ひとりごと(2001年5月分)

#3 祖母の訃報

#2 北海道道の駅めぐりダイジェスト

#1 航空機+レンタカー

 

◆祖母の訃報

 今回のひとりごとは私事に終始する事をお許し願いたい。

 それはある金曜日の早朝の事。まだ眠りの床にある私を呼び覚ます電話のベル音がなった。
 起きあがれない私の代わりに留守電が対応。電話の主は驚いたように「あっ!」とだけ発声した。間違いなく親父の声。その時いやな予感がした。

 その後私は実家に電話をいれた。悪い予感は当った。病院で危篤状態を脱し、小康状態にあった祖母が急逝したそうだ。
 私はその報を聞き唖然とした。その日は会社を休み、実家に旅立つ事にした。
 それが3日間で東京−北海道を往復し、その間葬儀に参列した強行軍の始まりとなった。

 実家では私が予想以上に早く到着した事に驚いた様子。私は実家の一室で無言のまま帰宅した祖母と対面した。
 享年90歳。日本人の平均寿命を大きく上回る死だった。しかし祖母の前半生は決して平坦だったものではなかったようだ。

 祖母は明治時代の生まれ。昭和一ケタで結婚、第2次世界大戦では夫である祖父の出征があった。不幸にも祖父は不治の病を患って帰国。それ以来ずっと病床の身であった。
 病気で起き上がれない祖父の役目をも、祖母は担う事となった。まだ年少の父を始めとした子供達を養育し、さらに近所で組織する町内会の役員なども精力的にこなしていった。
 そんな重責を果してきたという話しを聞き、何とも頭の上がらない思いがした。
 それも生前の祖母が、人並はずれて健康だったからに他ならない。

 祖母は80歳を過ぎてもなお意気盛ん。その時の祖母に"死"という言葉は無縁なように思われた。
 それが3〜4年前くらいのことだったか。痴呆性のボケが進行し、もはや私の存在も忘れてしまっていた。そのころから自己管理もままならなくなり、少しずつ体が衰弱していったようだ。

 祖母は明治生まれらしく頑固者だった。同じく明治生まれの祖父とは、生前よく喧嘩をしていた。
 私が実家にいた頃は、毎日のように怒られていた。また葬儀のお手伝いをしていただいた近所のおじさんが、若き日の祖母の存在を"近所の怖いおばさん"として恐れていた、という話しを披露していた。

 通夜、告別式が淡々と進んだが、私も親戚の人達も一人の老人の死を冷静に受け止めているように思えた。
 しかし出棺前の献花の頃。これで祖母の姿の見納め、と考えると自然とホロリとしてきた。回りの人達も同じ想いにかられている様子が伺えた。

 いよいよ出棺。棺を載せた車と共にゆっくりと火葬場に向った。季節柄のせいか、満開のサクラがやけに派手に咲いているように見えた。もっと静かに咲いていてほしかったのに。

 こうして祖母は灰になってしまったが、その存在と生きざま残された人々の胸に残りつづける事だろう。"死して生きる"とは、きっとこのことなのだろうと想う。

 祖母よ、黄泉の国で安らかに眠り給え。合掌。

[2001.05.23 by かっきい]


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#3 祖母の訃報

#2 北海道道の駅めぐりダイジェスト

#1 航空機+レンタカー

 

◆北海道道の駅めぐりダイジェスト

 今年のゴールデンウェークの数日間を北海道道の駅めぐりで過ごしたことは、5/4のこのコーナーで報告済み。
 詳細は「たび物語」に譲るとして(そういえば更新が滞っているなあ)、今回はダイジェストをお届けしよう。

松前城

 1日目は千歳より日本海側を通って道南の函館に向かった。
 北海道最南端、松前町は北海道で最も早くサクラが咲く場所だ。そこのサクラの名所、松前城はちょうどサクラが満開だった。
 ちなみに写真左側の桜の木(確かエゾヤマザクラ)が、桜前線北海道上陸の指標なんだそうです。
 1日目は計画見通しが甘かったせいか、閉館後に訪れた道の駅もあったが、それでも11ヶ所回ることができた。

 2日目は太平洋側を通り、途中から高速道路に乗り継いで、道東の帯広まで向かう長大コース。

白鳥大橋

 途中、室蘭にある吊り橋、白鳥大橋を見ることができた。白鳥大橋は全長が1380m。吊り橋としては世界で30番目に長く、北海道ではもちろん1番長い。
 また本四架橋を除くと、全国で一番長いようだ。
(いずれも2000年10月現在)
 まさに白鳥が羽を広げたような優美な姿に、しばし見とれていました。また昨年8/22のこのコーナーでの予告を果すことができました。
 2日目に回った道の駅は9ヶ所でした。

 3日目は道東をひたすらかけめぐるコース。東に根室に向い、そこから北に知床を目指し、反転して南西に摩周湖を目指した。
 R334知床横断道路はゴールデンウィーク直前に開通したばかり。しかも前日は降雪のため通行止め。そんなスリル満点な道路を運良く通ることができました。(情報提供くださったtakuma氏に感謝)

