2004/04/21(Wed) -168- 有難うございました |
プロバイダーBIGLOBEの「日記帳セット」の終了に伴い、「日々新しく」を終わります。このままホームページ上に残しますが更新が出来ません。
2002年9月から1年8ヶ月で168編の思ったこと考えたことを書き綴った 私の拙い日記を読んでくださった方々に厚くお礼申し上げます。
5月10日、がん治療のため、再入院します。健康が許せば,ホームページのリニュアール、そして6月を目途に新しいメニュー(日記)思うこと!考えること!をスタートさせたいと思っています。
あなたのページ<掲示板>に近況など書き込みますので今後共よろしくお願い申し上げます。 有難うございました。
2004年4月22日
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2004/04/18(Sun) -167- 生きてるっ! |
十数年前、母と歩いていたら、よく行く一杯飲み屋の働き者のママさん
に出会いました。母に紹介したら、母は後で「あの人は生きてるっ!」と感心したように云いました。
「あの人は生きてるっ!」なんとなく聞き流していた私は、最近この言葉の意味が良くわかるようになりました。晩年の母はきっと「生きてるっ!」と体感できる生き方がしたかったのだと思います。
若い人は、頭の回転も良く、身体が無駄なく流れるように動いています。まさに「生きてるっ!」て感じです。 それに比べて近年の私は頭の回転が悪く、、忘れっぽく、そして身体が重く、硬く、無駄な動き、緩慢な動き、まさに「生きてないっ!」て感じです。
これではいけない!母の歳に近づいた私は「生きてるっ!」と体感できる人生を送りたいと思っています。
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2004/04/15(Thu) -166- 「日々新しく」の終了 |
この度、プロバイダーのBIGLOBEから、4月22日をもって、「日記帳」サービスを終了すると連絡がありました。このため「日々新しく」を続けることが出来なくなりました。 *** これまでの日記はHPに残します ***
新しいメニューを検討中ですが、他の日記帳セット、フリー日記などで、お勧めのメニューがございましたら、メールやHPの掲示板「あなたのページ」等でお知らせ下さいますようお願いします。
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2004/04/11(Sun) -165- 時を刻んで |
私が子供の頃、どの家も柱時計が振り子を往復させながら時を刻んでいました。 チクタク~チクタク~~ボ~ンボ~ン
大人になると腕時計を1個持ちましたが、お金がなくなると質屋との間を往復することもありました。貴重品の時計はねじを巻かないと動きませんでした。そのうち腕時計は自動巻きになり、時々腕を動かしていたら、時計は電池で動き続けるようになりました。
40代や50代の人は、オジさんだ、オバさんと思っていたら、
いつの間にか~~ず~~っとそれを通り越して・・・
私は自分でもビックリするような歳になっていました。
しかし、もうやり直しが効かず、オジイさんになって行くばかり・・・
人生は本当に早く、過ぎて行った感じがしています。
そして我が家では日本標準時を受信して、全自動で時刻を修正する
電波時計が昔と同じ時を刻んでいます。
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2004/04/06(Tue) -164- 生き続けなければ |
がんに罹患して、東京を往復することが多くなった私は、交通機関に何を利用しようかと迷います。新幹線や高速夜行バス、フェリー等など、時刻表を眺めながら、利用するのは空の便でした。 でも空の便は早すぎて旅を楽しむ気になれず、先日は夜行高速バスと新幹線を乗り継いで上京しました。
陸 海 空 いろいろなルートがあって便利になりましたが、昔は九州から上京するには、寝台急行しかありませんでした。 レールの継ぎ目の凸凹や連結器の喧しい音と振動を1晩中耐えて我慢したものでした。
新幹線や特急利用の旅も高速快適で、移り行く景色を目で追いながら、おだやかに時が流れて、楽になったと思います。
そして夜をくぐりぬけて走る、ブルートレイン、寝台設備の長距離列車もいい旅を与えてくれそうな感じがします。
その列車の旅も懐かしく、利用したいな! 東京と大阪を結んで、東名、名神の高速道路を、昼間走る特急バスにも乗ってみたいな!と夢を広げ、そのためには・・・病に勝って生き続けなければ・・・と思っています。
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2004/04/03(Sat) -163- ブルーに染まって |
