人類の起源
1000万年前以降、アフリカ大陸で起きた地殻変動の結果、南北に蛇行する大きな谷であるアフリカ大地溝帯ができた。これは類人猿を含む多くの動物を東西に分断する障壁となった。分断された類人猿の西側の子孫は、樹上生活に適した温暖湿潤な地域に残り、現在の類人猿となった。逆に東側の子孫は、樹木の少ない乾いた地域に残され目の前の草原に適応すべく樹上生活を捨て地上を歩みだした。それが人類なのだ。
(イーストサイドストーリー イヴ・コパン 1983年)

時代  発見年 説明 特徴
600万年〜
700万年前
トゥーマイ猿人(サヘラントロプス・チャデンシス 2001年
7月
チャドの首都ヌジャメイナ北約800キロのトロスメナラ地域で地元の大学生が砂漠の中の砂岩層で頭骨を発見その後、あご2個、歯3本が見つかった。仏ポワティエ大学のミッシェル・ブルネ教授らの国際研究チームが英科学誌ネイチャーに発表した。トゥーマイ猿人は「生命の希望」を意味する。 脳容量350cc
600万年前 オロリン猿人(オロリン・ツゲネンシス 2000年
10月
ケニア北西部のツゲン・ヒルで発見された。その化石には下顎骨片、単独の歯、指や腕の骨、大腿骨片などの化石が見つかった。2004年に股関節につながる大腿骨の断面図をCTスキャンで詳しく調べた結果、二足歩行の特徴を示す報告が発表された。オロリンはケニアの現地語で「最初のヒト」を意味する。
440万年前 ラミダス猿人(華奢型猿人:アルディピテクス・ラミダス) 1992年 エチオピアで米カリフォルニア大バークリー校のティム・ホワイト教授、東大の諏訪元助教授、エチオピアの人類学者ベルハネ・アスファウ博士のグループが、あごや腕の骨の化石を発見した。

足の親指は大きく、木の枝をつかみやすい。足の裏に土踏まずなく長距離の歩行には向かないものの、足を支える骨盤の下部は長く、木登りに適している。
犬歯は小さく、硬いものや草原性の植物はほとんど食べないものの、森の中の果実や葉、昆虫などを食べる雑食性だった。
身長120cm
体重50kg
脳容量300cc〜
350cc
420万年〜
390万年前
アナメシス猿人(華奢型猿人:アウストラルピテクス・アナメシス) 1994年 ケニア北部トゥルカナ湖東岸アリアベイで猿人の歯やあごの骨の化石が三十四個見つかった。1995年ケニア国立博物館古人類学部長のミーブ・リーキー博士と米ペンシルバニア州立大のアラン・ウォーカー教授が1995年に論文を発表した。すねの骨の形から二足歩行を始めていたのは確実とされた。
400万年〜
300年前
アファール猿人(華奢型猿人:アウストラルピテクス・アファレンシス) 1974年 「ルーシー」の愛称で知られるこの猿人は、エチオピアのハダールとタンザニアのラエトリで発見されており、火山灰の上に残された足跡と、骨盤や大腿骨などの形から、ヒトの最大特徴である「直立二足歩行」をしていたと推定されている。アファール猿人から二つの系統が生じ、一方の系統はアフリカヌス猿人をへてロブストゥス猿人となり、もう一方の系統がハビルス猿人をへて直立猿人となりホモ・サピエンスになった。 身長120cm〜
150cm
脳容量300cc〜
400cc
2006年 エチオピアの北東部で約330年の3歳の女の子の全身化石を独マックスプランク研究所などが参加する国際チームが見つけた。足や膝の化石からは、直立二足歩行ができたと推定されるが、肩甲骨や長く曲がった手の指からは樹上生活に適した特徴を持つ。この女の子には現地の言葉で平和を意味する「セラム」という名がつけられた。
300万年〜
200万年前
アフリカヌス猿人(華奢型猿人:アウストラルピテクス・アフリカヌス) 1924年 レイモンド・ダートが南アフリカのタウングで猿人類第一号の骨を見つけた。アフリカヌス猿人とは「アフリカの南の猿」の意味である。植物性の食物だけでなく、小動物を狩ったり、死んだ動物を見つけて食べていた。 身長110cm〜
140cm
脳容量400cc〜
500cc

195万年〜
178万年前
セディバ猿人(アウストラルピテクス・セディバ) 2010年 南アフリカのウイットウオーターズランド大などの研究グループが南アフリカの首都プレトリア近郊の洞窟から約190万年前に生きていた新種の猿人の化石を発見したと米サイエンス誌に発表した。化石は少年と成人女性の二体で、頭や腰、腕、脚などの骨が見つかっている。
セディバは南アフリカのソト語で「泉・水源」を意味し、ホモ属の起源である可能性があるとの意味が込められている。
骨盤の筋肉の付き方など下半身の特徴は、ホモ属に近く、二足歩行していたと考えられる。一方、腕は長く木登りに向くという猿人の特徴も兼ね備えている。体全体ではとしてはアウストラルピテクスの特徴が多いため、その一種と判断した。
身長127cm
体重約30kg
脳容量420cc〜
450cc

