アメリカ経済は沈まない衰えぬミクロの強さ           杉浦哲郎著

 アメリカ経済は90年代に、長期の高成長・低失業・低インフレという、それまでに経験したことのない良好なパフォーマンスを実現した。90年代における高成長を実現した原動力は「ミクロの強さ」にあった。企業や会計、市場が、グローバリゼーションや技術革新がもたらす競争や可能性に対応するために自らを変化させ続けたこと、その結果、成長を牽引する多様な企業や技術、知識が多発したこと、そして政府が多様な成長機会の創出を促す政策をとったことが幾重にも折り重なって、成長の潜在力が蓄積され、そして花開いたのが、90年代だった。マクロ経済政策は、そのための良好な環境を準備したと位置付けられる。つまりアメリカ経済は、多様性と多発性を生み出すミクロの強さによって支えられていたと考えられる。

 最近の景気停滞や不透明感の高まりの背景には、ITバブル崩壊を契機に経済成長が鈍化し、過剰設備や過剰債務など90年代の高度成長の陰で積み上がった諸々の矛盾が表面化したことがある。また、財政赤字、経常赤字という双子の赤字の再来やデフレの兆候も、アメリカ経済を不安定化させ得る要因として懸念され始めている。

 しかしその悪影響は、懸念されるほど深刻なものではない。企業の過剰設備は、通信など一部を除けばそれほど大きなものではないし、IT投資は既に回復を始めている。企業や家計の債務は増えているが、資産の大きさや返済能力との比較で見れば、過度の懸念は当たらない。つまり全体として見れば、民間部門のバランスシートはそれほど悪化していない。また、90年代の高度成長の原動力だった技術や政策、市場環境などのミクロの強さも健在である。アメリカ経済は、仮にある企業や産業、地域が縮小圧力を受けても、それに代わる成長企業や成長産業、有望な市場や地域が、技術革新などを背景に次々と現れては育ち、それがいわば「ごった煮」のように寄せ集まって、経済全体の活力や成長力が維持されるという性質、構造を持っている。そのような、構造変化や新陳代謝が衰退ではなく活力を生む土壌を支えているのが、競争的な市場環境であり、労働市場、金融市場であり、新陳代謝を後押しするミクロ政策、経済環境の安定を図るマクロ経済政策だということになる。実際に革新技術を開発し新たな成長市場を創出してきたのは無数の中小企業であり、ベンチャー・ビジネスだった。それぞれが独立して独自のノウハウで付加価値を生み出している。多様な担い手から生まれる革新的な技術やアイデアが、アメリカ経済の新陳代謝を促し、新しい市場を生み出して成長を支えてきた。また、それを可能とする競争的な市場環境や移動性の高い人的資源、積極的にリスクを受け入れる金融市場があった。

 このような観察が正しければ、アメリカ経済の先行きを過度に悲観的に見る必要はなく、近い将来に調整を終えて、再び持続的成長を始めるという見通しが得られる。

 2003年6月から起算して、長くて1年から1年半の調整が続いた後、2004年後半から2005年にかけて、アメリカ経済は再び明確で持続的な回復トレンドに戻る。実態的には2000年から調整が始まっているので調整期間は全治5年でアメリカ経済は再び明確な成長軌道に復帰することになる。その背景には、必要とされる調整の度合いの小ささに加え、90年代の高成長をささえたミクロ環境、市場インフラがそのまま残っていることがある。実質経済成長率は3〜3.5%に高まり、潜在成長率(アメリカ経済の実力に見合った成長率)が実現すると考えられる。

 今後の景気回復は、90年代前半の回復とよく似たものになる。すなわち、2004年頃まで企業リストラによって雇用や賃金の伸びが抑えられると同時に、企業のコスト削減とストック調整が進む。そのため、家計は当初、雇用情勢の悪化と債務負担の高まりから消費を抑制する。企業も当初は、新たな設備投資には慎重姿勢を維持する。従って、景気回復のテンポはそれほど顕著なものではない。その後、企業の収益力が高まり、それを反映して株価が上昇し、企業は新たな投資や雇用を増やすようになる。家計は雇用情勢や景気の先行きに明るい展望を持ち始め、債務負担も緩和されて、消費支出を増やし始める。つまり企業部門の回復が先行し、それが家計に波及する形で持続的景気回復が始まると考えられる。アメリカがこれまで蓄積してきた経済資源や市場インフラなどのミクロの強さが、アメリカ経済を再び押し上げることになる。