3ヶ月間の闘病記録です
「そく入院」
3月8日の夕飯の時は何でも無く食べてビールも飲み、11時頃眠りに附いた。
9日の2時半頃目が覚め腹が痛い、多分寝冷えしたのではないかと念のため
正露丸飲んだが1時間経っても治らなくキリキリと益々痛みが強くなって来た。
家内を内線で起し症状を話したら「直ぐ病院で見てもらったら」三男の運転で病院に直行した。時間は午前4時頃だった。当直医の診査の診査の結果「胆嚢炎」らしく、今日午前中にもう一度詳しく調べる事になった。レントゲン・エコーの検査で点滴で散らすことが難しく内科の主治医から説明があり「胆嚢炎摘出の手術」となった。胆嚢炎は摘出しても油物を分解する役目で胆嚢が無くても一向に差し支えないようで盲腸の摘出と同じと説明があった。
それからが大変でした。15日間の絶食で起きる事が出来なく点滴と紙おむつ勿論小便は管です。我慢、我慢で3日も過ぎればと軽く考えていました。しかし3日過ぎても依然外す気配がなく一週間、二週間と過ぎて行き一週間半頃には白いご飯を食べている夢まで見ました。その事を看護婦さんを通じて話しました。看護婦さんは時間ごとに体温や身体の調子等詳細に記帳し次の看護婦さんに引継ぎしていました。何故細かい所まで知っているのと疑問に思ったくらい一部の空きもなくこまめに記帳していました。
「余病が出る」
15日間絶食で明日からご飯が食べられる嬉しさは表現出来ませんでした。他の患者さんを見ていると「水みたいな粥」から胃を慣らして行き九分粥になるのは約一週間程かかりました。しかし「水みたいな粥」でも食べられた嬉しさから、たったの間になくなって
しまいます。おむつと小便の管を取り外した後の誰一歩くことの楽しみはトイレに行くことと髭を剃ることです。15日間の絶食とおむつが取れ小便の管が取れましたが、心配でしたのは感覚が麻痺して正常に小便が出るかどうか、、、不安は取り除かれた。髭は15日間剃ってないので伸び放題、、、看護婦さんに歩けるようになったら剃ると約束。ベットの枕元には本日午後からのエコーの検査があるカードが掲げられていた。検査の結果十二指腸潰瘍と胆嚢の管に石があるようで胃カメラで確認する事になった。胃カメラは4・5回飲んでいるので恐ろしい事はなかったが、やはりカメラが入る時ゲ〜となるのと内部に入ってからぐるぐる弄られるのが何とも気持ちが悪かった。案の定レントゲンの結果 十二指腸潰瘍と胆嚢炎の管に石があった。主治医の説明を聞き胃カメラで摘出し石を粉砕する事になった。
「様々な人間模様」
8人部屋から6人部屋に移されたのは喉で呼吸している私が6人部屋ですと酸素の装置があったからです。部屋はカーテンで仕切られていたが声をかけられたのが20数年来会っていないin先輩だった。先輩は奥さんと一緒だつたが懐かしい思い出話しに私は喉の穴を押さえながら話しました。その時の話で色々とお世話になった先輩がつい最近他界したと聞きました。半月後向いの一人部屋に移ったが商売をやっているため奥さんが「おはよう」と何時も声を掛けてくれました。私は手術のため五階に移りましたが三階にはin先輩の名前が無かったそうです。5月初旬ですがゴルフの日本シリーズが行われ小雨のなか手術ご鈴木亨と片山新吾の一騎打ちとなったが手に汗を握る戦いとなったが一打差で片山新吾が優勝した。私は涙を飲んだ鈴木徹に勝ってもらいたかった。その旨を歩けなくなっていた先輩に励ましとプレーの様子話した。
三階(内科病棟)には様々な人間模様に出会った、、、Aさんは造園業を営んでいるが話題が豊富で隣のIさんと10歳違うのに仲良くなった、、最も住んでいる所が近いせいもあった、、朝方5時頃から毎日のように話していたが良く話題があるものと思っていたが早朝なのでシーンとする部屋では話声がナース・スティションに聞こえたのか注意されました。しかしAさんとは私と年齢も近いので胃カメラを飲む前に注射すると痛みがなく寝てる間に終わって事など教えてくれました。Aさんは部屋の人気者でした。隣に来る人は朝方5時ごろからもそもそ片付けをしていましたが実は甘い物が好きでそれを探していました。後から聞きましたが子供がなく養子、養女の縁組で養女の方は中国人でしたが血の繋がりがありませんが良く尽くしてます、、、多分病気になる前は大変苦労したとことでしょう。
