ひとりごと(2000年2月分)

 

◆飯田史彦先生と生きがいシリーズ三部作

 今回は著書の紹介。飯田史彦先生は福島大学の助教授で、経営学の先生です。こう書き始めると、ずいぶん難しい著書の紹介ではないかと思われるかもしれません。でもその心配はご無用です。
 これから紹介する「生きがいシリーズ三部作」は、平易な表現と分りやすい内容で、幅広い層の人達が読み下せるようになっているのです。

 生きがいシリーズの発想は、経営者の立場から労務者達にいかに生きがいをもって仕事に当らせるか、ということが出発点だったそうです。
 その結果、生きがいの泉源として、人生とは学びの場であり、人は生まれる前に試練を自分で計画していること、人が一生を終えた後は、自分が学びきれなかった部分を補うべく、再び試練を自分に課して生まれ変わる、などなど。そういった驚くべき発想に突き当たったのです。

 死は終わりではない、人は生まれ変わる、という考え方を大学の学者が世間に問うことは、実に勇気がいることだと思うのです。もしかしたら、自分は学会から追放されてしまうかもしれない、そう思っても不思議ではありません。
 事実、唯物論者から多大な妨害を受けた、と先生自身が述べておりました。先生が著書で世に問うてからは、随分ひどい中傷を受けたであろうことは想像に難くありません。もしかしたらこれも先生自身が、生まれてくる前に自ら試練を課すように計画したのかもしれませんが。

 自分自身、4年ほど前に生きがいシリーズの第一弾となる「生きがいの創造」を読んだ時は、「ふうん、こんな考え方もあるのね」と感じ入り、それなりに良い内容と思い、周囲の何人かの人には紹介したものです。
 でも当時の自分が、この著書で紹介されるような不幸な人達とは違って、心の救いをそれほど必要としなかったこともあり、生きがいシリーズの発想にある深い意味については、思い至らなかったのです。

 そんな私にも転機が訪れました。深い苦悩の日々を送るようになったのは、去年の夏ごろのことだったでしょうか。
 突然降ってわいたように、とある人からこっぴどい中傷を受けるようになったのです。私は人間関係で悩み始めました。また仕事でも思うように成果が出せない日々が続き、重苦しい雰囲気が自分の回りを包み始めたのです。

 そんなあるとき書店で、生きがいシリーズの実践という内容の「ブレークスルー思考」という著書を見つけたのです。私は早速その本を買い求め、むさぼるように読み始めたのです。
 先生の著書からは、「人生は自分で試練を計画している」、「試練を乗り越えようとするあなたは素晴らしいチャレンジャーなのだ」と、繰り返し励まされる言葉が散りばめられていたのです。
 その著書を読んでから、平静の自分を取り戻していくのはそれほど時間を要さなかったのです。

 人生に苦しんでいる方、むなしさを感じている方、あるいは思い通りにならないと感じている方は、先生の著書を強くオススメします。人生に対する新しい考え方に、きっと目からウロコが落ちる思いがするでしょう。
 あわせて飯田先生のホームページも紹介します。まずはこちらから見ると良いでしょう。心優しい先生の人柄がきっと伝わってくるものと思います。

◎生きがいシリーズ三部作
「生きがいの創造」「生きがいのマネージメント」「生きがいの本質」
飯田史彦著、いずれもPHP研究所刊(各\1460,\1429,\1524(税別))
「ブレークスルー思考」
飯田史彦著、PHP研究所刊(\1600(税別))

◎飯田史彦先生のホームページ−−−「飯田史彦研究室へようこそ!」 http://www2.mwnet.or.jp/~fumihiko/

[2000.02.21 by かっきい]

 


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◆梅の花

 日本という国は広いもので、北国では冬真っ盛りで雪がさんさんと降り積もる所あり、南国では早くも桜の便りが聞こえる今日この頃。そんな中で、近所で梅の花が咲いていたというお話。

 先々週ころ、私がいつも気に入ってクルマを走らせてるある農道でのこと。終点の小田原市内の曾我という場所で、梅の木が白い花を咲かせているのに気がつきました。もともとこの曾我という場所は、「曾我の梅林」の名で、小田原市内でも梅の木がたくさんあるということで有名な場所なのです。
 この梅の木に小さな花を咲かせているのを見て、水戸市にある偕楽園まで梅の花を見に出かけたことを思い出しました。

 水戸市に出かけたのは、3年前の3月のこと。平時の水戸市内はクルマの渋滞が少ない良い街と聞いていたのですが、その日は梅まりの最中ということで、市内のあちこちで渋滞していました。

 お目当ての偕楽園に何とかたどり着くと、日本三庭園の一つと呼ばれる通り、そこは広い庭園でした。梅の樹木はそれぞれの花の色に合わせて植え分けられ、あそこは赤い梅の花、こちらは白い梅の花、といった具合に楽しむことができたのです。その広々とした整然としたさまは、日本庭園のそれというよりも、西洋風の幾何学的に植え分けられた庭園、といったおもむきを感じました。

 また水戸市内の「山翠(さんすい)」という料理屋で昼食をいただきました。そこでアンコウの肝やら、釜飯などを食べたのです。釜飯は30分ほど待たされて出てきましたが、他の小料理は比較早く出てきたので、友人と「おいしいおいしい」といいながらパクついていました。そしてすぐに空になった小皿を見ながら、友人と二人で苦笑いしていました。
 あのお店、どの料理も美味しかったのでまた行ってみたいですね。ただし少々お値段が高かったんですけれど。

