1898m

 後方羊蹄山は羊蹄山と略して呼ばれることが多いが、『日本百名山』の中で深田久弥は、『日本書紀』の斉明5年の記述に後方羊蹄(しりへし)の地名あり、歴 史的な名前であるが故に後方羊蹄山と呼ぶことにこだわっている。

『日本書紀』での後方羊蹄(しりへし)の記述
 3月17日、甘樫丘の東の川原に須弥山を造って、陸奥と越の国の蝦夷を饗応された。

この月に阿部臣を遣わして、軍船百八十艘率いて蝦夷の国を討った。

阿部臣は飽田あきた(秋田)・渟 代ぬしろ(能代)二郡の蝦夷二百四十一人と、その捕虜三 十一人、

津軽郡の蝦夷百十二人とその捕虜四人、いぶりさえの蝦夷二十人を一ヵ所に集めて大いに饗応し物を与えられた。

船一隻と五色に染め分けた絹をささげて、その土地の神を祀った。

肉入籠ししりこに至ると、問 菟というの蝦夷の胆鹿嶋い かしま菟穂名うほなの 二人が進み出て言うのに、「後方羊蹄しりへしを 政庁(郡家)として頂きたい」と願った。

胆鹿嶋いかしまらの言葉に従って郡家を設け て帰った。

陸奥と越の国司に位をそれぞれ二階を、郡領と 主政まつりごとひとと にそれぞれ一階を授けた。

ある本に、阿部引田臣比羅夫が粛慎みしはせと 戦って帰り、捕虜四十九人をたてまつったとある。



 2019年8月31日(土)、4人の仲間と後方羊蹄山(1898m)に登りました。

 前日の夜は真狩(まっかり)温泉に宿泊して、真狩コースを往復しました。

 真狩温泉の主人には、天気がよくなさそうなので、7合目ぐらいで戻ってきてはどうかとアドバイスされましたが、時間をかけても山頂をめざしました。

時々雨が降り、展望もない急登を、何合目との表示を一つずつクリアしてひたすら歩きました。

標高差1500m(1898−398)をガイドブックの標準歩行時間は5時間になっていますが、6時間15分を費やしました。

下りも滑るので時間をかけて日没の18時過ぎまで歩きました。

登頂には成功しましたが、蝦夷富士と呼ばれる美しい姿を見ることができなかったことが、心残りです。

登山口(398m) 6:15  1合目 6:32  2合目 (588m) 6:57  3合目 7:23  4合目 7:59  5合 目 8:45

6合目 9:30  7合目 10:08  8合目 10:37  9合目(1658m) 11:07  山頂(1898m) 12:30   



makkarion 登山前日に宿泊した「まっかり温泉」です。
8月31日(金)に北海道の翼AIR DOで羽田空港から新千歳空港に向かう。
登山口の真狩(まっかり)村は細川たかしの出身地で銅像になっていました。
登山前日に宿泊したまっかり温泉の「ユリ園コテージ」です。

ここからは羊蹄山の絶景が眺められるはずでした。
登山口の真狩(まっかり)キャンプ場で記念写真を撮りました。
9合目が過ぎ、ここから山頂をめざし大きな岩をいくつも越えて山頂をめざします。

白いペイントのマークを見失なわないように注意して進みます。
やっとたどり着いた後方羊蹄山の山頂。

表示は羊蹄山になっていました。

展望はありませんでした。

雨が降っていなかったのが幸いです。