新年度がスタートしました。
平成も16年目になり、人生が本当に早くすぎて行く感じがしています。
晴天の日、春を求めて~~、近くの桜並木を歩きました。満開のピンクの美しい花を眺めても、再入院のことを思い、ブルーに染まった私の気持ちは晴れません。
検診が終わって気弱になった私に、脱力感が襲っています。
そして、がんの再発に、「なんとかなるさ ! 」と思ったり、
「なんとか治りたい ! 」と祈ったり、しています。 |
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2004/03/30(Tue) -162- すこし元気になって・・・ |
1ヶ月前の入院治療結果の評価は悪く、5月
の連休後に再入院が決まりました。
そして、いかりや長介さんが、がんで亡くなり、
72才は私と同じ歳。追悼番組を見ながら、
すっかり落ち込んでしまいました。
当時は、どこの家庭も、土曜日の夜8時になると、居間に1台しかない、テレビの前に家族全員集合して、笑ったものでした。
元気のない私を心配して、在京の長男夫婦が、J1サッカー・ナビスコ杯予選の大分VS浦和に誘ってくれました。埼玉スタジアムは、浦和レッズの真っ赤な旗やサポータで埋め尽されていましたが・・・
3対2で、昨年の王者に勝利した大分トリニータに大喜び!!
落ち込んでいた私は、すこし元気になって帰ってきました。
(写真:真っ赤に染まった浦和駒場スタジアム) |
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2004/03/22(Mon) -161- 不可解な政治の動き |
イラク戦争や、構造改革に、関連した重要な法律が、国民への十分な 説明なしに、与党の賛成多数で成立し施行されている感じがします。
医療や年金制度の改革等なども同じような扱いになるのでしょうか?
郵政省は、情報化の時代にその役割は大きいと思っていたら、総務省に包括されてしまいました。 日本の長い歴史の中で大切な役割を果たしてきた郵政事業の民営化は、早急にする必要があるのでしょうか?
防衛庁は省に昇格の動きが見られ、大蔵省を財務省に改称したように、
アメリカに倣い国防省が誕生する感じがします。
特に危機感を感じ、怖いのは、人類の究極の願いを盛り込み、世界に誇った平和憲法を改憲する動きが出て来たことです。
悲惨な戦争を体験した私は、暗澹たる思いがしています。
私にとって、最近の政治の動きは不可解です。
明日は1ヶ月前の治療結果の評価を受けるため上京します。
結果が良ければ、道草しながら帰る予定です。
(3月末まで 「日々新しく」 お休みさせて下さい)
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2004/03/20(Sat) -160- 平和への道 |
イラク戦争の開戦から1年目を迎えました。イラクの治安は悪化し混迷を深めています。爆破テロが各地で起こり、イラクの治安と復興はいつになるのでしょう? 暗いニュースを見ては心を痛めています。
日本は国際協調が平和への道だと、人道復興支援のため陸海空の自衛隊を派遣しましたがイラクの人は他国に依存するばかりで、特に日本には過剰なまでの期待をしているようです。
女性の多くが黒いベールを着用し、顔を隠すのは宗教上やむを得ないとしても、街頭でたむろし、ぶらぶらしている立派な髭を蓄えた男たち。
頭に黒いワッカを載せて、布を体に巻きつけて、「つっかけ」を履いた姿を見ると、彼らに働く意欲があるのだろうかと疑問に思ってしまいます。
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2004/03/16(Tue) -159- 本屋さんで |
郊外に出来た大型の本屋さんを訪ねてびっくりしました。
カラフルな表紙の多種多様な雑誌、書籍で溢れていました。
マンガ本のコーナーで、少年倶楽部が50銭だった子供の頃の記憶が
蘇りました。 小学X年生、子供の科学など僅かな本を宝物のようにして仲間で回し読みしていました。
そして毎月、分厚く膨らんだ付録が、最大の魅力、楽しみでした。
また昔は出版物の種類は少なく、XX全集等など高価な本を買い大きな本棚に並べ、貴重な蔵書として財産のような扱いをしていました。
我が家に貯まった本を少し整理しようと、ダンボールに詰め、古本屋に持ち込んだところ、「変色していますね」 と何百円かの評価にガッカリして、以来我が家で眠らせることにしました。
パソコンが普及すると、活字離れが進むと云われましたが、どうして
どうして!! 単行本、文庫本、週刊誌、月刊誌は増えに増えている
感じで情報化の時代を生きるのは大変だと思いました。
特にパソコン関連の雑誌や参考書が多く、選ぶのは大変だろうな!
