チャオ!ベトナム:ベトナムに行くまで [戻る]

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ベトナムに行こう!

徳田君のベトナム旅行情報


このページは徳田君が初めての海外旅行先ベトナムでの体験を まとめようとしているものです。
もし、ベトナム旅行をした上での他の情報や体験などがあれば お寄せ下さい。また、語学力がないためかなりの憶測などが入ってますが、 その本当のところや誤りなど分かる方、どうぞ、メール下さい。
また、よろしければ体験談などもあれば一緒に掲載させていただきます。

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96年8月6日〜9日 旅行日誌

1日目

8月6日(火)午前 晴(神戸)
 朝5時半に目が覚める。いよいよベトナムに向け出発だ。 未だ実感がわかない。昨日まで大学で普通の生活をしてたつもりだのに、 今日の午後はベトナムなのだ。
 TCATに乗りたかったので、神戸の実家から出発することにした。 そこで、震災後復旧したJR新長田駅より電車に乗る。 JRはここ1年くらい乗っていない。以前は駅から長田港が見えたのに、 新しい駅舎は壁で見えなくしている。長田港のすぐ近くがベトナム人の テント村がある南駒栄公園だ。ベトナムの子供たちと仲良くなることも なかったら今回のベトナム旅行そのものはなかったから、 その南駒栄公園は最後に見たかったから少し残念。 でも、昨日までサンザン今回の旅行のことを言いふらして来たから 「ま、いいっか」
 ベトナムの人から聞いているベトナムのイメージ 「ベトナム暑いでぇ」「汚いでぇ」「バイク多いでぇ」 「どこでも子供がゾロゾロついてくるでぇ」 「ベトナムのバスはブタも乗るんやでぇ」 ブタも乗るバスって何処に行けば見られるのか、 多分これから行くサイゴンから先に足を延ばさなければならないんだろぅ。
 JR三宮からTCAT行きのバスに乗ってポートアイランドの船乗り場へ。 TCATの発着場の近くは仮設住宅の第5と第6がある。昨年8月以来 長田の人もここへ住んでいる。ベトナムへ旅行しようとする僕と砂埃の舞う 暑い日を迎えようとする仮設住宅…少しばかり違和感がある。
 船はこれから「イカニモ海外旅行イキマス」という人が目立った。 ラフな姿で車輪付きの大きな鞄をひきづった女性グループや家族連れ。 大きなスーツケースを持った背広姿の男性。不似合いなサングラスをかけた 往年女性グループ。僕は震災のとき荷物を入れて歩いた鞄ひとつ、 木綿のズボン。
 関西空港は清潔で、人が多いくせに人のにおいを感じさせない。 ここへ来るのは2度目。チェックインまで1時間以上あるので、そこら辺 ブラブラしたついでに地下のローソンで「うつるんです」やビニール袋など を買い足す。空港において唯一外界と同じ値段だと僕は思ってるけど、他に 安いとこあるかな?
9時、チェックイン開始。ベトナム航空のカウンターへ行って初めて、 これから乗る飛行機の「ベトナム航空・日本航空共同運行便」の意味を知る。 つまり便名は日本航空とベトナム航空とそれぞれ別についているけど 実体はベトナム航空の飛行機1機だということ。なぁ〜んだ。日本航空の カウンターは結構人がいたけど、ベトナム航空のカウンターには並ぶ人も いなかった。
9時半。することもないので出国手続きその他を済ませることにした。 空港使用料の支払い機。目の前でベトナム人とおぼしき人物がモタモタ している。(どうしてベトナム人と思ったかわからないけど、直感で そう思った。知り合いのベトナム人と同じ匂いがした)小銭をじゃらじゃら と入れるのだが、発券ボタンを押すとジャラジャラとお金がかえってくる。 どうやら、5円玉やら入れているせいらしい。 あまりもたもたしてるので、僕の100円玉を出して交換してあげた。 それまで何もせず見ていた係官があわてて飛んできたけど、 とにかくそれでうまくいった。 そのベトナム人らしき人物と話がしたかったけど、その彼はさっさと出国 ゲートへと消えていって見失ってしまった。
