最近思ったこと日記


2/15 隠しダンジョン論

最近のRPGのは、「隠しダンジョン」という物がよくある。
ゲームをクリア、もしくはそれに近い状態にならないとはいることができない、
シナリオとは関係ないダンジョンのことだ。いわば「おまけ」である。
本編の延長みたいなものではつまらない。
ゲームバランスや世界観なんかも度外視して、
先へ進むための条件なんかも異常なほど厳しくしたりして、
思いっきりマニアックに作ってしまってもいいのである。

GBドラクエ3の「氷の洞窟」なんて、まさに理想的な隠しダンジョンである。
まず、第1フロアには、今までの中ボスが通常モンスターとして現れる。
モンスター系だけならまだしも、改心したはずの盗賊、カンダダまで出てくる。
しかもパルプンテで砕け散ったりする。既に世界観を崩している。
また、ボスというのは、たいていHPが非常に高い。
そんなものが通常モンスター扱いなのだから、バランスも無茶苦茶である。
さらにすごいのは、先に進むための条件である。
今までのモンスターメダルをすべて集めてこいと言われる。
メダルを落とす確率は、宝箱ほどではないものの低めだ。
出現率の低いモンスターもいるので、収集は困難を極める。
また、隠しボスからもらう特殊メダルもふくまれるので、
隠しボスを少なくともあと3回、しかも規定ターン以内に倒さなくてはならない。
何とかクリアすると、今度はメダルをもう一枚ずつ集めろと言われる。
ここまで来ると素晴らしいの一言だ。
(メダルはすべての冒険の書で共用で、しかも通信交換できるので、
家族や友達と協力すればそれほど大変でもないが)

隠しダンジョンというものは、こうでなくてはならない。
今までのドラクエの隠しダンジョンは、今までのマップを適当につぎはぎし、
ちょっと強いモンスターを配置し、結構強い隠しボスを配置しただけの物だった。
GB3の隠しダンジョンは、今まででもっとも隠しダンジョンらしい隠しダンジョンといえる。
その奇抜さゆえ、ドラクエファンからも賛否両論のようだが、
これはシナリオの一部などではなく、あくまでも「隠し」で「おまけ」だということを忘れてはならない。

お菓子のおまけにお菓子を付けたって、それはただの増量セールにしかならないではないか。

 

2/6 子供のゲーム離れ

今の子供は、一昔前の子供に比べてテレビゲームから遠ざかっている気がする。
あくまで「気がする」だけで、実際に自分は「今ここに生きる子供」と接触していないのだが、
何となくそういう傾向があると思う。
その原因は、おそらくゲームが社会的に認められたことにあるんじゃないかと思う。
一昔前、ゲームは悪者だった。頭が悪くなる、目が悪くなるからと親に注意され、
犯罪もゲームが原因、ともよく言われてきた。
ゲームセンターは不良のたまり場というイメージがあったし、
ゲームをやることに対する、どこか暗い後ろめたさのようなものもあった。
しかし、今ではどうだろうか。ゲームはごく一部の大人を除いて認められてしまっている。
すっかり明るいものになってしまった。
サブカルチャーだったものがメインカルチャーに近づいたのだ。
これが、子供を興ざめさせているのかも知れない。
誰でも経験があるだろうが、子供というのは、禁止されたことをやりたがる。
昔はゲームがまさに「禁止されたこと」だった。
子供は、大人達に止められながらも、その「禁止されているけど楽しそうなもの」に近づいていった。

今では、止めるものはいない。むしろ向こうから、明らかに子供を対象とした
-たいていは大人の幻想による歪んだ子供像だが-
ゲームもかなり多く出てきている。
子供たちも、そういったゲームにならされてしまっている。
昔の子供が、「ゲームは1日1時間」に従いつつも、
ドラゴンクエスト2を攻略本無しでクリアしたような根性を、
今の子供が持ち合わせているのだろうか。

メインカルチャー化したゲームが子供を弱くした。
こう言っても過言ではない気がする。

 

1/21 六曜

カレンダーのすみに書いてある、大安とか友引とか仏滅とかの、あれである。
最近(といってもかなり前から?よく知らん)、あれを廃止しようとする連中がいるらしい。
奴らの言い分によると「過去の迷信のために、結婚式や葬式を開ける日が制限される。
非科学的で非合理的なものは廃止すべきだ。」
のようなことらしい。
まったく。寝言は寝てから言え。結婚式や葬式といった「儀式」そのものが
科学とはかけ離れた、非効率、非合理極まりないものであることを忘れて。
大体、何でもかんでも科学的、合理的に考えるのなら、葬式ほど無駄なものはない。
時間を割いて、大金を費やし、墓地には莫大な土地を使って。
それでも行うのは、「迷信」のために他ならない。
「迷信とは関係なく、単純に死者を悼む気持ちだ」と言ったところで、
その考え方自体が既に「迷信」の影響を受けている。
極端な話、世界には遺体を森に放置して鳥に食べさせる風習(鳥葬)だってある。
日本人がそうしないのは、土地がないからか?死体遺棄が罪になるからか?
違う!長年伝えられてきた、神道や仏教の影響だ。
本当に迷信を切り捨てて、すべてを合理性の元に行うというのなら、
完全な無神論者、唯物論者になってから言え!

