ひとりごと(2000年9月分)

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◆引越し

 人生は山あり谷あり、平坦な道を歩もうと願っても決して叶うことはない。それが人生なんだと思う。
 人生に転機というものがあるのならば、私の場合、まさに今なのだろう。平穏無事に一生を過ごそうにも、当面は望むべくもない。

 8年間住んだ神奈川県秦野市を離れ、東京都小平市に引っ越しました。住所は東京でも23区(特別区)ではないが、東京は日本の首都であらゆる価値観の発信地といえる。小平市はそんな東京の片田舎であるが、しかし秦野ののんびりした風土と比べると、はるかに都会的だ。

 ノスタルジーのようで恐縮だが、秦野は私の趣味=ドライブの活動の場として格好の場所だった。
 南西に箱根があり、さらに南に足を伸ばすと伊豆半島にたどり着ける。西には富士山があり、北にはちょっとマイナーだが宮ケ瀬というドライブスポットがある。

 いずれも1〜2時間の「ちょっとドライブに行ってくる」という感覚でたどり着ける絶妙のロケーションだった。「東京の人は東京タワーに登らない」の格言どおり、それらドライブスポットのもっと近場に住んでいたのなら「ちょっとドライブに行ってくる」とは思わなかったのだろう。

 秦野の気候は、今まで住んだ土地の中では温暖だった。
 一つだけ怖いのが地震だった。1980年頃から言われてきた、東海地震の警戒エリア内なのだ。また市周辺を活断層が走っており、その中には専門家が一級の危険活断層と断じる場所もあった。そのため、ちょっとした地震の揺れでも、大袈裟なくらい動揺してしまう日々だった。

 一方の小平市は、ドライブのための道路網はお世辞にも整備されているとは言いがたい。先日のこと、関越道の所沢ICから降りて新居まで車を走らせたが、ひどい渋滞に巻き込まれてしまった。付近の道路網が複雑で道幅も狭く、また変則的な形状の交差点も多い。もちろん車の交通量も多く、渋滞する要因はあり過ぎるほど存在する。
 この付近に快適なドライブを楽しめる道などあり得ないとさえ思える。当面は、主要ICや幹線国道へアクセスする抜け道ルートを探すドライブを楽しむ週末が続くことになりそうだ。

 しかし新しい住所の欠点ばかりあげつらっても仕方がない。東京の片田舎でそれなりに都会ということは、それなりに便利さが得られるというもの。
 買いたいものは近くで得られるし、気に入らない店があったら他に行ってしまえば良い。たまに本を探したり、あるいは人に会うために新宿あたりまで出かけていたが、それもずいぶん近くなった。決して悪いことばかりとは言えない。

 「人間至るところに青山あり」は中国の白居易の言葉だったか。白居易は白楽天とも呼ばれ、晩年左遷の憂き目に遭い辺境の地に引っ越したとき「晩年を過ごすにはちょうど良い」と、極めて楽天的な発想でいたという。
 私も同じように楽天的な前向き発想で、この小平市の地でもまた"青山"を探していこう。そう思い至った今日この頃なのです。

[2000.09.30 by かっきい]


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◆名神高速

 最近、名神高速道路(以下名神高速)を使う機会があった。名神高速は関東からやや離れたロケーションの高速道路であるが、筆者はそれなりに思い入れがある。
 今回高速道路シリーズの第3弾として名神高速を取り上げる。

 名神高速は1963年7月、栗東IC〜尼崎IC間の開業で始まった日本で最初の高速道路だ。その頃の日本の自動車はまだ時速100kmを安定して出せる技術が備わっていなかったらしく、開業直後はオーバーヒートが原因の故障車が相次いだという。

 ちなみに何気なく普段使っている「高速道路」の名称。実は日本道路公団管轄の道路で「高速道路」の名称がついているのは、東名と名神の2つだけ。
 その他の中央道・関越道・北陸道などの路線は、すべて「自動車道」という名称を使っている。
 「高速道路」と「自動車道」両者の違いは、はて何だったか?

 名神高速はかつては、京都南IC〜茨木IC間の天王山、梶原第1・2の各トンネルで混雑していることが多かった。
 一時期、京都と大阪国際空港(伊丹空港)を往復する空港バスをよく利用していたが、その時もこれらのトンネル付近で渋滞に見舞われた。その結果、しばしば搭乗予定の飛行機に乗り遅れそうになって焦っていたりした。

 それが2年ほど前に上下4車線から一気に8車線に増やしたことで、これらのトンネルの渋滞は過去のものとなった。
 先日もその付近を走行したが、快適そのもの。やはり高速道路はこうでなくては。

 SA(サービスエリア)も特徴ある場所が多い。
 上り線の大津SAは琵琶湖の眺望が売りだ。午前中は下り線のSAが混んでいるので、バス乗車用の連絡通路を使って下り線から上り線の施設に移動する。
 上り線からは琵琶湖の眺望がよく利くので、そこで食事などを楽しむ。知る人ぞ知るSA上下線間の移動技というわけだ。

 また多賀SAの宿泊施設も重宝する。5年ほど前に利用したが、ビジネスホテル並みの施設を格安の料金で利用することができた(当時で¥4500ほど)。
 もっともツインルームを半ば強引に一人で宿泊したので、フロントの人にはあまり良い顔をされなかったが。

 ふむ、東名高速ほどはネタがありませんでしたが、今回は名神高速についてのお話でした。

[2000.09.17 by かっきい]


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◆丹沢の山々

 秦野市内にある小田急の駅周辺は、休日になるとリュックを背負い登山服に身を固めた人達でごった返す。それらの人達は他でもない、丹沢山系の山々に向う人達である。東京方面からやってくる人が多いようだ。

 丹沢山は初心者向けの尾根登りから、上級者向けの沢登りと、いろいろな山登りをする人達を受け入れてくれる親しみある山。
 平成10年に行われた神奈川国体でも、山岳競技は秦野市内の丹沢山系で行われた。

 私の住む場所から丹沢山系へは歩いていくことができ、週末は山の中腹あたりまで散歩しに行ったものだ。ハイペース歩行すると結構ハードな運動になり、帰ってから体重を量ると夏場は3kg以上減っていた。
 山中は新緑に囲まれていて心地良い。自分自身が自然に帰ったような、そんな気持ちになる。
 また自然動物に出会うことも結構多い。多く見かけるのはタヌキ、鹿、蛇など。一度、茶色くて大きな鳥に出会ったことがあるが、あれはキジだったか・・・?

 しかし最近の週末はドライブに出かけることが多くなって、山の散歩はご無沙汰気味。運動する習慣を身につけなくては、と常々思いつつ、生来のものぐさな性格から3日坊主になることがしばしば。

 秦野に住み始めた当初は「登山も良いものだ」と思い、登山靴を買って準備した。最初の頃は友人を誘って丹沢山の山頂などに行ってみたものだが、しかし登山靴は結局3回ほどしか使わなかった。

 秦野市は山岳地帯の面積が多く、丹沢山系のほとんどが国定公園に指定されている。 私の住む場所からは歩いて国定公園に行けるくらい近くだ。自然あふれる地帯から身近な場所に住んでいられるのは貴重な体験であろう。

 いつかまた、丹沢の山々を登ってみたい。そう思いつつなかなか果せないでいる今日この頃でした。

[2000.09.11 by かっきい]


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