10. 横浜・根岸森林公園



2009年3月下旬の春、桜が咲くにはまだ早い

根岸の森林公園に行って来ました!


昭和52年に開園した横浜でも珍しい

遊具の無い自然公園です。



少しだけ咲いた桜と森林公園


一面に芝生が生い茂て、遊歩道で公園の中を一周出来ます。

ここの公園に来たのは、二十数年ぶり!

中学生以来かなぁ・・・

長女のMIKUが4月から保育園に通うので

なかなか遊ぶ時間が無くなると思い、自然の中で遊べる

森林公園を選びました。


来る途中で遊ぶ為のボールを購入し公園に入り

レジャーシートを張っておやつを食べながら

MIKUとボール遊び!!

芝生なので転んでも痛く無く

MIKUも大喜びで走り回ってましたヾ(@⌒▽⌒@)/



広々した芝生の公園です!


この公園は太平洋戦争前までは、日本で最初の西洋式競馬場だったそうです。

確かに小学校の頃に「横浜空襲」の写真の中に、根岸の競馬場に焼夷弾を

落としているB−29からの写真を観たことがありまりす。

戦争が激化した昭和18年に休止されて戦後は米軍が使用して

米軍住宅とゴルフ場が出来たそうです。

そのうちのゴルフ場が返還されて、横浜市が公園として再開したそうです。


中学生の頃に初めて来たときは開園して間もない頃だったので

まだ整備が出来てなかった頃でした。

その頃に印象として残っていたうちの一つにもの凄く古い建物の存在です。

歴史のありそうなデザインでしたが、黒く変色し今にも崩れ落ちそうな

コンクリート建築物、戦争の経験の無い僕でも

「戦争中の空襲で焼け落ちたんだな・・・」

と頭に浮かぶくらい、強く印象に残っていました。

でも建物の手前には明らかに競馬場のスタンドの様な

段差があり、競馬場の名残を感じました。

それが昭和50年代半ばです。


そして平成21年の今、どうなって居るのか探してみました。

もう古くなったので取り壊されたかもと思いながら散歩をしていると

ありました! 古い建築物が!!


森林公園側からは森が生い茂て見えなくなっていましたが

今も残る米軍住宅の向こう側に横浜市の管理の元で辛うじて残っていました。

米軍住宅の入り口の前を通り反対側の公園に行くと

はっきりと全景が見えました。



米軍住宅側から見た歴史のありそうなデザインの建物


それは中学生の時に見た建物の反対側でしたが、そのまま残っていました。

近くに寄って行くと、明らかに時間が経って凄い状態になっていました。

外国の建築家のデザインだそうで、1860年代に建ったそうです。

って事は140年近く建っていると言うことですよね。

横浜市は今年開港150周年。

その歴史と同じくらいの歴史を持っている建物だったんですね。


たぶん神奈川県庁や税関・赤レンガ倉庫などと同じくらいの歴史があったと思われます。

でも戦争の被害や米軍への没収で、取り残されてしまった様です・・・

明らかに保存状態が悪く、コンクリートの崩壊もあり

とてもじゃないけど、人が入れる状態ではありません。



裏面には競馬観戦用のスタンドの傾斜が見えます


もしこの建物が修復可能であれば、ぜひ修復してもらい

横浜の歴史として残してもらいたいものです。