皆よく勉強するんだな!と感心しました。
そして、膨大な書籍を見ながら、売れ残った本はどうなるんだろうと、
いらぬ心配をしてしまいました。 |
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2004/03/11(Thu) -158- ウイルスって何だろう?? |
数日前に、私は突然食欲を失い、腹痛、嘔吐、下痢、発熱で苦しみました。そして病院でウイルス性胃腸炎と診断され治療を受けています。
ウイルスってなんだろう? 素朴な疑問からインターネットで検索するとコンピュータウイルスと、最近大騒ぎの鶏やカラスの鳥インフルェンザウイルス・・・何れも防御や蔓延を阻止する情報で溢れていました。
風邪やインフルェンザ、肝炎や胃腸炎?などの病害を与える微生物のウイルスは、その種類も多いようですが、その正体は解明されていないようです。そのためかインターネット上での情報も少ない気がしました。
昔は、バイ菌と云っていましたが、最近はなんでもウイルスだらけの感じがします。地球の自然破壊や環境汚染に関係があるのでしょうか、ウイルスの正体が解明されず対策が立てられてないような印象が拭えません。世界中で身近な人類の病原菌ウイルスの研究を進めて欲しいものです。そしてテロとウィルスを地球上から消滅して欲しいと願っています。
私はどこでウイルスに感染したの?ウイルスってなんだろう?
よくわからないまま、私のウイルス性胃腸炎は治癒しつつありますが、 何だか不気味な気がしています。 |
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2004/03/04(Thu) -157- 入院生活で得たもの |
私の21世紀はがんとの闘いで始まり、4年を経過しようとしています。
元気だった時は、どこに病人がいるのかと思っていましたが、がん患者になって、がんに苦しんでいる人達がいかに多いかを知りました。
入院したことのなかった私は4年間で8回の入院生活を送りました。
一生懸命にがんと闘う患者、医師、看護師、病院関係者、患者の家族や見舞い客・・・色んなタイプの人々に接して、私の生き方の参考になったり、お手本になったり、色々なことを学んだような気がしています。
特に同病の患者との対話で、夫々の方々の人生を垣間見る思いがしました。そして患者の身を案じる家族の愛の深さには感動させられました。
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2004/03/01(Mon) -156- 身近な病気 がん |
いつものように、退院して1週間を経過した私に脱力感が襲っています。今回は、再発した肝臓がんに、肝動脈からカテーテルを入れて抗がん剤を注入、がんの栄養を断つために血管を塞栓する治療でした。
半年振りに13階A病棟の患者となった私に、「また来たのね!」と声を掛けてくれた看護師さんはニコニコして、みんな優しく、明るい人達で心が和みました。
そして、看護師さんの一言が私を力づけてくれました。
☆ 点滴は仲の良いお友達が出来たと思ってね!・・・・
☆ 肝臓に栄養を運ぶつもりで食べてね!・・・・
がんセンターは病室も待合室もがん患者で溢れていました。
中高年の方だけではなく、がん患者には見えない、元気そうな子供や
若い人達を見て、がんは誰にも身近な病気なんだなあ!と思いました。
抗がん剤の副作用で発熱し、、苦しみましたが、9日間で退院できて
幸いでした。1ヶ月後に治療結果の判定まではちょっと心配です。
私のがんは治るのは難しいようですが、今のところまだ大丈夫なようで、私は生かされ感謝しています。 (写真:国立がんセンター中央病院)
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2004/02/13(Fri) -155- 生きている! |
がん再発で、治療を受ける入院の日が近づきましたが ・・・ テレビで
サッカーの国際試合を楽しんだり、スポーツクラブで飛んだり跳ねたり、
プールで泳いだり ・・・、まあまあ元気?で感謝しないといけないな!
