アメリカの経済政策強さは持続できるのか 中尾武彦著
最近十数年間の経済状況が全体として好調かつ安定的で、ITバブルとそれがはじけたことに伴う変動はあったものの全体として見れば景気循環が小さかったこと、そしてこれが歴史的にはじめての現象であり「大いなる緩和」あるいは「大いなる安定」(Great
Moderation)と言われている。最近の高成長は世界平均としての高成長だけでなく、途上国を含め世界のほとんどの国でそれぞれ高成長が享受されている点に特徴がある。各国経済の連動性が高まっており、世界全体で変動はなだらかになっている。アメリカをはじめとする先進国において景気変動が事実上消滅しつつあるようにも見えることと、中国の経済が一貫して高成長を遂げていることの影響が大きい。構造的に変動を小さくしている要因には、次のものがあげられる。各国における政治的な安定が経済的な安定につながっている。財政政策や金融政策の質が向上し、中期的な観点から経済の成長と安定をもたらすように運営されている。IT技術により在庫管理の技術が向上し、在庫の変動、それによる在庫循環がなだらかになっている。
アメリカはグローバル化の進展の最大の受益者だ。外国から入ってくる低廉な工業製品は消費者を潤す。貯蓄過剰の新興市場国からの資金はアメリカ内での消費や投資を助ける。アメリカは資本が豊富な国であり、海外への直接投資のリターンをはじめ、資本への分配率の増大は国全体の利益になる。アメリカは、世界の中で卓越した競争力を持っているいくつかの分野に大きな富がもたらされる国である。世界中から資金を受け入れ資産運用する金融サービス、世界中から優れた教授陣と学生を集めることのできる高等教育、革新が絶えないITや医療の技術開発、ITなどを利用したビジネスモデルの開発、軍事と結びついて他の追随を許さない航空宇宙産業、映画や音楽などのポップ・カルチャー産業、そしてこれらを経営する企業幹部や関連する弁護士、会計士などの専門職、これらアメリカが圧倒的に強い分野の希少性はグローバル化の進展の中で飛躍的に高まり、これらの分野に大きな利益が生じる。
アメリカの社会が最初から持っている柔軟性や開放性、ダイナミズムが、最近のグローバル化やITの技術革新からアメリカが利益を享受しやすい環境を整えている。労働も資本も才能も一つの組織に囲い込まれている面が小さく、最も効率的な利用に向かって移動しやすい。また、M&Aをはじめとして、組織のあり方、産業のあり方自体が必要性に応じて離合集散し、常に変化する。このようなアメリカ経済のダイナミズムは、経済構造が大きな変化を生じているときには非常に有利に働き、さらなるダイナミズムにつながっていく。
アメリカの所得格差の拡大もグローバル化や技術革新の結果である。豊富になった工業製品の価格とそれを作る一般労働者の賃金は抑制され、希少性を増した石油や鉄鉱石などの資源の価格と専門職、企業幹部の賃金は大きく上がる。希少性の高くなった資本からのリターンも大きくなるので、これを所有する人間の所得を増やす。スケールの大きな富裕層、幅広い富裕層の存在は、アメリカ経済のダイナミズムと強さの結果であるとともに、それらの原因でもある。その富裕層の大部分は、資産の相続を背景にした伝統的な富裕層というよりは、高い教育を受けて専門性を持ち、勤労意欲が高く、社会のさまざまな革新を支持するような人々である。このような富裕層は、リスクを積極的にとる気質を持ち、かつ大きな金融資産を保有して実際にリスクをとる余裕があるので新しい技術に挑戦するベンチャー企業などの重要な資金提供者となる。また、大学や病院に多額の寄付を行なって、高等教育や医療などの水準を世界一にする。
サブプライム・ローンが問題になることはある程度予想された事態であったが、国境をまたいで金融市場全般の混乱にまでつながったのは、証券化の過程を通じてリスクが世界中に分散し、しかもリスクがどの商品にどのように組み込まれているかが不明確となって、多くの証券化商品の価格がつかなくなってしまったことの影響が大きい。当面のアメリカ経済は景気後退(2四半期続けて実質成長がマイナスになる)ではなく景気減速であるとしている。景気へのマイナス要因としては、深まる住宅市場の調整、株価の調整、信用市場の問題の継続、原油価格の高騰といったことが考えられる。一方、アメリカ経済の減速懸念にもかかわらず、世界経済で重みを増した新興市場国の経済は堅調であり、デカップリング(分離した動き)という言葉も生まれている。海外需要に加え、今のところ底固い消費、これまでの企業の収益の強さなどが楽観論の材料になっている。2008年の正月明けの時点において、アメリカでは、金融機関の相次ぐ損失の発表、株価の低下、消費や労働市場に関する指標の翳り、それらを受けた経済減速への懸念の高まりが見れる。しかし、長期的な視点に立って見れば、アメリカ経済はその開放性、柔軟性やダイナミズムに起因する基本的な強さを持っており、今後とも世界経済のメイン・プレーヤーであり続けると考えている。
日本には世界の人々が喜んで買おうとする製品がたくさんあるし、実際に経常収支の黒字はそのことを表わしている。日本の洗練された素材、部品、自動車、機械、そしてゲーム・ソフトなどの分野には強い競争力がある。今後も中国など周辺の国がさらに豊かになっていけば、日本の観光サービスや高級消費財などの希少性、価値もさらに上がるに違いない。その際に、よいものをできるだけ安く供給するというよりも、よいものだから高く買ってもらう、という発想があってもよい。そのためには、ブランド戦略や知的財産権の保護の徹底などが大事になるはずである。日本には、他国との競争にという点に加え、少子化による人口の減少や人口構成から来る高齢化、地域間や雇用形態ごとの格差の拡大、バブル後に急拡大した国の債務の累積、など、課題も多い。労働人口の減少に日本全体のGDPの拡大が難しくなったとしても、生産性の上昇により一人当たりのGDPを高めていくことはできる。あるいは本来の能力を生かしきれていない女性や働き続ける意欲の高い日本の高齢者の労働市場への参加を促進することができれば、国全体の経済規模も縮小しなくてすむ。さらに、必要な技能とアイデアを持っている外国人や、新たな経営手法を持ち込む外国企業がもっと活躍できるような、社会の多様性を育むような環境を整えていくことも可能だろう。日本の潜在能力を十分に発揮させるためにも、技術へのこだわりやきめ細かさといった強みに加えて、経済の革新を推し進める個人の力を最大限に引き出すような社会に変えていく必要がある。