250万年前 ガルビ猿人(華奢型猿人:アウストラルピテクス・ガルビ) 1999年
4月
エチオピアでカリフォルニア大のティム・ホワイト教授、東大の諏訪元らのチームによって発見された。発見された化石は6個体分の骨で、その中には頭骨や四肢骨が含まれていた。他の猿人に比べてヒトの特徴を強く持っている。下肢の長さがあとの時代のヒトに近いこと、石器を使って動物の皮を剥ぎ取ったり、骨髄をとって食べたりしていた。ガルビは、エチオピアの現地語で「驚き」という意味である。

最期の華奢型猿人です。
その後の人類は、頑丈型猿人とホモ属だけです。
その後
身長140cm
脳容量450cc
180万年〜
100万年前
ロブストゥス猿人(頑丈型猿人:パラントロプス・ロブストゥス) 1950年 南アフリカのスワルトクランスという洞くつで発見された。小さな脳をもち、大きな臼歯や頑丈な頬骨で、硬い木の実とか根っことかかみ砕くのに力のいる物を食べていたので両側に張り出したあご、大きな奥歯が特徴で頑丈型猿人と呼ばれている。頭蓋の頭頂部には、矢状突起と呼ばれる出っ張りがありますが、あごの筋肉を、しっかりと頭蓋に付着させるために発達した構造だとされています。頑丈な顎を使って栄養価の低い食物を一日中食べ続ける必要があり、食べることに時間を費やしていたために脳が発達しなかった。ロブストゥス猿人はヒョウに食べられて滅んでしまった。栄養価の低い粗食に完璧なまでに適応してしまったがゆえに生存競争に敗れた。
身長150cm
脳容量500cc

220万年〜
100万年前
ボイセイ猿人(頑丈型猿人:パラントロプス・ボイセイ、ジンジャントロプス・ボイセイ) 1957年 タンザニアのオルドバイ峡谷でルイス・リーキー、メアリー・リーキー夫妻が頭骨の化石を見つけた。これは、東アフリカにおける猿人発見の端緒となった化石である。

頑丈型猿人はホモ属(ヒト属)と共存しつつ、100万年前まで生き延びた。
脳容量500cc〜
550cc

240万年〜
160万年前
ハビリス猿人(ホモ・ハビリス) 1964年 タンザニアのオルドバイ渓谷で頭骨が発見された。脳が大きく石器を作り、ルイス・リーキー博士が「手先が器用なヒト」ホモ・ハビルスと命名した。脳が大きくなると、植物の根っことか木の実では栄養が足りなく高カロリーの動物の肉が不可欠である。初期のヒトはまだ狩猟ができなくライオンやヒョウが食べ残した動物の骨を探し、それを石器で割って脂肪たっぷりの骨髄をすすっていた。ハビルス猿人こそが、現代人の直接の祖先である「ホモ族」の最初の人類なのである。  身長100cm
脳容量600cc〜
750cc

200万年〜
20万年前
直立原人(ホモ・エレクトス) 1891年  初期の原人たちはアフリカ大地溝帯周辺に暮らし、何十万年かの間アフリカから出ることはなかった。170万年前に住み慣れたアフリカの地からユーラシア大陸へと踏み出した。(出アフリカ)米ペンシルバニア州立大のアラン・ウォーカー教授によると「肉食中心になったのが原因」という説をだしている。肉食になると、獲物が少ないから限られた場所にいたのでは、多人数を養えない。獲物を探して居住地域を拡大せざる得なくなる。彼らの一部はインドネシア・ジャワ島や中国にまで足を延ばした。ジャワ原人(ピテカントロプス)の化石は、約100万〜60万年前の地層から数多く発見されている。中国でも約80年前の藍田人らんでんじんや、60〜25万年前の北京原人(シナントロプス)などが発見されている。 身長152cm〜
182cm