 出国手続き。難しい作業はなかった。フィルムバックも問題なかったが、 結構人が溢れていたので時間はかかった。でも、それでも11時20分の 出発までまだまだ時間がある。出国ゲートの向こう側は実に退屈な空間だった。 飲み物類の値段も高い。僕のポケットには100ドルと1万円と少し。 これが今回ベトナムへ持っていく全財産。 「少し」の部分は日本に帰ってきてからの電車賃などのつもり。 ベンチではトランジットやトランスファーの白人が寝てたりする。 テレビの前は「アラレちゃん」をやっていて言葉がわかるのか中国語を喋る 集団が陣取っていた。10時50分の搭乗開始アナウンスが流れるまで 本当に暇だった。でも、まだベトナム行きの実感はわかない。
 いよいよ搭乗。ウィングシャトルという無人電車で空港の端まで行く。 ベトナム航空のツルのマークの飛行機が翼を休めている。DC10かと 思ってたらボーイングだった。機内に入るとアオザイのスチュワーデスが 英語で迎えてくれる。これこれこれ! でもピンクのアオザイは安っぽい。 席に案内されて座る。右端の窓際だ。で、左手つまり機内を見ると、 反対側の窓際に座る人物と目があった。さっきのベトナム人! 軽く会釈をすると会釈を返してきたので、チャンスとばかりその隣の席に 陣取って話をする。やっぱりベトナム人。日本へ10日間の研修に来ての 帰りだという。さっそくスチュワーデスに言って席を彼の隣に変えて貰った。 ずうずうしい? 出発まで30分。目の前の席の日本人と3人でベトナムに ついて話をする。その日本人はパックツアーでサイゴンへ行くという。 聞いたら僕と同じ日程でのベトナム滞在。ホテルも決まっているその人と 僕の旅の違いについて帰りに話が聞けるかなぁと少し期待する。
隣(僕が勝手に隣に座ったんだけど)のベトナム人、ファッさんは ベトナムツーリストに勤めてるんだと言った。どうりで日本語がうまいはず。 いろいろベトナムについての話をきかせてもらった。 良かったのは、機内放送のベトナム歌謡曲について教えて貰ったこと。 スコールがどんな風に降るのかを聞けたことなど。 入出国記録票のベトナム語を読んでもらったりもしたので有り難かった。 が、行きの飛行機の中でおさらいするつもりだったベトナム語は完全に 棚上げで、彼が日本旅行のためかなり疲れているらしく意外にもすぐ寝て しまった後は音楽(ベトナム歌謡曲)をひたすら聞いて過ごした。
8月6日(火)午後 晴(サイゴン)
  ベトナム人ファッさんのベトナム情報は非常に有り難かったけど、 ひとつだけ、ホテル情報だけ少々迷惑だった。旅行会社に勤めているだけ あってガイドブックにあるような高級ホテルに泊まれ泊まれとうるさい。 1泊80ドルからだという。みゅう。
 そんなこんなしているうちに、飛行機は高度を下げてサイゴンへ。 ベトナムの国土は美しかった。どこまでもうねる川はサイゴン川。まっすぐ 続く道路に人が歩いているのまで見える。一面の緑の絨毯の中にいくつもの 道路と川が走っている。いよいよ高度を下げると人の姿がはっきり識別できる くらいにまでなる。まだビル街は見えない。サイゴンという街は面積的には 小さな街らしい。街らしいのが見えたときに着陸。アスファルト舗装じゃない のでガタガタ揺れる滑走路をえんえんと走る。広い空港。途中に見えるのは 雑草のおいしげった中にある倉庫など。朽ちたかまぼこ型の駐機スペースも ある。非核マークがスプレーで落書きされた煉瓦の壁などもあちこちにある。 先の「アメリカとの戦争」のときの遺物と思った。そのうちやっとスピード を落として飛行機は停止した。遠くに見えるちっぽけな建物が何というのか 空港ビルだ。タラップを降りてバスで移動するらしい。
 飛行機にタラップがかけられ、機体の外へ。あちこちに水溜まり。 ファッさんは「スコールが降ったな」 スコールは毎日30分くらい 激しく降るものらしい。ベトナムの空気にやっと触れる。暑い…が たいしたことはないと思った。出る汗がどんどん乾くがわかる。 日本で言えば、クーラーの効いた車の中で直射日光を浴びるあの感覚に 近いものがあるとおもえた。でも、空気には独特の匂いがする。空港ビル まで移動するバスはブロブロロロロとうなりをたてて動き出した。この時 にはこのバスがやかましい乗り物だと思った。