がん患者の私は、イヤイヤ入院ではなく、喜んで!がんの治療をしよう
と思うことにしました。
そして、筋萎縮の病気に苦しんだ 土屋とおるさんの俳句集から、
『 生きている 生きねばならぬ 生きられる 』
の一句を心に刻みました。 (2月末まで MY DIARY
は休む予定です) |
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2004/02/08(Sun) -154- これが100円 ?! |
寒さが身にしみる毎日ですが、少し雪が舞った日曜日の公園は、紅梅が満開で、春の近いことを感じさせてくれました(写真)。
100円ショップを覗いて、不思議な世界に迷い込んだ感じがしました。これが100円?!と感心しながら、造った人に頭が下がりました。
100円が溢れてますが、家にも高価で買った同じものが溢れています。
古いけどまだ使える、もったいない!買うと、またゴミが増える!
そんな感覚では、消費が伸びず、内需は拡大しない!と思いながら、
眺めただけで・・・ゴメンナサイ~~と・・・何も買わずに店を出ました。
これから小物を買うときは100円ショップにしよう~~と、心に刻み、
便利な時代になったんだな~~~と、感心してしまいました。
そして、今日のテレビは自衛隊の本隊がサマーワに到着したことを報じ、歴史が大きく動いた感じがしています。
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2004/02/04(Wed) -153- 汗を流してよ!イラク人 |
定年後、すっかり朝寝坊が身についていますが・・・先日、夜明け前の、まだ暗い時間に用事があって、近くの国道を走ってビックリしました。
車のラッシュです・・・、日本人は朝から晩まで良く働くと感心しました。
戦後、焼け野原の東京は、わずか50余年で、現在の東京に生まれ変わり高層ビルの建設ラッシュが続いています。 阪神淡路大震災から9年、あの倒壊したビルや寸断された道路等が現在の美しい姿に復旧しています。他国の人道復興支援は、ほとんど受けなかっと思います。
対照的なのはイラクです。テロとの闘い、部族の争いなど、復興どころか、破壊が続けられています。
テレビのニュースで立派な髭を蓄えて、ブラブラしているイラク人を見て、どうして他国に頼り、壊れた水源地や道路や病院を自分達の手で直さないんだろう??と素朴な疑問が湧いて仕方がありません。
日本は不況で苦しんでいます。 イラクは日本の経済力に頼らないで、自国で努力してほしい! イラク人は自衛隊に期待しないで、夜明け前から夜中まで働く日本人の勤勉さを、少しは見習ってほしいものです!
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2004/01/29(Thu) -152- 備わったか?!自然治癒力 |
年賀状に・・・今年は病院に行くことを少なくしたいです・・・・と添書きした私ですが2月の中旬には国立がんセンター中央病院で1週間の短期入院治療が昨年から決まっています。
まだまだ先だと思っていたら、3週間後に迫り、少こ~~しドキドキしてきました。
免疫力を高めたら、「がんが消える!」 「身体にいい!」って聞くと、試さずにはいられなくって、最近の朝食、カスビ海ヨーグルトは混ぜる健康食品が多くなり、異様な色と味になっています。
もうそろそろ自然治癒力が備わって・・・がんの再発はなくなり、病院に行くのも少なくなると期待し、そう祈りながら・・・上京の航空券を予約しました。(写真は病室から眺めた夕日) |
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2004/01/24(Sat) -151- 1輪の紅梅 |
寒気が厳しく、九州でも雪が舞いました。
冬の季節、何となくブルーな気持ちで、引きこもりがちな毎日でしたが、今日は晴れ間が広がって、近くの公園を歩きました。
豊後梅の蕾が大きく膨らみ、春の訪れを告げてくれました。
何もしないのに気忙しく1月は過ぎて行く感じでしたが、1輪の紅梅が、何かおだやか~な気持ちにさせてくれました。
そして素晴らしい四季、自然を覚え、生きている喜びに満たされ、ホッとした冬のひとときを過ごしました。 |
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2004/01/19(Mon) -150- 日本とイラクの違い |
1945年終戦、完全に武装解除して、丸腰で道端に背を向けて起立し、
進駐軍を迎えた、旧日本軍人たちの古いフイルムをTVで見ました。