 今回は梅の花にまつわる思い出話でした。

[2000.02.20 by かっきい]

 


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◆プロレジ・シェアレジ

 最近私がハマっているのがこれ。「ベクター」のwebページで紹介している、プロレジ・シェアレジ(←ここをクリックするとジャンプします)のコーナーで提供されているソフトです。
 たとえば、かつてスーパーファミコンで売られていた「不思議のダンジョン 風来のシレン」などが、Windowsで動かせるソフトとなって売られているのです。

 この「プロレジ・シェアレジ」(以下プロレジと略す)は、ソフトウエアの代金徴収ををベクターが代行しているシステムを指しているようです(プロレジの正確な定義は未確認)。
 従来からベクターで扱っていたソフトウエアが、個人や小規模な会社が提供したものであるのに対して、プロレジはある程度名の知れた会社(不思議のダンジョン 風来のシレンは(株)チュンソフトの提供)が製作したものが多いのが特徴です。

 このプロレジは値段が安価、というのも魅力。「不思議のダンジョン風来のシレン」の場合、¥1680と市販のゲームソフトに比べると随分安いのです。
 またプロレジの支払いシステムはクレジットカードがあれば、簡単な手続きで料金を支払うことができます。昨今は、インターネット上で買い物ができる「インターネットショッピング」が、しばしば話題になっていますが、このプロレジもそのインターネットショッピングの流れと言えそうですね。

 「不思議のダンジョン 風来のシレン」の場合ですが、料金未払いでもある程度(時間にして2〜3時間程度)遊ぶことができました。ある程度遊んで、気に入ったらお金を払ってパスワードを入手して、続きを遊んでくださいというシステムです。
 いわゆるクソゲー(面白くなくてお金を損したなあ、と思わせるゲームソフト)を誤って買ってしまう心配が減るので、良いシステムだと思いました。

 それにしてもなあ。私が現在使っているパソコンは、ゲームには不向きだということを再確認したのです。150MHzという遅いマシンでは、256×224ドットの小画面でも、キャラクターの動きが少々重く感じられます。
 いっそのこと、もっと高速なパソコンに替えるか、さもなければグラフィックボードを搭載するか。いずれにしろ、購入価格はソフトウエア本体よりも高くつきそうです。

 なおプロレジで扱っているソフトはゲームだけに限りません。少し調べた範囲では、税金の確定申告や住所入力支援、などという真面目な(?)ソフトも扱っています。
 このプロレジには、もしかしたらあなたが今まで欲しかったソフトが埋もれているかもしれませんね。

[2000.02.06 by かっきい]

 


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◆盗難

 最近、会社で盗難に遭いました。盗られたのはテレホンカード4枚。いずれも人からの貰いもので、未使用の50度数のカードでした。そのテレカは自分の事務机の上に敷いてある、透明なマットにはさんで置いていました。

 透明なマットの間にはさんでいたので、テレカが置いてあるのは丸見えの状態でした。見る人によっては、"盗ってください"と言わんばかりの置き方。言うまでもなく私の不注意の部分があり、「盗られても仕方がなかったのかなあ!?」と、あきらめの気持ちでいるのです。

 しかしながら「同じ会社に勤める人が窃盗犯なの!?」と考えると、なにやら複雑な気持ちになってきました。
 最近は会社の業績が思わしくなくて、給料も少なくなってフトコロが寂しくなって、それが今回の窃盗につながったのかな?盗ったテレカはどうするつもりなのだろう?金券ショップにでも売るつもりなのだろうか。それにしても窃盗を働いた人は、心が貧しい人なのかな?あるいは、人の心の痛みが分らない人なのかな?
 そんな風に窃盗の動機や、犯人像ばかりが気になっています。

 私が尊敬する会社経営者の一人、故松下幸之助氏は、自分の会社が大きくなり始めた頃のエピソード。社員の中から不正を働いた者が現れた時、「社員が多くなると不正を働く者が現れるのは仕方ない」と言って、不正を働くものありきでその対策を考えていたということです。
 このエピソードは、今回の事件に対してそれなりの示唆を与えます。うちの会社の事業所には、3000人からの人が働いています。顔見知りの人は、せいぜいそのうちの10分の1程度でしょう。顔見知りの人達だけなら、このような窃盗事件は起こらなかったような気がします。
 しかしそうはいっても、いざ自分が盗難の被害者になってしまうと「同じ職場に犯人がいるなんて信じたくない」という気持ちになってしまい、少し人間不信になってしまいそうです。

 おまけに職場の上司にこのことを報告すると、「物品の管理の仕方が悪い」と言われ、私が盗られたものをあきらめてしまったのをよそに、分りきったことを注意される始末。それでほんのちょっとだけ上司不信、ウーム・・・。

 そうはいっても、自分の所持品の管理はきちんとしないといけないは確かです。その一件以来、貴重品は施錠できる場所に保管して、こまめに鍵をかけるなど心掛けるようになりました。少なくともそれで、出来心で起こされる窃盗の心配は減らせるというものです。
 みなさんも身の回りの所持品の盗難には注意してください。

[2000.02.05 by かっきい]

 


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