Sさんのじいさん元気かな〜、、おばあさんが11時半〜12時頃毎日看護していた、、おじいちんがご飯が食べられると喜んでいたっけ、、栄養たっぷりで温まめの流動食を直接胃に流し込むもので退院までおばあちゃんが看護婦さんに教えられたように何度も繰り返しやっていたのが印象的だった。何時もおじいちゃんを心配してくれたSさんが関連病院に転院したが直ぐ一人部屋に移された55歳と言う若さで病気が進んだ思う。お袋さんが背中にしょわれるだけ背負って腰を曲げていた、、同じ地域で山奥から来ていたMさんのおばあちゃん乗り継ぎで片道2時間半かけて2日に一辺皆さんに一人一人に「何時もお世話になっています」と挨拶した。話では息子さんがMさんの事業を継いだそうです。同じ地域の布団店のNさん又夫婦二人で過ごしているOさん等が居ました。みなさん過去に染み付いた生活を人間模様として描かれています。私も外部から見られていた事でしょう。
「血管が細くなる」
15日間絶食の時はすんなり点滴の針が入ったのだが、、、勿論2・3回取替えましたが?脳梗塞で倒れ右と左が五度位体温の差があると看護婦・士(紅一点の男性)に言ってあるので五度位体温の差があるので痛くない左手にする事が多かった。時が経つと血管が細くなるのですね、、、看護士さんは4月に入社したばかりで研修と実際と違うので左手に失敗された時は右手やってもらった。「すみません」何回も謝って点滴を注した。お陰様で左右点滴の針穴だらけ、、それも毎日ことで血管も細くなるはず、、、ベテラン2・3人代わったこともあるが結局点滴が出来なくて馬場田さんは食べるからと主治医の指示により点滴をしなくても良いことになった。
「楽しみ」起きれるように成った楽しみは朝食前にテレビで「こころ」と「ぴあ」を見ることが日課となる。あともう一つは午後1時からのBSの「懐かしい時代劇」を見るのが楽しみだった。子供のころ電蓄にしがみ付いて「新諸国物語 笛吹童子」「紅孔雀」を良く聞きテレビが無かったので映画館で欠かさず見たものです。出演者は中村錦之助、東千代之介、大友柳太郎、月形龍之介、高千穂ちづる、田代百合子、千原しのぶ、大川恵子等
「いよいよ手術」
手術する外科の先生と主治医の打ち合わせの結果5月23日午前10時からと決定。痛みを和らげるのに息を吹きかけピンポン玉が上まで上がる訓練が約一週間続いたが、私は喉の穴を塞がないと空気が出ないのでこれだけは一日で辞めてしまった。看護婦さんの指示通り家内が「T字帯」「腹巻」を用意。手術当日T字帯に着替え茶色の点滴と普通の点滴とで手術に入った。前日説明を受けた麻酔科の先生、不安を取り除いてくれた女性のスタッフの顔だった。手術室で点滴の位置が悪く注しなおし、「心配は要らない」女性のスタッフの声のもと指示通り丸まって横になり背骨に注射したが5分も立たないうち意識朦朧で後は分からない。気づいた家内の言うのには1時間半の手術が癒着していたたので30分位伸びたようで胆のう炎には石があったよう。
「心強い」
家内には手術後三日間付き添ってもらった。日中寝ているので眠れない夜が続き、初めて看護婦さんが持ってきてくれた眠剤を飲んだら10分しないうち眠ってしまった。一週間後4人部屋に移された。以前職場にいる時色々と世話した後輩のS君が1日違いで手術をしていた。製造部長に昇格していた事は聞いていたが今回取締役に昇格した。温厚な人柄が取締役に選出されたと思う。後輩が真向いに入院しているので何となく心強かった。私は6月6日に退院したが彼は7日に退院したようです。
「最後に」
比較的体重のある看護婦さんが患者からのブザーで飛んで走るのが地震ように体に伝わって来る。患者さんの苦情を聞き時間帯で聞き逃さずメモし次の看護婦さんに引継ぎ主治医が判断する仕組みは素晴らしいものです。時には元気づけ、励まし、勇気づけ、やる気を起こさせます。前朝ミーテングするのも患者さんの身になり一身一体で行動しているが正に「白衣の天使」です。同じ病院でありながら3Fと5Fは別世界のよう。特に3F(内科)の患者さんは生死をさまよう患者さんが多いようで大変だと思います。主治医の先生、婦長さん、看護士の皆さん、それを支えるスタッフ皆さん有難うございました。書面を以って感謝申し上げます。
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