無条件降伏した日本とイラクは違う、戦争とテロは違う、の意見もあると思いますが、戦後の破壊された国土と混乱は同じです。
東京大空襲で焦土と化した首都、原爆に被爆、広島で20万人、長崎で14万人もの人の命が失われた日本はイラクの現状より、もっと酷い状態でした。しかし米国以外どこの国からの支援も受けなかったと思います。
終戦時、中学2年生だった私は、米国の支援はDDTを頭から振りかけられたこと、何故か?砂糖を沢山配給されたこと、引揚船に米国のリバティ船が使われたこと等しか覚えていません。
日本の悲惨な戦後は、ジャガイモやその茎を食べ、早朝から深夜まで働き続けた日本人が、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、今日の日本を築いたことは知っています。
イラクは、イラク人によって復興してほしいと、私は思っています。
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2004/01/16(Fri) -149- イラクの混乱 |
人道、復興支援?で陸上自衛隊の先遣隊がいよいよ出発します。
第2次世界大戦のあと朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン進攻、そしてイラク戦争、そのすべてに米国が関与しています。
日本は同盟国としてこれからは米国と行動を共にするのでしょうか。
いつまで続くのかイラクの混乱は・・・でももう後には引けません。
1年以上前からインド洋で、各国艦艇に燃料を補給する自衛艦、その費用はすべて日本が負担しています。そして「インド洋の無料のガソリンスタンド」はいつまで続くかわかりません。
日本に対し、イラクは、度重なる戦争と旧フセイン政権の独裁下で悪化した生活状態の改善や失業問題の解決まで望んでいるようですが、これはイラク人が解決すべきことです。もし支援するとすればイラクと交戦した国が支援すべきではないでしょうか。
50年も前、バスラに寄港した当時と、あまり変っていないイラクの街の様子やイラク人の雰囲気をTVで見ながら、神戸でイラク向けの貨物を、1晩で積んで、バスラでは1週間も掛かって揚げ荷したことを思い出しました。
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2004/01/11(Sun) -148- 人道、復興支援で? |
人道、復興支援で、自衛隊のイラク派遣が進められていますが、私は
米国支援で、核に守られた日本の止むを得ない選択だと思っています。
太平洋戦争ですべての国を敵にして戦った日本は、イラクと似ているところがあると思います。しかし大きな違いは、戦後の日本、治安は安定し、日本人自身の手によって、秩序正しく復興されたことです。
イラクの治安の悪さ、復興の遅れ等々、そのあまりの落差に私は言葉を失っています。
イラクの復興は基本的にイラク人によってされるべきです。
日本に対し、イラクが、生活状態の改善、失業問題の解決まで望んでいるとすれば、それはお門違いで、それらはイラク人自身の手によって解決すべきことではないでしょうか。
焦土と化して破壊され、原爆で被爆し600万人以上の死傷者を出した日本はイラクとは対照的で、米軍の占領下、基本的には日本人自身の手によって復興、民主化が進められ、米国から食料など多少の支援以外、どこの国の支援も受けなかったと思います。
人道、復興支援で、イラクに自衛隊を派遣する日本は、荒廃の日本を、すべての日本人が勤勉に働きつづけ、今の豊かで平和な日本に築いたことを決して忘れないでほしい!!と思います。 |
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2004/01/07(Wed) -147- 宗谷に学ぶ! |
もう七草粥の日になりました。
この歳になると友人たちの年賀状の欠礼訃報が多くなり、また来月入院の病気のことも気になって、落ち込んでいました。私は鬱状態になるとパソコンに向かう元気がなくなるようです。
昨夜、NHKのプロジェクトX 「南極・未知の海へ」を見ながら、昭和31年、敗戦で打ちひしがれた日本の復旧の一大事業として南極に向かった観測船宗谷にかかわった人々の情熱が伝えられました。当時25才だつた私はケープタウンで宗谷を日の丸を振って見送り、インド洋で宗谷や昭和基地と無線で交信した若い日の直向な頃を思い、心を熱くしました。(写真は先日、お台場で再会した宗谷)
多くの方の年賀状や年賀メールで弱い私は励まされ元気を頂きました。
鬱になってはいけない、引きこもりもいけない!
生きている限り、未知の世界に挑む探求心!、
失敗や失意を恐れぬ勇気!と挑戦!を貫くように!
