◆「忠臣蔵」考
毎週、日曜日に放映されるNHKの大河ドラマ「元禄繚乱(げんろくりょうらん)」を欠かさず見ている。これは赤穂藩浅野家家臣、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を中心に、「忠臣蔵」に至るまでを物語にしている。
この脚本はそれなりに史実に忠実に再現しているものと思われ、登場人物のキャラクターの意外性もあいまって、なかなかに興味深い。
例えば江戸城の城内で刀を振り回した赤穂藩主・浅野内匠守長矩(あさのたくみのかみながのり)は、いたずらに藩士たちを路頭に迷わすような「バカ殿様」とは、必ずしも言えなかったようだ。
長矩は儒学者・山鹿素行(やまがそこう)に学び、その高邁にして高潔な教えに深く傾倒していた。また家臣達を労うの気持ちを常に忘れず、家臣達からもよく慕われていた。
一方の被害者(?)、高家・吉良上野介(きらこうずけのすけ)も「田舎大名をいびるイヤな奴」という一面だけではなかった。
吉良の領地、吉良の庄では墾田(こんでん)や灌漑(かんがい)などを手がけ、領民達にもよく慕われていた。
またその当時、吉良は将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の方を、官位従一位を授与させるための工作が難航していたことに苦しんでいた。将軍方の中でも京の公家たちに顔が広いにもかかわらず、思うように話が進まないことに、さぞやプライドを傷つけられていたことであろう。
主人公の大石内蔵助も「忠臣」というイメージとは程遠い。好色でマイペースな性分は、時には高潔な殿様・長矩から顰蹙(ひんしゅく)を買ったこともあったようだ。しかし備中高松城の城受け渡しでの働きなど、「有能な家臣」という一面があったことも見逃せない。
物語は浅野内匠守長矩が、殿中で刃傷沙汰に及び即日切腹。一方の吉良上野介はお咎めなしという片手落ちの裁決は、やがて「仇討ち」という忠臣蔵のクライマックスへと続く。
この四十七士による「仇討ち」は、かなり綿密に計算されたものだった。仇討ちのイメージ・・・47人が一斉に吉良の首を目指し、ひたすら突進する・・・とは、およそ異なるのだ。
まず四十七士は、火消し装束に身をまとった。夜中の火消し装束は防火のための見廻りと思われやすく、呼びとめられることも少ない。 また表門隊と裏門隊の2隊に分かれて吉良邸に侵入、さらにそれぞれの隊には、門で外部からの援軍を食い止める門番役もいた。その門番役は、門の扉が開かないように固定してしまう、特殊金具も持参していたというから恐れ入る。
そうして大石内蔵助を先頭にした四十七士は吉良の首を討ち取り、本懐を遂げたのであった。
[1999.5.28 by かっきい]
◆「美女木ジャンクション」
高速道路や自動車専用道路の路線が枝分かれしたり、合流したりする場所をジャンクション(以下JCT)と言います。
日本の道路のJCTは3方向の接点(つまり2方向に進出可能)のものがほとんどです。なかには4方向以上の接点をもつJCTもあります。[例.郡山JCT(東北道、磐越道が交差)、吹田JCT(名阪高速、中国道、近畿道が交差)]
それらのJCTは決まって道路が分岐・合流部分と立体交差で構成され、一般の交差点のように同一平面で道路が交差することはなく、当然のことながら交通信号機も不要です。
しかしながら、これから紹介するJCTは4方向の接点を持ち、(恐らく唯一)交差点があり、しかもそこには交通信号機が設置されているのです。それが「美女木(びじょぎ)JCT」です。
「美女木JCT」は埼玉県戸田市内にあり、東京外環自動車道(外環道)と首都高速道路(首都高;池袋線と大宮線の境目)が交差する地点です。このようなJCTができた背景には、都心にほど近い立地のため、立体交差に必要な用地取得が困難であったことが想像されます。
