ひとりごと(2000年6月分)

 

◆ドライブラリー(3)

 この「ひとりごと」でのドライブラリーシリーズは、今回で第3回目。第1回・第2回では、現在・過去と書いてきました。今回は将来のドライブラリーについて書いていきます。

 現在、オフィシャルに行われているドライブラリーのコース紹介は、PDQM(PD誌:芸文社刊)とマイルドセブンドライブラリー(主催:PD編集部、協賛:JT)の2つくらいか。
 かつてはFreeRoad誌(プロトコーポレーション刊)でも紹介していたが、今年の4月をもってコース紹介を休止。私がその存在を知った矢先だっただけに、大変惜しいことだった。

 その代わりというわけでもないが、私の知る周辺では、コースを自主作成するオリジナルドライブラリー(以下ODRと略す)が活発になっている。
 ODRは、概して作成者の趣味が反映されていくものだ。それは多くの場合、ハイレベルなコース設定になることが多い。まだまだ駆け出し段階の私が参加するには、ODRはちょっと敷居が高いようにも感じられる。

 しかしながら「何となく敷居が高そう」というのは、新しいものに挑戦しようという意欲には欠ける言葉だ。世の中にはそれで良しとする人はたくさんいて、生き方の一つとして決して批判できるものではない。
 でも新しいことに挑戦していこうというのは、きっと私らしい生き方なんだと思う。そう考えると、ODRに参加しない理由はなくなってしまう。そういうわけで、これからODRにも積極参加していこうと考えている。

 難点がないでもない。私のクルマは距離計測に不向きだからだ。私のクルマのオドメータはディジタル表示で、100m単位の計測しかできない。ODRの多くは、10m単位の計測だから、その差となる精度をどうやって埋めるか。
 また、過去コースを走った時の修正率は、私のクルマは平均して2%以上。10km走って200mの誤差だから、修正率を掛け合わせるとはいえ、厳密に導き出そうと考えるとCP間の距離が長いほど不利になる。
 とはいえ、距離計算を正解に近づけるということは、結局は勝ち負けの世界に過ぎない。勝敗にこだわらず純粋に競技を楽しもう、という考え方も一方である。オリジナルのドライブラリーは参加することに意義がある、と割りきって考えることにしたい。

 さらに今後は、自作のオリジナルコースを作成していけたら面白そうだなと思う。
 私の場合は、居住地の近くに、箱根・富士・伊豆といった景色の良い観光名所がある。そういったエリアをコースに利用できないかと考える。観光地の多くは渋滞エリアが多いので、それを巧みにかわして作成すれば、案外面白いコースができそうだ。
 こう書いてしまうと「一刻も早くコース作成を!」と、期待してくれる方がいらっしゃるかも知ない。でも、まだまだ構想の初期段階に過ぎず、乞うご期待といったところ。いまはまだ夢物語の段階と考えてください。(笑)

 また忘れてはいけないのが、ドライブラリー人口増加のための啓蒙活動。
 これまでの啓蒙活動と言えそうなのは、友人を中心に何人かの人をドライブラリーに誘ったことくらいか。しかもそれをもって「ドライブラリーが趣味」になった人は残念ながらいなかったようだ。私は自分自身で面白いと思っているものを人に伝えるのは、あまり得意ではないのかもしれない。
 これからの啓蒙活動として、どんなことをすれば良いのか。例えば道の駅とタイアップしたコースを作成して紹介していく、というアイディアは面白いかもしれない。とはいえ具体的な構想が固まったわけではないので、これは今後の課題としておきます。

 今回は、今後のドライブラリー参加への抱負や、関連する活動を夢物語を交えて語ってみました。

[2000.06.26 by かっきい]

 


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◆首都高

 近頃、悪い遊び(?)を覚えてしまったようで、週末の夜中に首都高(首都高速道路)をドライブすることが多くなった。首都高の道路網は、都内とその近郊だけだから、秦野からは40〜50km先にあり少々遠い。そうまでしてわざわざ首都高まで乗りこむ私は、一体何なのだろう。

 首都高ほど評判の悪い高速道路はないだろう。昼夜問わず慢性的な渋滞。頻繁に起きる交通事故。夜半から始まる道路工事。高い通行料金、etc・・・。
 首都高を建設しようとした当時、建設費用は世界銀行から借用したそうだ。そのとき世界銀行からは、当時の東京の交通事情を調査して、建設予定の4車線(片側2車線)ではなく8車線(片側4車線)にしたらどうか、と提案があったそうだ。対する日本のお役人さんは、予算不足を理由にそれを拒否したらしい。
 今の首都高の交通事情を考えると、興味深いエピソードではなかろうか。

 それはさておき、昼間は混雑する首都高も、夜になるとさすがに閑散とする区間が多い。そんな中をクルマの流れに乗って走るのが嬉しい。
 まっすぐな区間、ワインディングが続く区間。後ろからものすごい高速で走る車がやってきたら、すかさず進路を譲る。さらに方々にある枝分かれや合流の区間でクルマの流れを見極め、前方に渋滞があると分ると迂回して別の区間を走ろうと判断する。

 次々とめまぐるしく変わる道路状況に、臨機応変に対応することでドライブしているという実感が湧く。いつだったか「ドライブは知的作業」という言葉を聞き、いたく感心したことがある。
 夜中の首都高ドライブはまさに、一瞬一瞬に適切な対応が必要な知的作業といえる。