もちろん、すべての人間がそうなれるほど強くない。
だから宗教というものが生まれ、今なお存在しているのだ。
仮にすべての人間があらゆる宗教や迷信を捨て去ることができたとしても、
そこに残るのは無味乾燥な社会だけであろう
そんな単純なことにも気付かずに、目先の都合の悪い部分だけ取り除こうとするとは。

ちなみに、部落解放同盟系の人たちが、この六曜に反対しているらしいが、
あちこちの話を見る限り飛躍しすぎているとしか思えない。
長年差別されてきた時代があったにしても、あらゆる日本の伝統を否定したり、
根底にある「権力=悪」的な意識には疑問を覚える。

念のため言っておくが、自分は部落差別には絶対反対だからね。
あんなのは伝統なんかではなく、時の権力者が都合のいい支配のために作った階級なんだから。
といっても、学校では表面的なことしか教わっていないし、
身近な地域にある問題でもないし、部落の知り合いもいないので、
実態は本で読むなどでしか見たことがないんだけど。

 

12/22 「情けは人のためならず」

「情けは人のためならず」。うちの読者なら当然わかっていると思うが、
「人に情けをかければ、それはその人のためだけではなく、自分にもいいことがある」
というような意味だ。しかし自分は、しばらく前まで、このことわざの意味を間違ってとらえらえていた。
『情けをかけることは、その人のためにはならない』と言う意味でとらえていたんだろう」
と、一般の人は思うだろうが、僕は別の方向に間違えた。
「人に情けをかけたからって、自分にいいことがあるとは限らない」と。
さらにわかりやすく言えば「人に情けをかけても、その人から見返りがあるとは限らない。
それどころか、裏切られることもある。世の中そんなに甘くない」

つまり、「人」を自分のこと、すなわち、情けをかけられる側ではなく、
情けをかける側だと勘違いした上で、間違った解釈を当てはめ、
結果として本来の意味の正反対になってしまったというわけだ。

 

9/19 プリン

プリンといってもポケモンではない。ましてやサンリオのキャラクターであるはずもない。食べ物のプリンだ。
今日それを食べようとしたら、後ろに「プッチン」がついていた。せっかくだから皿に盛ろうと思い、ふたを開けて皿の上でひっくり返したその瞬間、
プッチンするまでもなく「ズルッ」と皿に滑り落ちてしまった。せっかく自分でプッチンしようと思ったに。何か損した気分。

 

9/16 雑誌

僕は雑誌の立ち読みが好きだ。無駄な金を使いたくないという理由もあるが、何となくあの雰囲気も好きだ。
クラスの自己紹介で、「趣味は立ち読みです」と答えてしまったほどだ(馬鹿)。
読む雑誌は、やはりゲーム物が多いのだがいつも気になることがある。
なぜかどこの本屋もゲーム雑誌と美少女アニメ雑誌を同じ棚に置いてあるのだ。
これはちょっとやめて欲しい。人目が気になる。それにゲーム雑誌は小さい子供も読むんだし。
まぁ、これは偏見かも知れないが、僕と同じ考えの人も沢山いると思う。ゲームファン=アニメファンは成り立たないと思う。
最近のゲームにも美少女物が増えてきたから仕方ないのかも知れないが。

 

9/13 給食

今日は久しぶりの更新ということもあって2本立て。
今年4月に中学を卒業して高校生になってから、妙に学校給食が懐かしくなった。
給食というとまずいイメージがあるかも知れないが、僕は好きだった。何というか、あのごった煮的な感覚が。
給食センターではなかったのもまずくない原因だったかも知れない。
しかしうちのクラスの連中は、よくのこしていた。僕にとっては家の飯よりはうまかったけどなぁ。
特に好きだったのは「サフランライスのクリームソース掛け」というものだった。
あまり有名な料理じゃないかも知れないが、僕の住む流山市の小中学校ではポピュラーなメニューで、2月に1回は出た。
他の地域でも給食として出るのだろうか?

 

9/13 名前

皆さん知っての通り、僕の名前は「かける」だ。漢字で書くと「翔」だが「しょう」と読まれるおそれがあるので普段はひらがなで書いている。
まぁ、紛らわしい名前なのだがこれを利用して遊ぶこともできる。
たとえば、勧誘の電話がかかってきたとする。
勧誘「家庭教師の○○です。しょう君はいますか?」
かける「しょう?そんなのうちにはいませんよ。間違いじゃないっスかぁ?」
勧誘「すいません、失礼しました。」
これが決まると本当にすっきりする。全国のかけるさん、ぜひやってみましょう!(っているのか?)