首都高大宮線が開通する前の美女木JCTは3方向の接点を持っていましたが、“ある一点”を除けば交差点や信号機のない普通のJCTでした。“ある一点”とは首都高池袋線から外環道三郷方面に行くルートがない、ある意味で“欠陥JCT”ということです。
そのため、首都高池袋線から外環道三郷方面へ向う車は、一旦首都高から一般道路に流出して、一般道から外環道に流入するというルートを取らざるを得ませんでした。もっとも、一般道に下りずに済ませる“裏技”ルートも存在しましたが・・・。
昨年('98年)5月に首都高大宮線が開通し、それに伴い4方向の接点をもつ美女木JCTも生まれ変わりました。首都高と外環道の間を乗り換えるいくつかのルートは、交差点を通り交通信号機に注意を払いながら走行しなければなりません。また交差点の手前には、くどいほどに「交差点あり」の標識が立ち、減速を促す道路の凹凸も交差点のかなり手前から設けられています。
そのほかの美女木JCTの特徴は、立体交差が下層の一般道路を合わせると5層にもなることです。上から「首都高速」「交差点」「外環道」「国道298号」「国道17号」となっています。
先日、美女木JCTの最下層にあたる国道17号を走りました。上を見上げると、コンクリート製の橋が何層も積み重なっているのが見え、さながら“要塞”の真下を通行しているような感じで、なかなかに壮観でした。
今回は首都高速大宮線開通と、それに伴う美女木JCTリニューアルが、今月18日でちょうど1周年という、節目にちなんだ話題でした。
[1999.5.23 by かっきい]
◆日本人の名前「命名考察」
一昨年結婚した友人に女の子が生まれた。彼の結婚式に、私は友人代表でスピーチしたこともあって、感慨深い。喜びもひとしお、といったところだ。早速、彼には「おめでとう」と書いた電子メールを送った。
女の子の名前は「萌音(もね)」と名付けられたそうだ。春の息吹が感じられる良い名前である。それと同時に、最近の女の子の名前に「子(こ)」を付けない「子離れ」についても考えてみた。
「子離れ」についての私の考えはこうだ。夫婦の間に生まれる子供が少ない「少子化」が進んで久しい。少ない子供を親達は大事に育てる。当然、子供に付ける名前にもそれが託される。命名するときにも「健康でいて欲しい」、「幸せになって欲しい」とか「美人に育って欲しい(笑)」という具合にいくつもの理想が託されるのだ。
そこへいくと女の子の名前に付けられる「子」の字は、人名では「女の子」というくらいの意味しかないのだろう。自分の子供にいろんなものを託すには、少々荷が重い。そこで少しでも託すものが多い字を当てることになり、その結果「子離れ」が進む、というわけ・・・。
わりと真面目に考えたのですが、どれくらい的を得ていますかね?まあ、ご笑読下さい、という程度のレベルかも知れません。
話しは変わって、名前に関するこぼれ話をいくつか披露しましょう。いずれも実話らしいけど。
その1:「マキちゃん」という女の子がいたそうです。その子は「原クン」という男の子と付き合っていました。そこで口の悪い回りの人達から「原マキ、腹巻き」と呼ばれていたそうな・・・。
この例ならまだ、原さん家の女の子が「マキちゃん」じゃないだけ良いかも。
その2:大場さんの家に女の子が生まれました。名前を「佳代(かよ)ちゃん」と名付けました。
もうお分り?「大場佳代」では「大バカよ」になってしまい可哀相過ぎ・・・。
その3:「今井さん」の家に2人姉妹がいました。姉は「舞(まい)」、妹は「亜美(あみ)」と名付けられました。
どんなオチかわかるかなあ?姉は「いまいまい」、妹はローマ字綴りで「ImaiAmi」で、どちらも回文になるのです。「自分の子供の名前で遊んでんじゃねえよ!」と言いたくなるようなお話しでした。
この手のお話、あなたの身の回りにもあるのではないでしょうか?
