陶歴 | |||
昭和22年 | 12月10日長崎県波佐見町にて出生 | ||
昭和49年 | 長崎県美術展覧会でデビュー | ||
以後の主な活動 | 日本伝統工芸展・西日本陶芸美術展 九州山口陶磁展等で活動 |
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主な受賞 | 第7回西日本陶芸美術展大賞 内閣総大臣賞 |
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第29回長崎県美術展覧会特別賞 西望平和賞 |
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第20回西部工芸展金賞 | |||
第9回全日本総合美術展準大賞 | |||
104回九州山口陶磁展 文部科学大臣賞 | |||
主な認定 | 日本工芸会正会員・平成2年認定 | ||
手ろくろ一級技能士・平成9年認定 | |||
日本陶芸美術協会・平成22年正会員認定 | |||
ものづくりマイスター・平成26年認定 |
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現代の名工・平成27年認定 | |||
その他の活動 | H4年〜6年 波佐見高校非常勤講師 | ||
各地陶芸講座講師 | |||
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現在 | 創作活動の傍ら ものづくり体験指導 諸陶芸講座で指導 美術団体役員 治甫陶芸教室主宰 |
治甫窯の由来 |
治助は、喜前公が千の兵を率、朝鮮の役に出陣したと き、 公の近臣とし16才で従軍した。 戦功があったので帰陣後、150石の禄を揚わった。 若い治助は、この戦役の折連れて来た朝鮮人陶工たちと親しかった。 そこで藩公から陶工たちの監督役を命ぜられた。 治助は陶工たちを大村から波佐見へ連れて来て、 言葉がよく通じず生活様式も違う陶工たちを保護し、 生活を守ってやり、波佐見の人達との中をとりもち、 原料や燃料を世話して、村木で窯を開かせた。 かくて陶工たちは村木の畑の原や古皿屋、山似田に 朝鮮式登窯を築いて焼きはじめた。 これが波佐見陶業の始まりである。慶長4年(西暦1599年) のことであろう。 このように治助は、波佐見焼の創業に重要な役割を果した恩人である。 彼の墓地は、波佐見町稗木場郷立井家の屋敷に囲まれて存在し 立井家は代々富永治助の墓守を務める。 肥前波佐見立井治甫陶房 窯主敬白 |