古事記・日本書紀・続日本紀の天皇と宮

天皇についての記述範囲
・古事記は神武天皇から推古天皇までの天皇について記述されている。
・日本書紀は神武天皇から持統天皇まで記述され、その後の文武天皇から桓武天皇までは続日本紀に記述されている。

辛酉(しんゆう)革命説
神武天皇の即位年は中国の予言説である讖緯(しんい)思想の辛酉革命説に基づくとというものである。中国では、漢の時代から「辛酉の年は革命の年」といわれていた。中国の易の本『易緯(えきい)』に「辛酉と甲子(かっし)の年は革命・革令があり、歴史的な周期として1蔀(ほう)がある」と記されている。1蔀(ほう)とは21元のことであり、元は干支の一巡すなわち60年を指すので、21元は60×21で1260年になる。これを利用したのが『日本書紀』の編纂者で、推古天皇9年(601年)辛酉の年に斑鳩(いかるが)宮建立の際、日本の建国の年を1蔀さかのぼった紀元前660年を神武天皇の即位(建国紀元)にしたのであろう。このように紀元を決めた結果、天皇の数に比べて時間が長くなり、100歳以上の天皇が続出することになった。

歴代天皇の享年
代数 天皇名 日本書紀 古事記 
1 神武 127 137
2 綏靖 84 45
3 安寧 57 49
4 懿徳 77 45
5 孝昭 113 93
6 孝安 137 123
7 孝霊 128 106
8 孝元 116 57
9 開化 111 63
10 崇神 120 168
11 垂仁 140 153
12 景行 106 137
13 成務 107 95
14 仲哀 52 52
15 応神 110 130
16 仁徳 87 83
17 履中 70 64
18 反正 - 60
19 允恭 - 78


なぜ遷都したか
古代において歴代の天皇御世ごとに遷都していた。時には1代の間に数度の遷都をしている。遷都の理由にいくつかの学説がある。
1.父子別居、母子同居の習慣が、1代ごとの遷都をひきおこした。
2.天皇の崩御で宮室がけがれ、新帝は新宮を他所に営んだ。
3.各時代の政治課題解決のため遷都をした。
4.交通、輸送上、あるいは食料確保の上での利便、特に民衆の課役貢納上、諸国支配上における、よりすぐれた地域に遷都を行った。
5.宮殿建築の耐用年数を理由とする。
6.遷都の根底の理由は、宮は天皇1代ごとに移すとする宮廷慣行であった。


古代天皇と宮の一覧表(PDF)


古代天皇の系図(PDF)