メッセージで私は新しい力が湧いてくる感じがしました。
そして私は、新しい年を、新しく生きたい、とパソコンに向かいました。
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2004/01/03(Sat) -146- 静かに穏やかに |
明けましておめでとうございます
新しい年が幸多い年でありますようにお祈りします。
「日々新しく」はお蔭様で2年目を迎えました。
本年もどうぞよろしくお願いします。
最近何をしても動作緩慢で時間がかかり、パワー不足を感じることが多くなりました。年の数だけ新年を迎え、新しい抱負を画きながら、私は年だけ重ね、新しくなってないことを恥じています。
毎年のことですが、年末年始のテレビは深夜まで延々と特別番組で、生活が崩れてしまいます。今年こそテレビの時間を少なくし、自然に親しむことを多くしたいと、年賀状に添え書きした私ですが、意思が弱く、年の始めから早くも生活を崩しています。
そして例年通り、テレビのお正月風物詩、学生スポーツ中継を見ながら
2004年は、静かで穏やかな生活をしたいな!!と切に願っています。
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2003/12/30(Tue) -145- 幸せなひととき |
がん検査のあと訪ねた「日本科学未来館」では、宇宙の神秘と、宇宙の果てしない大きさを、知りました。
137億光年という気の遠くなる距離の星も教わりました。
ロボットASIMO君<写真>と出会い、世界初の球体ディスプレイ装置、100万個のダイオードで発光する「宇宙から見た今の地球」など最先端の科学技術を体験することが出来ました。
新丸ビルから大手町、丸の内、を巡回するシャトルバスに乗り、逓信総合博物館を見学しました。 NTTの情報通信館で、電気通信の歴史を電信、電話、無線、伝送コーナーで見たり、大手町ビル内の会社に勤める長男とコーヒータイムを楽しみ、私は幸せなひとときを過ごしました。
去年9月から「日々新しく 」
に思ったこと、考えたことを、書いていたら、145回を重ねました。今年は95回、4日毎に書き綴った私の拙い日記を読んで下さって有難うございます。
何もしないで、アットいう間に、1年が流れて行った感じです。
スロー人生を、ゆるやかに!おだやかに!送りたいなと思いながら、
私の、残り少ない人生は駆け足で過ぎて行くようです。
来年もどうぞよろしくお願いします。輝かしい良いお年をお迎え下さい。
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2003/12/25(Thu) -144- 博物館と未来館 |
両国の「江戸東京博物館」を訪ねました。
江戸の文化、文明開化、大都市に成長した東京、その時々の生活や文化、娯楽などが紹介されていました。私は400年前の江戸開府のゾーンが大きい反面、58年前の東京大空襲のコーナーが小さく、展示も少ないと思いました。
東京大空襲は、12万人以上の死傷者、100万人以上の罹災者を出し、東京が焼け野原、廃墟と化した大きな出来事です。
暗い嫌な戦争は思い出したくないからでしょうか、語る人も少なく、資料も失われ、その風化が早いような気がします。戦争体験者は年々少なくなり、高齢化していますが、その時代を生きた者として、悲惨な戦争の体験や資料をもっともっと子孫に残さねばならないと思いました。
お台場の「日本科学未来館」を見学しました。
ロボットやインターネットのしくみ、ゲノムやヒト生命、地球環境と宇宙等など最先端の科学技術を身近に感じることが出来ました。
古いものと新しいものを同時に見たためか変な気持ちになりました。
最近の暗いニュース、世相、物の考え方から見て、科学技術の未来が、私たちに本当の幸せをもたらすのだろうかと思いました。
未来館で回る今の地球<写真>を眺め、私は大きな疑問を感じました。 |
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2003/12/23(Tue) -143- 宗谷と再会 |
がん検査の結果、残念ながら治療が必要と
診断されて、2月中旬入院が決まりました。
治癒は難しいようで・・・がんと共存しながら、
明るく、人生を全うしたいと思っています。
そして、検査だけの上京は味気ないと、
あちこち・・・見て回りました。
お台場の「船の科学館」には北朝鮮の工作船が展示されていました。水深90メートルの海底から引揚げられた工作船、上陸用の小型舟艇、武器等などを見学し・・・・この小さな船で日本を狙う北朝鮮は何を考えてるのだろうと思いました。
