Y30グロリア V20ターボブロアム(後期型)というクルマ

 1983年6月にデビューしたY30型グロリア、国産車で初めてOHC・V型6気筒エンジン(VG型エンジン)を搭載した車である。前期型は前モデルである430型のイメージを色濃く残した外観を呈していたが、1985年6月にマイナーチェンジを行い、カラードバンパーの採用、ヘッド&テールライトの大幅なリファインを受け、近代的かつスタイリッシュに生まれ変わった。Y30型にはセダンシリーズとハードトップシリーズの2シリーズがあり、さらにそれぞれに5ナンバーのV20シリーズと3ナンバーのV30シリーズが用意されていた。V20ターボブロアムはV20シリーズの上級に位置するグレードであり、新開発のジェットターボエンジン、各種の豪華装備が与えられていた。




Y30 GLORIA V20TurboBrougham のスペック
 
 

Y30 名車には決して選ばれないであろう名車
 


謎のY30ビデオ



Y30ギャラリー


 
Y30 GLORIA V20TurboBrougham スペック一覧
−日産グロリアカタログより抜粋(純正値)−
 
 

車名型式 : ニッサン E-Y30
全長 4690mm
全幅 1690mm
全高 1425mm
ホイールベース 2730mm
トレッド 前 1430mm
トレッド 後 1400mm
最低地上高 170mm
車両重量 1500kg
エンジン型式 : VG20E・T
種類・シリンダー数 OHC・V型6気筒
シリンダー内径×行程 78.0mm×69.7mm
総排気量 1998cc
圧縮比 8.0
最高出力 180PS/6000rpm
最大トルク 22.5kg/4000rpm
燃料過給装置 ターボチャージャー付ニッサン EGI(ECCS)
諸装置
駆動方式 後輪駆動(FR)
ステアリング形式 インテグラル型
懸架方式  前 独立懸架ストラット式
懸架方式  後 5リンクコイル式
ブレーキ  前 ベンチレーテッドディスク式
ブレーキ  後 ディスク式



 

隠れた名車−Y30
−大好きな車でした。私が免許を取ってはじめてハンドルを握ったクルマ−

 Y30グロリア2000ccターボブロアム・ハードトップは、それまで父が乗っていたブルーバードに代わる車として1986年暮れに我が家にやって来ました。私が免許を取るまでは、全くの興味の対象外でしたが、Y30のハンドルを握れるようになって初めてY30の魅力を認識!以後クルマの世界に興味を持ち始めたのでした。
 良く雑誌等で「懐かしの名車100選」といった記事が掲載されてますが、出てくる車は、スカイライン等のスポーティーセダンやスポーツカーといったカーエンスー好みの車、カローラ・シビックといった草食動物的大衆車ばかり・・・。5ナンバー枠とは思えない堂々たる外観・当時革新的なエンジン・至れり尽くせりの豪華な内装といった、良くも悪くも車が元気だった80年代の象徴ともいえるY30型セドグロ
をもっと知ってもらいたいと思うのです。以下、TAKE的偏見で見たY30 GLORIA TurboBrougham観&Y30との思い出を紹介したいと思います。
 
 
 
・外観

 
単なる「カマボコ板」ではない秀逸なデザイン
 かつて、某有名モータージャーナリストM本氏をして「カマボコ板のような」と言わしめた、5ナンバー枠をフルに使い切った四角いデザインがY30型の特徴です。確かに、パッと見は真四角に見えるかも知れません。しかし、よーく見ると決して”カマボコ板”のようなデリカシーの無いものではなく、微妙な曲線で構成された程良い尻下がりの秀逸なデザインをしていると思います。また、パッケージングも優秀で、5ナンバー枠にもかかわらず、広い室内&ラゲッジスペースを確保していました。この点は現代の無駄な3ナンバー車よりも優れていると思います。
 
 少々大げさかも知れませんが、Y30ほど秀逸なマイナーチェンジを行った車は他に無いと思います。私は後期型こそY30の真の姿だと考えています。前期型は新鮮さに欠け、あまり好きではありませんでしたが、マイチェン後は「フルモデルチェンジか?」と思える位に格好良く生まれ変わりました。当時の開発陣の「クルマを良くしてゆこう」という意気込みが感じられます。それに引き替え、最近の日産車のマイチェンときたら・・・思わず悲鳴を上げたくなるようなものばかり・・・。この頃のマイチェンを思い出せ日産!
 