 入国手続き。列を作って順に処理をしていく。噂で聞いていたほど 非能率ではなかった。結構素早くさばいていく。愛想がない…と思ったけど、 日本の入国審査官も同じくらい愛想ないということが帰りにわかったので、 ベトナム特有ということはないだろう。 税関。なんかしらないけど、一度はねられた。言葉がわからないので… というより何も言ってくれないので何がわるかったかわかないので、別の列 に並んだら、持ち込み荷物の「CAMERA」と書いたところに 「PHOTO」と書き足して通してくれた。何故そうなるのかよくわからない。 あと、入国時に鞄の中を調べられるというがX線で透視しただけだったので、 いっしょにいたファーッさんが不思議がっていた。おかげで、30分かかる と言われていた入国手続きも全部で10分程度で終わった。えらいあっけない。
 いよいよ入国。ファーッさんが割り勘でタクシー乗らないかというので その話に乗ることにした。先の日本人はツアーの係員が迎えに来ていると いうので空港出口で別れる。出口付近にはいっぱいの出迎えの人がいた。 外国から帰るベトナム人を迎える家族というのは想像してたより少なかった。 確かに柵に群がっていたのではあるけど。あと、ファーッさんの仕事仲間と 思われる人たちが沢山それぞれの団体の出迎えに来ていた。
 エアポートタクシー。もぐりタクシーも沢山あると聞いていたが、 ファーッさんがどんどん先に歩くので迷うことなくさっさとタクシーの中に 収まってしまった。で、ファーッさんは途中自分降ろした後、 日本人をモンディアルホテルまで連れて行けと言ってる。 モンディアルはファーッさんのお薦めホテル。とりあえず僕は市内まで 入れればいいので「どこでもいい」と空返事しておいて、車は空港を出発。 空港ゲートを出るやいなや、いきなりバイクバイクバイク。ベトナム語で セーホンダ(Xe Honda)がいっぱい。僕が驚いて「噂通りバイクが沢山」 というと、ファーッさんは「夕方のラッシュアワーはこんなものではないよ」 という。とにかくやかましい…というのが僕のバイクに対する感想。 プープーパーパー! 
 ホテル。途中、ファーッさんの家だというところで一旦泊まってファーッ さんは下車。そこまで60000ドン。ファーッさんは4ドル払おうとした ので僕は3ドルでいいというと、3ドルとあとドルにならなかった半端の 十円玉などをじゃらじゃらとくれた。多分それだけで1ドル近くはある。 で、車内に日本人がひとりになったところで運転手が「本当にそのなんちゃら ホテルに行くのか?」と英語で聞いてきた。妙な英語だったけど意味は わかったので「チープホテル。ウォントゥーステイ」というと、運転手は 大きくうなずいいてファングーラオに行くと言った。うん、その名前なら 知っている。安いホテルが沢山集まってるところだ。
 安ホテル街。運転手がフロントに部屋はあるかと聞いてくれる。 1軒目は部屋がなかったのか高かったのか運転手が「さっさと出よう」と 合図した。2軒目。フロントのおねえさんは日本語が喋れる。 「部屋ある。どんな部屋いい?」と日本語で聞く。 思わず「チープルーム」と答えるので「どのくらいの予算?」と英語。 「フロム10ダラー トゥー20ダラー。 ドントウォント エアコンディショナー」 と怪しげな英語で応答する。「あぁ」ってなもんで、案内するからそこで 待てとソファーを指差された。その時点でタクシーの運転手が荷物を降ろして くれたので、お金も払う。メーターは90000ドンに満たなかったように 思うが、ドルで払うと9ドルになる。空港でドンに両替する暇がなかったのが この辺りで災いしている。ドンでお釣を貰うべきだったのかもしれない。