[1999.5.15 by かっきい]
◆「妻子異国踏む・・・」
「妻子異国踏む。ゴミ小屋で急に泣くすりの兄さん。休むに労しさんざん闇に泣く・・・」
上の文章は何のことでしょう?実はπ(円周率)の読み下しの文章です。私が中学生の頃この読み下し文を覚え、10ウン年経った今でも憶えているという具合。
ちなみに上の文章では、π=3.141592653589793238462643383279・・・と少数点以下30桁まで覚えることができます。(笑) 実用的にはπ=3.1416 とかπ=355/113 で計算すれば充分でしょう。
πは無理数(少数や分数では表せない数字)として知られています。そのπを求める問題は古くて新しい問題です。
古くは古代ギリシアでアルキメデスが円形に近い形、ということでに正多角形を用いて計算したそうです。近代では19世紀にシャンクスと言う人が一生をかけて707桁まで求めたが、後世になって528桁から後ろが誤っていたことがわかった、などなど数々の逸話があります。
現代ではスーパーコンピューターを用いて、何百億桁も計算することができるようになりました。具体的な計算法として三角関数を用いることが多いようです。
例えば高校時代に習ったtan(タンジェント:正接)を使った例で示しますと・・・。
tan π/4(=45°) = 1 であることから、arctan 1 = π/4 (arctan:アークタンジェント(逆正接))となりarctan 1 = 1 - 1/3 + 1/5 - 1/7 ・・・と計算して、その商を4倍すればπに近づきます。おひまな方は実際に計算してみてください。計算値がなかなか収束しないのが難点ですが。(笑)
実際にもarctan を用いて計算することが多いそうです。答えが早く収束するような、もう少し複雑な多項式を用います。また計算するための前処理も大切な要素で、プログラムをコンパイルするとき、最近の超並列型の計算機にマッチするよう、いかに個々のCPUに分配して最適な並列計算ができるかを工夫しているそうです。
今回は東京大学の計算機で、π計算最高記録(687億桁)を達成したことにちなんだ話題でした。
[参考文献:円周率πの不思議 堀場芳数著(講談社)]
[1999.5.10 by かっきい]
◆「道の駅」
ドライブがてら「道の駅めぐり」を始めて2年になる。初めの頃は関東地方や山梨県・静岡県といった近県めぐりであったが、だんだんと遠出が多くなった。去年は大阪府や北海道まで遠征することになった。今年は東北地方を回ってみようと作戦を練っているところである。
道の駅は“道路交通の円滑な「ながれ」を支える「たまり」 の空間”、ということでドライバー達の強い味方である。ことにコンビニなど少ない田舎では重宝する。また各々道の駅の特色を活かした郷土料理や特産品なども見逃せない要素だ。
私は道の駅を訪れるとき、意外と思われるかもしれないが、道の駅の特産などは下調べしない。その道の駅に行って新たな発見をしたときの感動が薄れるからだ。もちろんハズレにも数多く遭遇した。それらは既存の老朽化した建物をそのまま流用したり、メインの施設が建設途上である場合が多い。
ではお金をかけて贅を尽くした道の駅は素晴らしいか?・・・と言えば、必ずしもそうはいえないと思う。個人的には、道の駅という器を通した人と人の交流、また郷土文化との交流こそが大切、と考えるからである。
また新しい道の駅はいわゆる「ハコモノ」という一面もある。近年、日本の国家財政は赤字国債の大量発行、という実例もあるように非常に逼迫し、破綻寸前とまで言われている。その財政圧迫要因として、全国各地に建設されている文化施設・体育施設など、いわゆるハコモノにあると指摘するエコノミストも多い。道の駅も決してその例外ではないと思う。
実は少し以前から考えていることがある。それは自分が道の駅を訪れ、素晴らしいものに触れ、それらを絶賛するということは、すなわちハコモノを絶賛することではないか?ということだ。しかしながら、素晴らしいものを誉めることを遠慮しなければならない、というのはジレンマである。微妙で難しい問題のようなのだ。
ただ、もうしばらく「道の駅めぐり」は続け、全国各地で新しい発見に遭遇してみたいと考える。
[1999.5.6 by かっきい]
◆ドラマ「ナニワ金融道」
昨日(4/30)ドラマ「ナニワ金融道」を見ていました。主演は中居正広クン。(笑)
この原作は青木雄二という作者で、「モーニング」という漫画雑誌で連載されていたものだ。ついでに言うと、「ナニワ金融道」のコミックを全巻読破していました。だから私には、原作とドラマの相違点を探す楽しみもあったわけです。
たとえば・・・、海事代理士(だったか?)の落振氏はドラマでは女性だったが、漫画では男性であった。とか、地方の裁判官が好きなものはドラマではボクシングだったが、漫画ではプロ野球(ジャイアンツファン)だった、という具合。
あらすじは落振氏が授けた「ゼロ号不渡り」なる奥の手で、主人公の中居クン、ではなく灰原氏が窮地を救われる、といったものだった。この作品で、主人公たちが絶妙の演技で裁判官を見事だまして見せるシーン、それと船舶売買手続きの煩雑さを利用した詐欺、などお役所をチクリと痛烈に批判していることも見逃せない。
原作者の青木雄二という人は、いろんな職業を転々とした末に漫画家になったという。そういった人生の中で、お金や約束手形の重要性をイヤというほど知ることになったのだろう。
彼の著作もいくつか読ませてもらった。物質の充実が人を幸せにする、というようなバリバリの「唯物論者」でありました。
[1998.5.1 by かっきい]