脳容量700cc〜
1300cc
20万年前〜
3万年前
ネアンデルタール人(旧人)(ホモ・ネアンデルターレンシス) 1856年 ドイツのネアンデルタール峡谷のフェルトホーフェル洞窟で骨が発見された。化石の出土場所は主にヨーロッパと近東だが、中央アジアや北アフリカの地中海に面した地域でもみつかる。ネアンデルタール人は、死者を埋葬した最初の人類だったと考えられている。ネアンデルタール人の主要な生活活動は狩猟でホラアナグマ、野牛、鹿、マンモスを獲物としていた。
ネアンデルはギリシャ語で「新しい人」、タールはドイツ語で「谷」を意味する。
「ネアンデルタール人を現代によみがえらせ、背広を着せ中折れ帽をかぶせ、ニューヨークの地下鉄に乗せても振り返って見る人はだれもいないだろう。」とミシガン大学のC.L.ブレイスの本に引用され、一躍有名になった。
脳容量1000cc〜
1600cc
3万5000年〜1万年前 クロマニヨン人(新人)(ホモ・サピエンス) 1868年 フランス南西部のクロマニオン洞窟で発見された。フランスのラスコーやスペインのアルタミラの洞窟壁画にみられるような文化をもっていた。石を薄く割りとる細石器の製作や骨角器が広く利用された。この時代には、アフリカからアジア、ヨーロッパ、そして遠く北東アジアのさまざまな地域にまで人類は定着した。人類は文化の力でビュルム氷期の厳しい気候に立ち向いオーストラリアやアメリカにも移住した。 脳容量1200cc〜
1700cc
平均1350cc
1万8000年前 ホモ・フロレシエンシス 2003年9月 インドネシアのフローレス島の洞窟で人骨化石が見つかった。脳はチンパンジーとほぼ同じ400ccで、ホモサピエンスの3分の1程度しかなかったが、石器と動物の骨が同じ地層から見つかっているため、石器を使って狩りをしていたと考えられる。
「巨大脳こそ人類の証」「人類の進化は一直線」という人類学の常識は大きな疑問をつきつけられた。
身長100cm
脳容量400cc

104万年〜4万年前 デニソワ人 2010年3月 ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所などの国際チムは、ロシア・シベリア南部のアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟で2008年に発見された小指の骨の化石を分析。DNA解析の結果、現生人類やネアンデルタール人の共通の祖先から約104万年前に枝分かれして独自に進化した新種の人類であることがわかった。


現生人類はどこから来たか

多地域進化説

現代人アフリカ起源説

それぞれの地域の原人が互いに混血を繰り返しながら、それでも基本的にはその地域で進化して、現生人類になったと考える。アフリカの原人から現代アフリカ人が生まれ、ヨーロッパの原人からネアンデルタール人を経て現代ヨーロッパ人が、アジアの原人から現代アジア人が、インドネシアの原人からソロ人を経て現代オーストラリアのアボリジニが生まれたとする。

十数万年前アフリカの原人からホモ・サピエンスが生まれ他の地域に進出しその地域いた旧人と交代してすべての地域の現生人類になったと考える。アフリカの原人から生まれたホモ・サピエンスから現代アフリカ人、現代ヨーロッパ人、現代アジア人、現代オーストラリアのアボリジニが生まれ基本的にネアンデルタール人をはじめとする各地域の旧人は絶滅してしまったとする。

イブ仮説

1987年、米国の分子遺伝学者レッベッカ・キャン博士らは、現代に生きている世界中のさまざまな民族百数十人の妊産婦から胎盤をもらい、細胞内のミトコンドリアDNAを調べた。ミトコンドリアは母親からだけ子供に伝えられる。基本的に母親のミトコンドリアがそのまま娘へと伝えられるため、娘から母へ、またその母へと、ミトコンドリアDNAを手がかりに、母系の系統を遡ってたどっていくことが可能である。また、ある時間の間にミトコンドリアDNAに変異が起きる率はほぼ一定なので、分岐した二つの集団が分かれてからどれくらいの時間がたったか計算することができる。その結果が「イブ仮説」で現在すべての現生人類のもっているミトコンドリアDNAは、いまから二十九万〜十四万年前にアフリカに住んでいた一人の女性のミトコンドリアに由来する。われわれ現生人類はみな彼女の子孫なのだ。われわれの細胞はそれを覚えていたことになる。

現生人類すべての起源が二十万年ほど前のアフリカにいた原人女性にあることになる。これは人類学者の「現代人アフリカ起源説」と一致した。

寒冷地適応

寒いところへいくほど体が大きくなる。体が大きいほど熱を体内に溜め込みやすく、体外に放出しにくくなる(ベルクマンの法則)
寒いところにいくほど凹凸が少なく丸くなる。寒冷地では体表面積が最も小さい球に近づく。(アレンの法則)
南方起源だとされる縄文人は体が小さく、北方起源だとされる弥生人は体が大きい。
アフリカの密林地帯にすむ人々は体が小さく、熱を溜め込まない体形をしているが、サバンナや西アジアの砂漠地帯に住む人たちは、手足が長くすらっとした表面積の大きい体形をしている。
北アジアや北極圏に住む人たちは、手足が短くずんぐりした熱を溜め込みやすく放出しにくい体形をしている。
寒いところでは手足が短くなって体が球に近くなるだけでなく、頭も球に近くなっている。

鼻の形状は、寒く乾燥した地域に住む人ほど細く長い鼻ををしている。鼻は空気を暖め湿らせて肺に送り込む役目を担っている。

頭髪は、縮毛もしくは螺旋毛の方が、汗を発散しやすく頭が冷えるため、熱い地域の人たちに多い。

寒冷地では髭が薄い方がよい。マイナス何十度になるような所では、髭が濃いと吐いた息が髭に凍りついてしまい、凍傷になる危険性があります。北方アジア人の髭が薄いのも、寒冷地適応の一つだと考えられる。

人類進化の系統図    篠田謙一