 80年代当時、3ナンバー車に乗ることは、この上ないステイタスだったのでしょうか、Y30は2000cc車と3000cc車の外観での明確な差別化を行っていました。3000cc車には専用の長い前後バンパー&ぶ厚いサイドモールが与えられていました。Y30型のボディーは元々5ナンバーサイズ(全長4690mm・全幅1690mm)で設計されているのですが、これらを装着することによって全長が170mm全幅が30mmそれぞれ拡大!、エンジン排気量のみならず、ボディーサイズまでもむりやり3ナンバーサイズにしていたのです(うーん、80年代的)。そのためか、私としては2000ccモデルが一番デザイン的にまとまっていると感じます。しかし、80年代の価値観を如実に表現しているという点では3000ccモデルに軍配が上がるでしょう。
 
 また、恐ろしいことに、ハードトップモデルは側面衝突時の安全性を考えた現代の車では考えられない「ピラーレスハードトップ」でした。これはBピラーを取り除き、デザインのスポーティーさ・車内での開放感を狙ったもののようです。側面衝突されればイチコロだったでしょうけど、幸いそのようなことは無し。よく前後の窓を全開にして「これぞピラーレス」と走り回ったものです。
 
 
 
上が2000cc車・下が3000cc車 外観上の大きな違いはバンパーとサイドモールです。
3000cc車は「身も心も3ナンバー」にすべく、わざわざ長いバンパーとサイドモールが
取り付けられていました。当時のオジサン達は排気量での3ナンバー化だけでは納得
しなかったのでしょう。この差別方式はY31型まで続きました。

                              (写真は日産セドリックカタログより)
 
 
 
・内装
 

天井に輝くブルー光 ボリューム付きで明るさを自由に調節できる

ゴージャスな内装
 乗せた人間からは例外なく「派手」「パブ・スナックみたい」と言われ続けたその素晴らしき内装。シートはビロードの様に輝く生地を使用していてソファーの様な感じ、ステアリングにはオートクルーズやボリューム等の集中制御を可能にしたサイバーで豪華な光通信システムを装備、後席のアームレストにはオーディオ&空調の操作が出来る赤外線リモコンを装備、インパネにはヘアラインシルバーの輝きも眩しいDINを無視した巨大でゴージャスなオーディオ&エアコンコントロールパネル(3000ccのターボブロアムVIPにはマイクが装備されおり、カラオケも可能)、そして、天井には深夜のドライブを妖しく演出するブルーの照明・・・・といった具合に、80年代に考え得るゴージャスさを見事に具現した内装になっています。最近カーショップで多数売られている、大マヌケ装飾の代表格たるブルーの電飾、Y30は15年以上も前に純正で採用していたのでした。あの妖しいブルーの輝きはY30だからこそサマになるのです。現代の車でやってはいけません。
 しかし、全体的に”派手”ということはあったものの、シートにしろ、インパネにしろ、全ての作りがシッカリしていると感じました。それに比べて現代の車ときたら・・・コストが削られてますね。悲しい限りです。
 
 
 
・エンジン
 

 
 国産車初のV6エンジン搭載車であるY30、2000ccのターボモデルにはVG20ET型エンジンが搭載されました。しかし、「ターボの日産」であった頃でもあり、単なるターボではありませんでした。マイナーチェンジと共に誕生したそのターボの名はジェットターボ!で、何がジェットかと言うと・・・タービンの排気側に電子制御可変フラップを配置し、エンジン回転に応じてフラップが動く仕組みなのでした。エンジン回転が低く排気流が弱いときはフラップを閉じて気流を加速(口をすぼめて息を吹く方が、口を大きく開いて息を吐いた時よりも勢いがつくという理屈です。)することにより、低回転域からターボを効かせたパワフルな走りを可能にしたというもの。それでも段付きターボ傾向は拭えませんでしたけどね。全体的にはトルクもあって力面では不満の無いエンジンでした。一方で、全然高回転域まで回ってくれないエンジンでもありました。まあ、スポーツカーではないので仕方ないか・・・。エンジン音も低くていい音だったと思います。(しかし、最近はこのジェットターボの様なギミック付きターボが無くなってしまいましたね。もっと効率の良いターボが出来たからなのか、それともコストがかかりすぎるのか?良いアイデアだと思うのですが・・・)
 また、エンジン音ではないと思うのですが、常にエンジン・トランスミッション付近から回転に合わせて「ヒョーン」という音が室内に聞こえてきました。何の音なのか最後まで解りませんでしたが、高級感の漂ういい音でした。現在のY33はそんな音はしないので、残念・・・(邪道なのか?)
 