 また東京の夜景もドライブの楽しみの一つ。立ち並ぶビル群の窓の明かりは本当にキレイ。またレインボーブリッジや、お台場にある観覧車の派手なイルミネーションなども美しい。
 美しい車窓の景色も、夜中の首都高ドライブに魅力を感じてやまない要素の一つなのだ。

 私が特に好きな区間は「湾岸線[B]」。数少ない6車線(片側3車線)の区間がもたらす開放感がよい。また東京湾トンネルなどのトンネル区間、ベイブリッジやつばさ橋などの橋梁区間などで次々と変わるシチュエーションも飽きさせない。
 またマイナーかもしれないが「池袋線[5]」も好きな路線の部類。直線区間が続いたかと思えば、突然急カーブが出現したりと、変化に富んでいるところが良い。

 反対にキライな区間は「都心環状線[C1]」と「渋谷線[3]」。いずれも頻繁に渋滞するのがマイナス要因。いずれの路線も昼間の走行は、謹んでご遠慮こうむりたい。
 ことに渋谷線の渋滞などは、迂回ルートとなるはずの中央環状線や、外郭環状道路の着工のメドすらたっておらず、なかなか良くならない道路事情に「何とかしてくれよお!」と文句も言いたくなる。

 不満たっぷりの首都高だが、その将来に期待するからこそ語気も荒くなるというもの。(あまりフォローになっていない?)
 そんな首都高とは夜中のドライブを通して末永く付き合って行きたい、そう思っている今日この頃です。

[2000.06.19 by かっきい]

 


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◆ドライブラリー(2)

 今回はドライブラリーを始めた頃のお話。

 某大手パソコン通信のフォーラムに、私が出入りしていた時のこと。そのフォーラムはドライブ好きのメンバーが多く集まり、その中の一人が「ドライブラリーは楽しいよ」という話題を持ち出し、PD誌(芸文社刊)を紹介していたのがドライブラリーを知るきっかけとなった。
 こうして3年前の2月、埼玉県のコース(SSAさんのHPによると「埼玉・日本史探訪95km」)を、フォーラムのメンバー8名(私を含む)とクルマ4台で走ることになった。

 私はドライバーとしての参加。その頃の私はソアラ(GZ20)に乗っていた。
 当時ソアラの外装はそのままだったが、内部はオーディオ機器やスピーカーなどを入れ替え、クロカンRVにでも搭載しそうな大きめのサブウーハーを実装。ちょっとマニアっぽい内装だった。

 スタート地点は関越道花園ICそばのマクドナルドだった。マクドナルドで朝食とる傍らでくじ引きをした結果、私のナビゲーターを務めることになったのは、年長でムードメーカーなお姉さま。何となく「ラッキー」な気分でのスタートとなった。

 当日は運悪く、"春一番"の強風が吹き荒れ、砂ぼこりが舞うあいにくの天候。その上クイズの設問も難しく、クイズの答えを探しに外を歩き回った後、クルマに戻った時「ホッとするね」などと2人で言い合っていたのを思い出す。
 そのときは参加者全員が、中間地点の「スーパータカラ(ブラジル人のための日用品店)」で昼食をとるべく集合する計画を立てていた。
 そして実際に「スーパータカラ」に全員集合したのは午後3時過ぎ。私達のチームともう1チームがずいぶんと遅れ、全員集合できたことに安心しつつも、ちょっと情けない気分になりながらの昼食となった。

 そうしてミスコースに次ぐミスコースの果てに、ゴール地点の「さきたま古墳」に着いたのは、日がとっぷり暮れた午後5時半過ぎ。ゴール地点の最終クイズは暗闇のため、結局見つかられなかった。

 その後、全員で夕食会を兼ねた反省会。その時の報告では、クイズが2〜3問ほど解けないorあてずっぽうというチームが平均的で、設問の難しさが印象的だった。
 さらにススキ野原でメガネを紛失した、走行中他車に接触した、等さんざんな目にあったチームもあった。
 おまけに距離計算で「スタート〜OD」と「OD〜1CP」を2つを足し忘れたまま応募。今になって思えば、いかにも初心者らしいミスで大減点を食らっていたことも分った。

 このように私のドライブラリー初参加は、強風の砂ぼこりの中、難しいクイズに悩まされ、後日の答え合わせでも散々の結果になった。これに懲りて「もうやめてしまおう」という気持ちになっても、全くフシギではないだろう。

 でも実際の今の私は、それから3年間の間に30以上のドライブラリーコースに参加。昨年の一時期リタイアしていたが、今年に入ってからは3回PDQMに参加している。
 なぜ苦しい思いを味わってでも、ドライブラリーを続けるのか?その答えは明快。

「ドライブラリーは楽しいから」

 近頃のドライブラリーへの参加パターン、遠出ドライブしながらのドライブラリー。回りの人からは「遠出してまでよくやるね」と言われる。
 遠出ドライブの疲労と眠気の中でも、ドライブラリーのコースを走りつづけていられるのは、初めて参加した埼玉のコースでの苦々しい出来事が原点になっているからだと思う。

[2000.06.08 by かっきい]

 


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