陸軍中野学校
陸軍中野学校趾の石碑。
東京警察病院の敷地内(北西の隅)にあります。
昭和20年当時の陸軍中野学校の配置図

「陸軍中野学校」はかって市川雷蔵主演の映画の題名になったが、スパイ養成の学校としか認識しておらず今回調査を行った。

創設の目的
秘密戦士の養成と秘密戦の研究
を目指した学校である。秘密戦とは、武力戦と併用されるか、あるいは単独で行使される戦争手段であって、諜報、謀略、防諜などを包含している。国際的秘密戦では、敵側の勢力を、策略をもって、二つに分割操縦するのが常套手段だ。これは金力よりも、思想戦、心理戦に重点をおいて、敵陣営を『敵、味方、中立』の三派に分割し、その中立派を思想戦や恐怖心を抱かせる心理戦でしだいに切りくずして、味方をふやすという方法をとるのが秘密戦の特徴だ。

精神教育
日露戦争の奉天大会戦の勝利に導いたのは、明石元二郎大佐の明石工作(ロシア革命工作)による二軍団をロシア本国内に足止めあっての勝利なのだが、この事実は日露戦史に一行もしるされていない。「功は語らず、語られず」それが諜報活動をするものの鉄則で、中野学校が「地位も、金も、名誉もいらぬ。国と国民の捨て石となって野末に果てる」精神を涵養した。「謀略は誠なり」という精神を固く守り、諜報戦士として誠を貫くことが肝要であると教えていた。誠とは真心から発するもので、事をなすには誠心誠意をもって従事することであるとされた。日露戦争における明石元二郎大佐の政治謀略の成功も、大佐と反皇帝派との間に真心と真心との結びつきがあったがゆえの成功である。ヨーロッパ時代の秘密活動をまとめた「落花流水」は、中野学校のテキストになった。

教育内容
秘密戦を行うための「諜報」、「謀略」、「防諜」、「宣伝」、「遊撃」を教育した。「占領地行政」は秘密戦ではないが、陸軍省の要請で教育課程に加えられた。
「諜報」は相手側の企図や動静を探ること。
「謀略」は相手側を不利な状態に導くような工作を施すこと。
「防諜」は相手側が、わが方に対して行う諜報または諜略を事前に察知し、これを防止すること。
「宣伝」は相手が好むと好まざるとにかかわらず、一方的に情報を提供すること。
「遊撃」はあらかじめ攻撃する敵を定めないで、正規軍隊の戦列外にあって臨機に敵を討ち、あるいは敵の軍事施設を破壊し、もって友軍の作戦を有利に導くこと。

「諜略の本義」のテキスト
国家間の戦争は単に武力に依るのみならず政治、経済、思想等所謂総力戦の全部門に亘り行わるるものにして、従って国家闘争の裏面的行為たる諜略も又之ら諸部門に亘り実施せらるるものなり。諜略は平戦時とも軍事、経済、思想等国家対外施策の全部門に亘り用いらる。表面的な武力戦を以てする闘争の行われざる平時においても、相手国の軍備を対象とする裏面的なる武力戦的闘争は依然、継続せられ特に、政治、経済、思想面における裏面闘争は戦時に比し寧ろ活発に行わるるものにして、従って諜略の内容は平戦時ともに軍事、政治、経済、思想の各部門に亘る。

カリキュラム
一般教養基礎学
国体学、思想学、統計学、心理学、戦争論、日本戦争論、兵器学、交通学、築城学、気象学、航空学、海事学、薬物学

外国事情
軍事・攻略・兵要地誌
ソ連、イタリア、ドイツ、英国、米国、フランス、中国、南方地域

語学
英語、ロシア語、支那語

専門学科
諜報勤務、諜略勤務、防勤務、宣伝勤務、経済謀略、秘密通信法、防諜技術、秘密兵器、暗号解読

実科
秘密通信、写真術、変装術、開かん術(手紙・封書)、開錠術(錠前)、自動車運転、航空機操縦

術科
剣道、合気道

特別講義
忍法、犯罪捜査、法医学、回教事情、ポーランド事情、トルコ事情

選考要領
秘密戦勤務要員として各種専門知識と、精神的、肉体的に優秀な者を選抜することはもちろんであるが、学校の内容を秘匿するため、本人の意思に反して入校を強要しない。幹部候補生出身将校の中から所属部隊長の推薦したものを選抜試験で入所させた。

卒業生
8年間に2131名が卒業し、そのうち戦死者が289名(13.6%)、不明者が376名(17.6%)に及ぶ。武官という身分を秘して、外交官や他の文官、新聞通信員、商社員、その他あらゆる名目の職業を持つものとして世界各国に派遣された。小野田寛郎少尉は昭和49年までフィリピンのルバング島で残置諜者の任務にあたっていた。残置諜者は、敵に占領されたあとも、命ある限り島に踏みとどまって敵の意図を無電通報する使命を負わされていた。

陸軍中野学校の変遷
昭和13年1月
設立準備には岩畔いわくろ、秋草、福本の三中佐があたった。陸軍中野学校設立までの過渡的措置として勅命で「後方勤務要員養成所」と命名し第一期生19名を採用する。この養成所は陸軍大臣に所属し愛国婦人会別館(九段)にあった。
昭和14年4月
愛国婦人会別館(九段)から中野(JR中野駅の北側、平成13年8月まで警察学校)旧電信隊跡に移った。
昭和15年4月
「秘密戦要員の基本的態度」を次のように決めた。
・同士的組織力の重視。従来の単独勤務養成とは異なり、あくまで秘密戦を遂行する組織の一人であることが肝要である。
・高度な科学技術の重視。
・各要員の持つ専門的知識と資格を十分に活用する。
・確固不動の信念に燃える不撓不屈(ふとうふくつ)の人間形成。
昭和15年8月
「陸軍中野学校令」が制定された。
昭和16年10月
陸軍中野学校は制度上、陸軍兵器行政本部の直轄となっていたが、参謀本部直轄となった。
昭和18年8月
参謀本部は正規武力戦を補うために陸軍中野学校に「遊撃戦闘教令」の起案と「遊撃隊幹部要員の教育」とを命じた。
昭和19年8月
陸軍中野学校二俣分校(静岡県磐田郡二俣町)が新設され遊撃隊幹部要員の教育を専門に実施した。
参謀本部は国土決戦に備えるため陸軍中野学校に「国内遊撃戦の参考」の起案を命じた。
昭和20年1月
「国内遊撃戦の参考」を印刷配本し遊撃隊幹部要員の養成を本格的に行う。
昭和20年4月
陸軍中野学校本校は群馬県富岡町に疎開し、秘密戦、特に遊撃戦全般の総本部立場にあって、その研究、教育、訓練を行った。
昭和20年8月
大本営の密命により敗戦後の本土被占領地の地下における秘密戦も考えられ地下組織の編成に着手した。

陸上自衛隊調査学校
現代日本の諜報機関である陸上自衛隊調査学校は昭和27年10月に陸上自衛隊業務学校第二部として発足し、昭和29年9月に陸上自衛隊調査学校として独立し東京都小平市に設置された。
設置目的は防衛および警備のため必要な情報に関する業務等に必要な知識および技能を修得させるための教育訓練を行うとともに、情報関係部隊の運用に関する調査研究を行うことである。
教科内容は、戦略情報、作戦情報、地誌、航空写真判読、調査、心理戦防御、英語、ロシア語、中国語、朝鮮語である。