摩周湖

 夕暮れ時に摩周湖畔にたどりついた。"霧の摩周湖"と言われるが、この日は良く晴れていて、湖面をはっきりと見ることができた。
 澄んだ湖面と、人を寄せ付けない切り立った湖岸をもつこの湖は「孤高の湖」とでも言いたくなるような、凛とした風景でした。
 あれ?晴れた摩周湖を見ると結婚できないんだっけ?
 3日目は7ヶ所の道の駅を回りました。

 4日目は北見市を出発。帯広付近の道の駅密集地帯を南下し、日本海側の日高地方に回り千歳に戻ってきた。

幸福駅

 途中、鉄道廃止線の広尾線沿線を走り、愛国駅・幸福駅跡といった隠れた名所にも立ち寄った。どちらも観光名所化しているのだ。
 愛国・幸福は共に帯広市内の地名だが「愛国から幸福へ」という片道キップは、お守り代わりに買って行く人が多い。実は私も買ってきました・・・。
 4日目は道の駅を12ヶ所回り、4日間で計39ヶ所回りました。実は当初予定より1ヶ所多く回ることができました。

 全般を見渡すと4日間ずっと天候も良く、雨に降られる事もなかった。出発時、東京は雨が降っていたが。
 また4日間で2300km余というドライブは、ずいぶん急ぎ足のようだが、しかし私にとっては予定通りの充実したものであった。

 というわけで、今回は豪華写真4枚付きの紹介となりました。

[2001.05.06 by かっきい]


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#3 祖母の訃報

#2 北海道道の駅めぐりダイジェスト

#1 航空機+レンタカー

 

◆航空機+レンタカー

 今年のゴールデン・ウィークは3泊4日で、北海道の道の駅めぐりをした。今回交通手段として用いたのは、航空機+レンタカー。羽田から航空機で千歳に向い、そこからレンタカーの足で道内各地を回った。

 この航空機+レンタカーというプランは、頭文字Jさん(DR界の有名人です)から教わったもの。
 最新のPD誌にも彼自身、同様の方法で九州まで行って来たことが掲載されていた。

 千歳で借りたレンタカーはヴィッツだった。予約時はCDカーステ付き、とのことだったので、自前のCDをたくさん持参して行った。
 そして実際にこれから乗るクルマを見てちょっとビックリ。それはカーナビ付きで、4WD車だったから。

 カーナビや4WDといったオプション装備は、予約時に指定しなければ付かないものだと思っていたからだ。
 「カーナビ付き車は+1000円」という広告があるくらいで、頼みもしないのにこうしたオプション装備が追加料金ナシで付いて、ちょっとラッキーな気分。

 各地を走って一つ驚いた事があった。それは全道各地をヴィッツが走っていて、それがほとんどレンタカーだったこと。レンタカーはナンバーに「わ」の文字が入っているからすぐにわかる。

 ヴィッツのレンタカーとは一日平均10台くらいとすれ違った。道内の観光シーズンは以前から、こんなにたくさんのレンタカーが走っていただろうか?
 ヴィッツの数が多かったのは、客がリッターカーを指定して車種をお任せにしたときは、レンタカー屋各社がヴィッツを選ぶようにしているからなのかもしれない。

 4WDのヴィッツは4日間、本当に良く走ってくれた。所詮リッターカーと思い、正直言って走りは多くを期待していなかった。
 ところがこのヴィッツは想像以上にすごかった。4WDだからワインディングでもふらつかなかったし、登り坂も楽に踏破することができた。
 R230の中山峠へ向う登り坂では、アコードワゴンと肩を並べて走ってくれた。

 また市街地の道や、狭い駐車スペースでは、小さな車体や良く切れるハンドルでかなり助かった。
 間違って狭い道に入り込んでも、信じられないほどのハンドルの切れで、素早くUターンしてくれた。また慣れない車両感覚で、狭いスペースに駐車する場面が多かったが、難無くスペースに入れることができた。

 カーナビはどこへ行っても重宝で、どこへ行っても道を間違えることがほとんど無かった。
 北海道は幹線道路を外れた行先案内の看板が少ないので、地方道を使い幹線道路間をショートカットして移動距離を短くする芸当が難しい。こんなときにもカーナビがあるのは大変ありがたい。
 GPSのみ自律航法なしのタイプで、トンネルに入るとカーソルが止まってしまうのだが、それでも不便に感じる事はなかった。

 CD付きカーステは、イクリプス製のDSPが付いたタイプ。そこそこイイ音がスピーカーから流れていたので、ドライブ中はいつもゴキゲンでいられた。
 4WD、カーナビ、DSP付きカーステ。ヴィッツを自家用車として買ったオーナーは多いと思うが、これだけの装備をつける人はあまりいないのではないだろうか?

 今回とても楽しく北海道各地を走れたのは、このレンタカーによるところが大きいと思う。レンタカーの車の質感などにほとんど期待していなかった分、うれしい誤算といったところだろう。

[2001.05.04 by かっきい]


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#3 祖母の訃報

#2 北海道道の駅めぐりダイジェスト

#1 航空機+レンタカー