 
 
・走りの性能
 
 ダンナ車であるY30に走りの性能を求めるのは非常に酷なのかもしれません。そのハンドリング性能は、一言で言えば
鬼ダル!とにかく、初めて運転した人が例外なくビックリするほどダルなのです。そのダルさたるや、車両の直進時にハンドルを激しく左右に揺すってみても、何事も無かったのように直進する程。普通の車なら左右に激しく蛇行しているハズです。加えて乗り心地も「ショックアブソーバー効いてるんか?」と思う程ぽよんぽよん、高速道での運転はクルマを運転しているというよりも、修正舵を当てながら航空機を操縦するようなマニアックな感覚でした。しかし、車両の動きは素直で、慣れると自分の思い通りに運転できて楽しいクルマでした。車両挙動の素直さではY33よりも上じゃないかなと思うことがあります。

 
 
浅間台スポーツランドのジムカーナ大会にも参加(無謀)
・色々と走り回った記憶
 
「免許は取った、さあ乗りたい!だが、あるのはY30・・・」いえいえ、当時10代であった若者には車種など関係無し。学生時代、週末にはあちこち行っていました、ドノーマルY30で峠道やら首都高C1外回りやら・・・ま、クルマがクルマだけに攻めるには程遠かったですけどね。でも、あの頃は走れるだけで楽しかった。
 さらに若気の至りでしょうか、Y30でジムカーナ講習会にも参加!タイム計測では悔しくも下位に低迷しましたが、普段では出来ないお尻フリフリ走行もできて楽しかったです。ちなみに、その時ジムカーナチャンピオンとのY30同乗走行があり、定常円旋回での挙動をチェックしてもらったのですが、スロットルを踏み込んでもフニャフニャサスのおかげで内側の駆動輪が空転してしまい、リヤーが流れ出してオーバーになるでもなく、かといってプッシュアンダーにもなりませんでした。チャンピオンも「性能が悪い車です」とは言いづらかったようで、曰く「安定を求めたニュートラルになるようにセッティングされている車ですね」とのことでした。
 
 
 
 
 
・最大のトラブル
 
 カーショップのいいかげんな宣伝に引っ掛かった私がバカでした。我が家に来てから特に大きなトラブルも無く7年程経過したある日、ドライブがてらカーショップ泰○(すでに倒産)に入ったところ、「ATオイル交換キャンペーン!古いATオイルは交換しましょう!」なる掲示がされていたのでした。「安いし、やってみっか」と軽い気持ちでATオイル交換を頼んだのが運の尽き、交換後しばらくしてからATが極端に滑る(エンジンが空回りする感じ)ようになってきたのです。最後はマトモな加速が出来ない位に滑るようになってしまいました。ディーラーは「修理すると十数万はかかる可能性もある」とのこと。悩んだあげく修理屋に相談したところ、中古ATの載せ換えで8万円位でOKとのこと、早速交換してもらい、見事復活となりました。(MTへの換装も可能とのことでしたが、40万円位かかるとのことだったので残念ながらボツ。でも失敗したなー、MTにしていたら、親父から引き継いで私が今も乗っていただろうなー)後にディーラーから聞いた話ですが、全然オイルを交換していなかったATのオイルをいきなり交換すると、ATの調子が狂ってしまい、最悪の場合ATが壊れてしまうとのこと。心臓部分のメンテナンスは通りすがりのカーショップなんぞに任せずに信頼できる所に頼むべきということを学んだのでした。Y30オーナーさん、ATにはご注意あれ。
 
 
・別れ
 
 クルマを操る事がとても楽しいと感じる年頃を共に生活してきたY30とも別れの時が来ました。横を追い越して行くY32グランツーリスモを見る度に、「格好良いー」と心を奪われ始めていた自分。Y30が我が家に来てから8年程経っていたこともあり、親父と私とで「次のモデルが期待通りのモデルだったら購入を検討しよう」と考えていました。1995年6月、Y33グランツーリスモは期待通りのデザイン&スペックで登場、買い換えが決定しました。Y33の納車日は小雨・・・「Y30の涙かなぁ・・・」と俗っぽい考えが私の脳裏をかすめる中、Y30は下取り金5000円で引き取られていきました。ありがとうY30・さようならY30
 P・S 速攻廃車かと思っていたY30ですが、その後ディーラーの営業さんから「千葉県の方で中古車として買い手がついた」との報告がありました。どこかの爺さんに引き取られて、のどかな余生を送ってもらいたいものです。間違っても「初日の出暴走モディファイ」なんぞを受けていないことを祈る!

 


 
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