「船の科学館」で南極観測船”宗谷”と再会しました。昭和31年から昭和37年まで南極観測船として活躍した船です。鮮やかなオレンジ色の船体を見て、私はアフリカ一周航路、あとらす丸に乗船中、ケープタウンで並んで接岸した50年ほど前のことを思い出し・・・・この小さな船で南極大陸に挑んだ人々のことを思い体が熱くなりました。
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2003/12/14(Sun) -142- 慌しい日々 |
子供の頃は長く感じた1年が、最近はだんだん短く感じています。
師走に入ったな、と思っていたら、あと半月余でクリスマスとお正月です。
サッカー天皇杯は、高校生チームからJリーグまで
全80チームが参加して元旦に日本一が決まりますが・・・
今日は3回戦の大分VS川崎を大分のサッカー場で応援しました。
J1残留とJ1昇格をリーグ戦で最後まで頑張ったチームの対戦は、
3-0で川崎フロンタ―レが勝利し、J1大分は得点できませんでした。
15日に上京して、1ヶ月前の入院治療経過の診察を受けます。
エタノールで、がん細胞が消失してくれてると良いのですが・・・。
ついでに、お台場の「船の科学館」で北朝鮮工作船、「日本科学未来館」の情報科学展を見学たいと思っています。
欲張って慌しい日々になりそうで・・・1週間ほどDIARYはお休みします。
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2003/12/11(Thu) -141- 感謝!感謝! |
夕方のプールは子供達で溢れていました。
久し振りにプールで、歩き、泳ぎ、幸せな時間が流れました。
年賀状の欠礼葉書は、以前は親の訃報でしたが、古希を過ぎて、友人ご本人の訃報が多くなりました。子供の頃そして、元気だった頃を偲び、淋しく思っていたら、ある友人から 「・・・毎日を平凡に暮らしています。感謝 感謝です!!・・・」 とメールが届きました。
感謝の言葉が二つ重なると、感謝の気持ちが溢れてくる感じです。
プールサイドのデッキチェア―で、明るい子供達の歓声と水飛沫を浴びながら、私も平凡な生活が送れて・・・感謝!感謝!と思いました。
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2003/12/07(Sun) -140- なんでだろう~ |
私がペルシャ湾からチグリスユーフラテス河口、イラクのバスラに寄港したのは1955年でした。日本は戦後10年目で、三種の神器と云われた電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビが、貧しくて買えず!・・・♪月がとっても青いから~遠回りして帰ろう~♪・・・の歌が流行り、振り返って見ると平和な良い時代だったように思います。
イラク人は非常に親日的で、「ジャパンNO1!」と親指を立てて、笑顔で迎えてくれました。バスラの街を歩くと、例外なく立派な髭をたくわえた男達がニコニコ明るくウインクし、女性は黒いベールで全身を覆い、顔を隠し、控えめな感じが神秘的でした。裸足の子供達は日本人が珍しいのか付きまとって離れませんでした。そして、バスラの海員クラブのプールで泳いだり、夜遅くまでローテーションの玉突を楽しんでいました。
私はペルシャ航路の最終港バスラが好きでした。イラクが現在のようになるとは思いもしませんでした。その時から半世紀を経過、人類は進化し、豊かさと平和を求めてきたはずですが、争い、破滅への道を辿っているのは、なんでだろう
~とイラクの暗いニュースに心を痛めています。
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2003/12/03(Wed) -139- 筋肉の老化 |
入院のため休会していたスポーツクラブに12月から通い始めました。
J1残留を決めた大分トリニータの選手たちも来ていました。久し振りのストレッチで、体がカチカチに固くなっていることに気付きました。
無理をしないように、そ~っと軽く運動をしたつもりでしたが・・・普段使わない筋肉を動かした反動でしょうか翌日は身体中が痛みました。
年をとると筋肉が萎縮するとは聞いていましたが、年を取ったことを実感させられました。 そして、老化した筋肉の萎縮を抑えるために、筋肉に刺激を与えること、筋肉を使うこと、が大切なことを痛感し、日常生活の中で身体を動かす習慣やスポーツの機会を持ちたいと思いました。 |
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2003/11/30(Sun) -138- J1に残った! |
サッカーのJ1リーグは、最終戦まで優勝、残留が混戦となり
盛り上がりました。そして、私の地元チーム、大分トリニータ
は最下位でJ1に踏みどどまりました。今年1年は、ヒヤヒヤ!