ミン プーッ。泊まったホテルの名前。先ほどのホテルの真ん前。どういう話 になったのか別のホテルに案内された。多分日本人だから日本語のしゃべる その最初のホテルのおねぇさんが案内役をやってるのだろうと推測した。 見せて貰った最初の部屋が1泊10ドルだという。扇風機がついて清潔な 部屋。「この部屋が気に入った」というと、「じゃぁ」てなもんでさっきの ホテルに荷物を取りに戻る。戻ると、日本語喋るおねぇさんが「1泊何ドル?」 「10ドル」と答えると「オーケー」。トラブルを避けるためらしい。 何はともあれ、荷物を運び込んでチェックイン。パスポートを預けてサイン。 荷物を部屋に持って上がった。3時30分。ベトナムに飛行機が着地して からわずか1時間しかたっていない。
 ホテルの部屋。備えている設備は次の通り。洋服ダンス。 折り畳み机と椅子。ベッド(多分シルクの ベッドカバー)。扇風機。トイレ(清潔;水洗)。シャワー(水のみ)。 バケツがおいてあったのだけど、最初何のためあるのかよくわからなかった。 窓ありブラインドをあけると、隣のビルの壁が見える。 壁に囲まれた変な空間。窓もあるので誰か覗くのかと思ったが、誰とも 顔をあわせなかった。窓は開ける必要はないと判断したし、容易に開けられる ようにも思えなかったので開けなかった。開けると多分臭かったのではなか ろうか。
8月6日(火)夕方 晴
ブイビエン通り。これが宿のある通り。 ファングーラオ通りの裏になる。とりあえず、多くもない荷をといた僕は、 さっそく靴からボロのサンダルに履き替え、カメラを下げ遊びに出ることに した。フロントで鍵を預けるついでに帰りの航空券その他もいっさいがっさい 預けてしまう。フロントのおっちゃんが「What information do you want?」 なんて聞いてくれたので、とりあえず「地球の歩き方」から切り取った地図 上でのホテルの位置を聞いた。それさえわかれば迷子になることはあるまい。 ちなみに「必ずガイドブックを持って歩く日本人」にはなりたくなかったの で、地図以外は滞在中鞄の中から出さないことに決めた。「地球の歩き方」 に載っている観光地は頭に入っているが行くつもりはない。どこに行きたい? そう聞かれたので、「チョロン」と答えた。するとチョロンはかなり 遠いらしい。明日にしろという。じゃぁ「ビンタインマーケット」と言うと、 もう閉まっているという。 じゃぁ辺りを散歩してくるといって外へ出ることにした。
 両替。空港でドンに両替しそこなったので、というより ファーッさんがホテルのフロントで両替できると言っていたので、 外へ出る前にドンに両替することにした。なにせ、一般の庶民は1ドル 10000ドンと計算するのでドンの方が得だってどの本にも書いてあった からだ。で、フロントで最初1万円札を出した。そうすると、日本円は 駄目だという。日本円は流通してないらしい。仕方ないので40ドル出した ら、見事400000ドンに交換してくれた。1ドル10000ドンである。 まぁっ、いいか。残りは銀行で交換することにしようっと。だが、この交換 レートが銀行によっても差があるなんてのはこの時点では知らなかったりして。
アン フォム。カタカナで無理矢理書くとこうなる。が、ベトナム語を かじったこの僕でさえ彼の名前のつづりからそうは読めない名前。アンは 兄(←「兄」ちゃん。だからフォム兄;ハノイ式にアィンと発音すると即座に 訂正される)。彼はシクロの運転手で、今回の旅行で一番いっしょにいた 時間が長かった人物。(でも客になったのは2回だけ) そのアンフォムが どこか行かないかとプランを提示してくる。とりあえず、行きたいところが なくなったところなので、少々うっとうしいと思いながら、明日チョロンに 連れていってくれればあとはどうでもいいと返事をしておく。約束だぞと 念を入れられた。彼とはベトナミーズイングリッシュで喋った。
 電話。とりあえず街を見たいというのもあったけど、宿の電話番号やらを 両親に連絡する約束だったので、海外からの国際電話にチャレンジ。 確かガイドブックにはホテルからかけられるとあったが、僕の宿は 国際電話は駄目だという。とりあえず、カード式の公衆電話をどのように 使うべきか街をうろつくことにした。カードはキオスクで買えると 確か「地球の歩き方」にあったし、日本の番号は81。ベトナム国内から 海外へ書ける場合は最初に00。それくらい覚えていたのでやることは 電話を通話できる状態にするだけだ。
