10:32 2005/11/17
ばあさんの思い出 岡田 薫 聴春院圓珠宗薫尼 平成4年3月25日 没 93才
今の私がここにいることは、ばーさんの おかげです
1、17才で天皇陛下のためならばと海軍に志願、女2人男1人だったが戦時中であきらめたのでしょう
2、復員後、なにもすることがなくぶらぶらしていたら、松山経済専門学校に入れという、入った
3、卒業して就職、どこでも良い、木工屋になろうかと、木工屋に就職、しばらくしたら、
そんなとこより金融へと無尽会社に、転職
4、途中で神戸の貿易会社にどうか?というので行ったら、なんと英語ばかりで、あきらめました
5、おかげで愛媛銀行で定年まで勤めて、今の生活
6、住職は親父のおかげです 岡田 章秀 権少僧正法印章秀 平成1年10月13日 没 96才
1、親父がロンドンにいた頃、こちらは中山にいた、海外の給料は良くて、当時の村長さんより高額だったらしい、
その頃から上層の人との付き合いが多かった
2、子供の頃、学校から帰ると、皆さんが集まってマージャンをやっていた、
トイレに行く人の変わりにパイを並べて覚えた
3、東京時代も近所の、東京工業大学の教授や、帝国ホテルの支配人さんなどと親しく
私の海軍への入隊送別会は、おかげで帝国ホテルでした
4、吉田 茂 さんの家にも出かけて行ったすごいおばちゃんでした
銀行時代で思い出すことは、今は笑い話だが
観音寺支店から本店の業務部次長、推進部次長、公金課長、で赴任して、県庁へ挨拶に行った、
ところが、副知事から、頭取に電話
「あの岡田が公金課長は駄目だ」とのこと
お袋が、知事の嫁さんと親しい、この嫁さんが県庁内で大暴れして職員はみな困っている、あれは止めさせろ
とのことでおかげで、公金課は無くなりました
銀行の組織にまで影響があったのには驚き、その時はくたびれましたが、今は笑い話です
松山城のふもとの写真屋で撮影、土浦海軍航空隊から休暇で帰省中、昭和19年8月 親父はこの時戦時中、スマトラの横浜正金銀行で支店長勤務中でした
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