ドキドキ!で、すっかりサッカーにはまってしまいました。
ホームゲームは、入院中に一度だけ行けませんでしたが、全試合欠かさず行くことが出来ました。そしてサッカー場(ビックアイ)の雰囲気が大好きになり、元気をもらい、感謝しています。
J1リーグ、来年も、若いサポーターと一緒に楽しみたいと思っています。 |
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2003/11/26(Wed) -137- 人生は駆け足で・・・ |
退院して10日を過ぎる頃になって、疲れが出るのか?
いつものように、鬱になり、元気をなくしています。
サッカーなどのスポーツTV中継を観戦していたら、男子バレーボール、W杯、日本は韓国に0-3で敗れて5連敗。 ガッカリしてしまいました。
ひきこもりは良くない!元気を出さねば! 犬も歩けば棒に当る?・・・
なにか良いことあるかも?と・・・街を歩きました。
驚いたことに、もうクリスマスツリーが飾られ、クリスマスケーキの予約、そして鏡餅まで売り出されていました。
年末ジャンボ宝くじ、年賀状も買わねば・・・等など、気忙しい思いになって帰宅しましたが、アットいう間に、1日は、1年は、流れて行く感じです。
スロー人生を、ゆるやかに!おだやかに!送りたいなと思いながら・・・私の、残り少ない人生は駆け足で過ぎて行くようです。
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2003/11/22(Sat) -136- 芸術の秋と・・・ |
退院後、リハビリを兼ねて、木枯らしと、落ち葉の舞う、上野の森を歩きました。
東京都美術館で、大英博物館の至宝展を見学し文明の栄えた紀元前の世界、一万年にわたる人類の歴史を追体験出来ました。
西洋美術博物館で彫刻や絵画を見る機会にも恵まれて幸いでした。
夕暮れ、閉園前の上野動物園、ジャイアントパンダ等を駆け足で見て回りました。 病気の治療結果は、12月中旬に再検査してわかりますが、
実り多い芸術の秋に接し、24日間の入院の疲れは癒された感じです。
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2003/11/19(Wed) -135- スポーツの秋と・・・ |
大変ご心配をお掛けしました。特別国会が始まった19日に帰宅しました。
入院中は、スポーツ中継に熱中していた感じです。プロ野球日本シリーズ、続いてアジア野球選手権、そしてワールドカップ女子バレーボール。
お陰で、治療の苦しさを忘れることが出来ました。
退院後過ごした首都圏では、東京国際女子マラソンを国立競技場で観戦したいと思いながら、親馬鹿な私は、息子が参加したハーフコースの埼玉県戸田市の彩湖マラソンに付き合っていました。
そして、大相撲九州場所・・・、ワールドカップ男子バレーボール・・・、
約1ヶ月ぶりに帰宅した日、サッカー国際親善試合、日本×カメルーンが、近くのサッカー場(ビックアイ)で行われました。
すつかりスポーツの秋を堪能していますが・・・ でもまだまだ11月は、サッカーから目が放せん・・・・地元の大分トリニータのJ1残留にかける試合があります! 加えて・・・・ 混沌とする政局やイラク派遣、テロの脅威、年金改革、北朝鮮問題等など!!、目が放せない動きに・・・私は病気のことを忘れた感じです。
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2003/11/15(Sat) -134- 退院しました |
14日に退院しました。数日息子宅で過ごし、首都圏の空気にふれて・・・帰宅します。
ご心配おかけしました。12月中旬の検査まで普通の生活をして病気を忘れたいな!
と思っています。 |
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2003/11/03(Mon) -133- 入院生活 |
早いもので入院生活は2週間になり、お蔭様で順調です。連休の2日は外出して、病院前の築地市場まつりに行きました。そして、江戸開府400年を記念して、江戸の食文化を紹介するイベント等、を楽しみました。
文化の日は、近くの汐留に出掛け、最近出来た、電通ビルの47階展望台や、日本テレビの巨大ビル街を散策しました。
明日から治療再開ですが・・・もうすぐ、退院出来そうです。
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