 安宿街。ブイビエン通り。ファングーラオ通り。1歩出ると、巨大な 南駒栄公園がそこにあった(笑)。子供が多い。人通りが多い。汚い。 そして話している言葉はベトナム語。まるっきしあの公園と同じ(御免)。 でも、あとで考えると、言葉を日本語にしたら釜が崎そっくりだったと 言う方が当っているのかもしれない。でも、最初カフェの隣が鉄工所だったり するのだけは少々驚いた。グチャマゼの街。その街をとにかく電話を 求めて歩き回った。
 公衆電話。すぐ見つかった。でも、電話カードを何処で買えるのだろう。 いったい10ドルのカードでどの程度話せるのか? よくわからないなぁ… と思って歩いていると、国際電話と書かれた店があるのに気が付いた。 どうやら、電話を使わせてもらって、使った時間とかけた先を申告してお金 を払うシステムの店らしい。こんな店があちこちにあったので、その1軒に 入る。入ると、おばちゃんが、どこへかけるのか?と英語で聞くので 「ニャ」と答える。すると、使い古されたノートに日本語で電話のかけ方を 書いたページを見せられる。「かけた相手にこちらの電話番号にかけ直して もらうのが便利です」と日本語でかかれてある。それを見せられながら、 日本人がたくさん利用したって写真を何枚か見せられる。で、チャーを何杯 も飲まされる。いったい、どんなタイミングで電話をかければいいのか? でも、とりあえず、お茶の途中で電話ボックスに入る。電話はわりあい明瞭 だった。母が出たので、とりあえずかけなおしてもらうように伝えて、待つ こと1分。コレクトコールよりある意味で便利かもしれない。 電話を使い終わって清算を済ませる4ドル半。45000ドン払う。 なるほど1ドルが10000ドン。チャーを飲んでいる間、白人が来て、 「話中だ」といって、暇そうにやはり出されたチャーを飲む仲間に加わった。 そこで「ウェアドゥーユーフロム?」と聞くと、「あなた日本人?」と流暢 な日本語で逆に聞かれた。僕の英語は見事なジャパニーズイングリッシュ らしい。で、その彼はカナダ人で日本に3ヶ月前までいたって言ってたが、 彼が次に言ったのは「日本人がこんなところで何してる」(←日本語)
 雨宿り。スコールが降る間、出先のベトナム人はそこらの建物で適当に 雨宿りするらしい。軒先が小さい場合、そこの家の人が扉をあけて少々中に いれてくれることもある。そんな夕方。スコールの間。僕はあるベトナム人の 家に上がり込んでいた。日本語を勉強しているという兄ちゃんは、 服のデザイナーらしい。そこの奥さん・お父さん・お母さん、妹やら子供やら 他の家族を紹介された。 氷のたっぷり入ったサトウキビジュースを出されて「遠慮せずに飲め」と 言われた瞬間に「よし地元の人間と同じものだけを飲み食いしてやろう」 と決めた。で、そのサトウキビジュースを飲みながら、あれこれ話をした。 「何で28歳にもなって結婚してないんだ」って話から「あの子はどうだ」 と同じ部屋の(どういう関係かわからないが家族の一員だろう)女の子を 指差す。あといろいろなベトナム語の練習やらさせられるが、なかには ロクでもない言葉が混じるらしく、部屋の女性連中に「そんな言葉を言わせる んじゃない」という意味(だろう)のことを男性教師連中に抗議してる。 でも、僕が知らずに真似すると爆笑だが。
 ベトナム人の夜。スコールがやんだのでどこかに遊びに行こうってことに なって、とりあえず足がいるだろうってことで、バイク修理屋の友達を紹介 される。また、他の1人、僕を入れて4人で街にくりだしその後大騒ぎをし てお代は僕が全部払うはめになった。つまり「タカられた」。でも15ドル だもんね。そんなもんか。でも、ベトナム人しかいない街で大騒ぎしてあち こち夜のスポットを案内してもらったのだからめっけものかもしれない。 帰りはタクシーで送ってやろうと宿まで送ってもらったが、僕が余分目に渡 したお金は帰ってこなかったのだらから、結構大きな金を1日に使ったことに なるらしい。1晩で30ドル。なるほど。わかれる間際まで 「また明日遊ぼう。6時に家で待っている」と繰り返し言われた。

