ウェブ進化論         梅田望夫著

 「インターネット」と「チープ革命」と「オープンソース」が、次の10年への三大潮流で、この三大潮流が相乗効果を起こし、次の10年を大きく変えていく。

 「インターネット」は、不特定多数無限大の人々とのつながりを持つためのコストがほぼゼロになった。
インターネット上には、善悪、清濁、可能性と危険、そんな社会的矛盾の一切を含んだ含んだ混沌が生まれている。好むと好まざるとにかかわらず、その混沌がより多くの人々のカネや時間を飲み込んでどんどん成長し、巨大化していく。

 「チープ革命」は、「半導体性能は一年半で二倍になる」という「ムーアの法則」が次の10年も続き、ITに関する必要十分な機能すべてを、誰もがほとんどコストを意識することなく手に入れる時代になる。チープ革命によって、ネットワークへのアクセス速度やコンピュータの処理性能の著しく向上した。

 「オープンソース」とは、あるソフトウェアのソースコードをネット上に無償で公開し、世界中の不特定多数の開発者が、自由にそのソフトウェア開発に参加できるようにし、大規模ソフトウェアを開発する方式のことである。ソフトウェアが構築されていくプロセスがすべてオープンになっていてる。リナックスはこうした方法で開発され成功した。

 グーグルの情報発電所(巨大なコンピュータ・システム)は、三大潮流のすべてをを体現した存在なのだ。グーグルは、世界中の情報を組織化するための情報発電所をネットの「あちら側」に作り上げた。 グーグルは、情報発電所を自製するという新しいルールをネット産業にに持ち込んだ。グーグルがゴールとして目指しているのは、グーグルの技術者たちが作りこんでいく情報発電所がいったん動き出したら人間の介在なしに自動的に事を成していく世界である。今はそれが未完だから人間の介在を少しは我慢するが、基本的には極力回避したいと考える。ヤフーが人間の介在を、重要な付加価値創出の源泉だと認識しており決定的な違いがある。ヤフーは、人間が介在することでユーザ経験がよくなると信ずる領域には人間を介在させるべきだと考える。ヤフーはコンピュータが完全に人間の代わりができるとは思っていない。ヤフーとグーグルの競争の背景には、サービスにおける人間の介在の意義を巡る発想の違いがある。

 グーグルはシリコンバレーの会社である。グーグルは「増殖する地球上のぼう大な情報をすべて整理しつくす」という理念を打ち立て1998年9月に創業されたベンチャーで、2004年夏に株式公開を果たし、2005年10月にその時価総額が10兆円を超えた。グーグルは検索エンジンを手始めに知の世界の秩序の再編成をもくろんでいる。日々刻々と更新される世界中のネット上の情報を自動的に取り込み、情報の意味や重要性、情報同士の関係などを解析し続けるために、グーグルの30万台ものコンピュータが、365日、24時間体制で動き続けている。

 グーグルの売上げを生む仕組みが「アドセンス」などの広告収入よる。自前のウェブサイトを持つ個人や小企業が「アドセンス」に無料登録すれば、グーグルの情報発電所がそのサイトの内容を自動的に分析し、そこにどんな広告を載せたらいいかを判断する。そしてグーグルに寄せられたたくさんの出稿候補広告の中から、そのサイトにマッチした広告を選び出して自動配置する。そしてそのウェブサイトを訪れた人がグーグルによって配置された広告をクリックした瞬間に、サイト運営者たる個人や小企業にカネ(広告主がグーグルに支払う広告費の一部)が落ちる仕組みなのである。

 不特定多数の意見がどのようなメカニズムで集積すると一部の専門家の意見より正しくなるか。個が十分に分散していて、しかも多様性と独立性が担保されているとき、無数の個の意見を集約するシステムがうまくできれば、集団としての価値判断のほうが優れた個人や専門家の価値判断より正しくなる可能性がある。ネット空間上の無数の個の意見を集約するシステムは、これからネット上に盛んに作られていく仕組みである。ネットが悪や汚濁や危険に満ちた世界だからという理由でネットを忌避し、不特定多数の参加イコール衆愚だと考えて思考停止に陥ると、これから起きる新しい事象を眺める目が曇り、本質を見失うことになる。不特定多数無限大の良質な部分にテクノロジーを組み合わせることで、その混沌をいい方向へ変えていけるはずという思想がある。この思想の精神的支柱になっているのは、オプティミズムと果敢な行動主義である。たしかにネット世界は混沌としていて危険もいっぱいだ。忌避と思考停止は何も生み出さない。