前(1997年)の初冬、信州を一人でドライブラリーを楽しんでいたときのこと。コース中に「アルプス展望台」という、北アルプス山脈を一望にできる景色を目の当たりにしたときのことです。

 「持って帰りたくなるような風景だ・・・」青白い山に白い雪がかかった、北アルプス山脈を眼前にして、私はカメラを携帯していなかったことに、失望したのです。デジタルカメラを中心に機種選びを始めたのは、それから間もなくのことでした。

 今ではカメラはドライブ時の必携品です。興味深い被写体を発見したら、すぐさまカメラを持ち出して行動開始。カメラのパワースイッチを入れてからreadyになるまでの時間が長いのが、これまた難点ですけどね。

 またこのカメラは手ブレを起こしやすいのも、不満の一つです。私の腕前のなさも、多いに関係があるかもしれませんが・・・。だから気に入った風景は2枚、3枚と少しずつ変化をつけて撮影し、撮りっぱぐれのないようにしています。それでも一瞬のシャッターチャンスには、対応ができないんですけどね。

 そうして悩んでいたところ、先日熟練の方から「カメラは脇を締めて持ち、シャッターを押すときは息を止めて」と教わりました。脇を締めるのはやっていましたが、息を止めて撮影するのは気がつきませんでした。今度から実践してみることにしましょう。

 私と同じように、カメラの手ブレで困っている方。「カメラは脇を締めて持ち、シャッターを押すときは息を止めて」を試してみてはいかがでしょうか?

[1999.6.21 by かっきい]

 

◆「あやしげなもの」

 どういうわけか数年前から、ニューサイエンスっぽい書籍を読むのに熱心になっている。「ニューサイエンス」、およそ現代科学からは認められていない“科学”である。現代のハイテク技術を駆使した製品開発に携わっている私が、である。

 特に新しいエネルギーの研究に関する読みものに関心がある。エネルギー問題は、やがて枯渇するであろう化石エネルギーや、安全性に問題が多い原子力エネルギーの、代替になる可能性を秘めているからだ。

 それにしても、この手の記事には首をひねりたくなるようなものも多い。いわく、入力よりも出力の方が大きいモーターなど。古典物理でいう「エネルギー保存の法則」からはあり得ない話だ。これが本当なら、ニュートン力学を始めとする古典力学の理論は、根底から覆される。何ともあやしげな話なのである。

 話は変わって、現代のインターネットで行われつつある電子商取引。ひところインターネット銀行の話題があった。銀行預金がある程度たまった時点で、その銀行自体がドロン、消え去ってしまったのである。何しろ銀行とは言っても、最低限パソコンとモデムさえあれば開設できる。実体は非常に身軽なので、夜逃げなど造作もないことだ。

 そういう危うさを抱えながらも、電子商取引はこれから広く普及して行くのではないかと思える。ひょっとして、重くてかさばる紙幣・硬貨などは駆逐され、コンピュータのデータベース上に記録される数字のみが、貨幣として通用するのではないか。そんな爆発的な勢いを持つポテンシャルが、インターネットの世界にはある。インターネットなど実体のない虚像の世界であり、これまたあやしげな世界と呼ぶにふさわしい。

 『あやしげなものこそ未来を創造する』。こう言う意見を持つ人がいる。私もその意見に賛成したい。

 思えば現代においても、それを裏付ける事実が散見されるのではないか。郵便小包に比べれば宅配便などあやしげ。銀行に比べればサラ金はあやしげ。学校に比べれば学習塾はいかにもあやしげである。学習塾の存在意義はつい最近、文部大臣も認めるところとなったのだが。

 この不況下においても、元気がいい企業・団体はおしなべてあやしげなものが多いように感じるのは気のせいだろうか。

 あやしげなものが全て未来をつくる、とは言わない。当然のように、まがいものも多数存在するからだ。しかし今の常識にとらわれない「あやしげなもの」こそが、閉塞した現代社会を打破するのに必要な、一つのキーワードとなるのではないだろうか。

[1999.6.16 by かっきい]

 

◆「秦野戸川公園」と「風の吊り橋」

風の吊り橋

 今回は地元秦野市の「ちょっといいトコ」ということで、「県立秦野戸川公園」を紹介します。じつは地元も地元、私の住所からはかなりの近所に部類する場所です。

 この公園は丹沢山塊の塔ノ岳・丹沢山登山の表玄関、大倉へ行く途中に入り口があります。塔ノ岳に水源をいただく水無川がもたらす、渓谷と河川敷の地形を活かした造りになっています。

 ここの目玉は何と言っても「風の吊り橋」でしょう。
 全長100メートルほどあるこの人道橋は、2本の石造り風の主塔に支えられた吊り橋です。この橋をのんびりと渡りながら、水無川がもたらした渓谷や河川敷の様子を眺めるのがよいでしょう。ただ少々の風ではびくともしない橋の造りなので、怖いもの見たさに橋を渡ろうとする人はがっかりするかもしれません。

 河川敷は散歩道や広場があり、また川縁にも出ることができます。暖かい時期は、子供達が川縁で水遊びをする姿が見られます。

 私は先日、その河川敷にある「風神の砦」という、石を並べたモニュメントのある場所に腰掛けて、弁当をつまんでいました。何やってんだか。(笑)
 この日は天気もよく心地良い風が吹いていたので、非常に心地良いひとときを過ごすことができました。

 車で行かれる方のために、駐車場情報です。平日は無料です。また土日祝祭日は30分まで無料、2時間までが¥310、2時間以上が¥520です。残念ながら広い駐車スペースを確保できなかったためか、土日祝祭日が有料で、しかも少々高めなのが気になるところです。

 先日行ったところでは「秦野戸川公園」は、いまだ公園造成の途上にありました。京風の茶店のような建物を造っている場所もありました。「これからどんな風に変わって行くのかな?」
 ちょっと楽しみであります。

 今回は「ひとりごと」では初、写真付きで紹介させてもらいました。

[1999.6.6 by かっきい]

 

◆「黒船」と「火砕流」

 嘉永六年(1853年)、米国ペリー提督率いる黒船艦隊4隻が、浦賀沖(神奈川県横須賀市内)に出現。見たこともない大きな鉄の船と、もくもくと黒い煙を吐く黒船の恐ろしげな姿に、人々は驚愕しました。

 ペリーは開国と通商条約の締結を、強硬に迫りました。対する幕府の対応は弱腰で、常に後手に回っていました。  そんな幕府の対応に、全国各地の憂国の志士達は憤激し、また幕府の弱体化した姿が、白日のもとにさらされてしまったのです。

 この「黒船事件」は、二百数十年続いた江戸幕府による鎖国政策の、終わりの始まりでした。また14年後に起きた、「明治維新」という“革命”の伏線となる、重大事件でもあったのです。

 時は下って平成三年(1991年)、二百余年ぶりに火山活動を活発化した「雲仙普賢岳」で、これまでのうちで最大規模の「大火砕流」が発生。死者・行方不明者43名、負傷者6名の大惨事となりました。主に地元消防団員、災害報道の関係者らが犠牲となったのです。

 人々はこの事件で、火山活動がもたらす災害では、それまで聞きなれなかった言葉である「火砕流」の恐ろしさというものを、目の当たりにしたのです。

 また有名人では同日、和田勉、唐沢寿明らが生まれているそうです。

 ・・・・・そう、今日6月3日は、私の誕生日なのでした。

[1999.6.3 by かっきい]

 


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