2日目

8月7日(水)午前 晴
 朝6時におきて、シャワーをあびる。朝のシャワーは冷たい。 と、大事なことを忘れていたことを思い出した。
帰りの飛行機の「リコンファームをしていない!!!」
確か72時間前だから、昨晩中にしなきゃだめだったんだ。 一瞬血の気ひいたが「まっ駄目だったらその時はその時」とあきらめて、 下へおりる。
 リコンファーム。とにかく電話をかけよう。時間は6時半。 ホテルの電話をかけよう。で、かけたら、何やら早口の英語の録音された メッセージが聞こえてきた。窓口が閉まってるのか、もう少し待てと 言ってるのか、とりあえず後でかけなおすことにした。カフェに腰掛けている と何か食べないかと言われた。メニュー。オムレツの類があるらしいが、 あまりぱっとしない。するとアンフォムがきて、フォーにしないかと 表の屋台を指差す。「ん」フォーも目的のひとつ。「よっしゃ」てなもんで フォーボー1つ。屋台には3000〜4000と書いている。 「バオニェウ」(いくら?)きいたら、アンフォムは5000ドンといった。 お金を50000ドン出すと屋台のバァ(婆さん)はアンフォムに何か 言っている「そんな大きな金はお釣が出せない」そんなところだと思う。 アンフォムがくちゃくちゃのお金でこちらに45000ドンよこす。 バァは5000ドン受け取ったあと、早口で僕に何か言っている。 「4000ドンやで」と1000ドンを僕に返してくれた。アンフォムは それでも「受け取っておいたらええやんか」なんてことを言ってる(ようだ)。 ふぅむ、屋台に定価が書いてるのは信用できるのかぁ。少しホッとする。 フォーはうまかった。ラーメンと春雨の合いの子みたい。 好みによって薬味を入れて辛くもできる。
 朝ご飯も無事食べたので、宿に戻るアンフォムは「でかけようか」と 言うが、とにかく帰りの予約だけ確認しておいてからってことにする。 電話を貸してもらおうとすると、アンビンが僕が書いた「I would like to recomfirm on なんちゃら」というのを取り上げて替わりに電話をしてくれた。 予約はokとのこと。助かった。何やら別の番号に掛け直しさせられていた みたいだったし。
 7時半。とりあえず銀行に行こうとアンフォムに連れていって貰う。 初めてのシクロ。おかしな感じ。見晴らしはいいので気持ちはいい。
 国立銀行。 風格のある建物。ベトコムバンクの隣。入ってすぐに フォーリンイクスチェンジの窓口がある。見ると8時からその窓口は開く らしいが、窓口のおねぇさんは「多分7時50分から開ける」と言った。 で、銀行の中を一周する。この銀行は窓口が建物の中で島になっているので 本当に1周できる。結構コンピュータが入っている。銀行のすみの部屋に コンパックの箱が積み上げてあったので、みんなコンパックなのだろう。 クレジットカードを現金化してくれる窓口もあった。そして、話に 聞いていたベトコムバンクのATMもあった。ちゃんと電源が入っていた。 写真を撮ろうとしたら警備員にとめられた。7時45分。窓口の別のおねぇ ちゃんが呼んでくれた。紙に両替する金額などを書けという。パスポートの 番号なぞ覚えていないので書かなかったが、どうでもいいらしい。 何も言われなかった(これは他の銀行でも同様)。何やらレートやら書いた ものをプリンントアウトして出してきた。ちゃんと1万円札をドンに替える ことができた。50000ドンが20枚。大して厚くはない。