 

8/21 黒板の黒

よく、「黒板は緑なのに何で黒板って言うの?」という人がいるがこれはまちがっていると思う。
そういうことを言う人に聞くが、黒砂糖だって茶色いのに黒砂糖じゃないか。白い砂糖と比べると黒いからである。
黒板だってまわりの壁や天井と比べれば十分黒だと思う。「緑」というほど鮮やかな緑でもないし。

そういえば今朝ついにド忘れコダックを入手した。関係ないけど。

 

8/19 割り箸

いきなりだが、僕は割り箸が嫌いだ。別に環境保護とかそういう事じゃない。単純に木の感触が嫌いなのだ。
そもそもなぜ割り箸というのが使われるのか考えたことはあるだろうか?
「他の人が使った箸は汚らしい」「洗う手間がかかる」これは理由にならない。
普通の店(ファーストフード店などのぞく)ではスプーンやフォークなどは洗って繰り返し使っている。
なぜ、箸だけ使い捨てを使うんだろう?もっとしっかりした、普通の箸を洗って繰り返し使えば経費削減にもなるだろうに。

 

8/5 例の大予言について

最近何かと話題になるノストラダムスの大予言。「7の月」は実は8月だったなどといわれている。
グランドクロスとか言うドラクエ6の技(消費MPの割に弱い)みたいな物や、衛星墜落などの訳分からない解釈が氾濫している。
一体誰があれを終末予言だと勝手に解釈したのか?あの予言には「恐怖の大王が降ってくる」とは書いてあるが、
地球が壊れるとか人類が滅びるとかは何一つ書かれていない。つまりただ「降ってくる」だけだ。
アンゴルモアの大王とかいう野郎が復活するらしいがそんなやつ僕は知らん。第一あの予言自体信じていない。
それに、8月に何も起こらなかったら「実は○月だった!」とかいう輩が必ず出てくる。どさくさに紛れて一稼ぎしようとする不届きな奴らだ。
まぁ、つまり言いたいのはあのヒゲ親父の予言を信じてもいいこと無いよ。インチキ学者や出版社が儲かるだけだよ。ということだ。

 

8/3 ハイジャックのこと

ちょっと前のことだが、どっかの航空会社の飛行機がハイジャックされ、機長が殺されたことがあった。それについて思ったことがいくつかある。
まずは、なぜ犯人の名前や顔が出てこないのかと言うことだ。少年犯罪でもあるまいし。ああいう凶悪犯の顔を公表しないのはなぜだろう?
もう一つ気に入らないのは、犯人の男はフライト何とかという飛行機操縦ゲームの影響で本当の飛行機を操縦してみたくなったということで
仮想世界を批判する阿呆なマスコミどもだ。「現実と仮想の区別が・・」等と言い古されたことをほざいたあげく
定番のテレビゲーム批判。そんな事するのは一部のいきすぎた大馬鹿だけだということが阿呆なマスコミには分からないらしい。
世間の善良ゲーマー達はこのようなマスコミの文句をもっと言ったらいいと思う。

 

8/2 ホームページ閉鎖を許すな!!

ポケモンなどのリンク集をたどっていくと、時々無性に腹が立つことがある。閉鎖しているホームページを見つけたときだ。
面白そうなコンテンツがあると説明されているページならなおさらだ。
僕は、ホームページを閉鎖するのは非常に悪いことだと思っている。個人の自由、という人もいるかもしれないが、
ホームページを一般に公開してしまった時点でそのホームページは管理人だけの物ではないのだ。
お気に入りに登録している人、掲示板にカキコしてくれてる人、リンク張ってくれてる人・・・
ホームページは彼ら(彼女ら)すべての物だ。管理人だけの都合で勝手に閉鎖することは許されない。
ホームページを閉鎖するということはそれらの人たちの気持ちを踏みにじることだ。
自分のホームページに責任の持てない者は初めからホームページを公開しては行けない。それほどの覚悟が必要だと思う。
どうしてもホームページを閉鎖しなければならないときは、

1,経済的にやばくなってプロバイダーとの契約ができなくなったとき
(バイトで金を稼ぐ、ネット仲間に引き継いでもらう等努力はすること)
2,学校から作っている人は、その学校を卒業、中退したとき(なるべく家で引き継ぐこと)
3,メーカーなどから削除以来が来たとき(最大限の抵抗はすること)

この3つの場合だけだと思う。しかしどの場合も生き残る道は残されているのでくどいようだが努力はすること。
それ以外は絶対にホームページを閉鎖してはいけない。もし閉鎖するハメになったら今までこのページに来てくれた人で
メールアドレス分かっている人すべてに詫び状を送らなくてはいけない。それが最低限の礼儀だ。
よく「誠に勝手ながら○○は閉鎖します」というのがあるが僕に言わせれば「バカヤロー!!だったら閉鎖するんじゃねぇ!」である。
「運営が大変になった」というのは全く意味不明である。更新は休止しても縮小経営などでページを存続させておけばなんとかなるはずだ。
でも、こんなところで力説してもしょうがないかもしれない。本人に言わなきゃ気づかないかもしれない。
結局言いたいのはホームページはどんな理由があるにせよホームページを閉鎖してはいけないという事だ。
かけるのページは絶対にみなさんの気持ちを踏みにじるような馬鹿なまねはしない。