 サイゴン川。銀行を出てすぐ見えるのがサイゴン川。 「サイゴン川クルーズは5ドルでできるけど、どうだ」なんてアンフォムは 言う。「あんまり興味はない」と返事するが、川沿いの公園を少し歩きたい って降ろしてもらってブラブラする。とたんに寄ってくるのが物売りや客引き 達。と、ひとりの愛想いい若いのに捕まった。 「なぁんだ日本人か。アメリカ帰りのベトナム人かと思った」そう英語で言う 彼は、片言の日本語をしゃべりながら、例えば「とーきょ、おおさかに ともだちいる。みんなふねにのった。ふねはたのしいよ」なんていう。 「バオニェウ?」と聞くと、「ファイブティ ドーラー」と言ったと思う。 これが曲者。僕は5ドルかぁ、なるほどアンフォムの言う通りだと思ったん だけどど、ファイブティはベトナミーズイングリッシュの50であることを このときはわからなかった。とりあえず値下げ交渉「マッカウ!(高い!) ワンダラー」と僕。「ノーイクスペンシー。スリーティ ドーラー」と彼。 「アイアムプーアスチューデント。ワンダラー アンド ファイブサウザンド ・ドン」と僕。ついには「ワン トゥー ドーラー」と彼が言うところまで きた。で、僕の理解は1ドルと2000ドン。(ところがどうやら彼は12ドル と言ったらしい)。続けて「モッ(チャ)ハイ(ムィ)ギン・ドン」と確認し てきたのにたいして、僕は「オーケー」。で、もちろん、降りた後、請求され たのは12ドルで僕は120000ドン払うこととなったわけだ。
 チョロン。発音はチョーロ↑ン。アンフォムは僕がぼったくられた ことをブチブチ言いながらチョロンへ運んでくれた。チョロンは有名な 観光地であるが、観光客はあんまり狭くて汚い周辺まで出てこない。 結構おもしろかった。
8月7日(水)午後 晴
 昼ご飯も食べずに宿に戻って昼寝。シャワーを浴びたので気持ちよい。 時間は3時を回っている。さっそく出かける。
 観光地としてはチョロンを見たので、残りの日程は 観光客の行くところへは行かないことに決める。 で、今日は「サイゴン川の向こう」を目指す。
サイゴン川の向こう。 日本を立つ前に読んだ「ベトナム・センチメンタル」で、 観光客が滅多に来ないところと紹介されているところ。 確かにサイゴン川クルーズのときに、岸辺で皆子供が走ってきて皆 手を振ってくれたところだった。
フェリー。渡し舟で向こう岸に渡るのは安直におもえたので、 歩いて遠くの橋を回って行く計画を立てた。手元の「地球の歩き方」 から切り離した地図に「向こう岸」は載っていないので どこかで地図を仕入れて向こう岸を目指そうと思った。が、あちこちで 地図を探したが「向こう岸」まで載っているものはなかった。 仕方ないのでなるべく詳しそうなものを12000ドンで購入。 川沿いの公園に出る。
川沿いの公園。カップルにとってのスポットという。確かにそうだった。 まだ明るいのに、ベタベタイチャイチャ。
川に沿って歩くと、道は軍の基地か何かを迂回してまっすぐ内陸に 延びる。その基地の高い壁に沿って散髪屋やらの屋台が並んでいるので、 その1つで、フランスパンを食べた。外国人は珍しいらしく、いろいろ親切に 話し掛けてくれた。
ベトナム国営放送の地帯から電気屋街。まったく外国人は見当たらない。 カセットテープとか見たかったが、この辺りはカタログを見て、 望みの曲が入ったテープの番号で注文する形式なので、歌手の名も曲名も 知らない僕なんぞには手が出せない。
やがて、橋が見えてくる。でも地図によると、 この先の大きい橋を渡って初めて「サイゴン川の向こう」となるらしい。 とりあえず、とことこ橋を渡る。
8月7日(水)夕方 晴
中央郵便局前で物売りにたかられた後、ビンタイン市場の前の ロータリーで夕涼み。
スコールが降ってきたので慌てて帰ろうとするが、 ますますひどくなったので、そこらの軒先で雨宿り。
少し緩くなったところで、屋台でCOMで夕ご飯。まずかった。

3日目

8月8日(木)午前 晴
8月8日(木)午後 晴
8月8日(木)夕方 晴

4日目

8月9日(金)午前 晴
午前はベトコムバンクを探す旅で始めた。
8月9日(金)午後 晴
8月9日(金)夕方 晴
以下工事中。

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