超マクロ展望 世界経済の真実        水野和夫・萱野稔人としひと

 第一次オイル・ショック(1973)以降、鉱物性燃料の輸入代金がもっとも少なかったのは1994年でした。94年の原油価格は1バレル17.2ドルで、日本は全体として年間4.9兆円払えば原油や天然ガスなど鉱物性燃料を買えました。ところが2008年には、年間平均でいうと1バレル99ドル、一時は147ドルまで上昇して、日本は27.7兆円を出さないと同じ量の原油や天然ガスなどの鉱物性燃料を買えなくなってしまいました。22.8兆円も余分に払わないといけなくなったのです。ここまで資源価格が劇的に変化したのはなぜか。そこには、先進国と新興国とのあいだの政治的な力が強く働いています。90年代前半までは、多少の資源価格の上昇ならば、自動車やパソコンなどの製品を値上げすることで、大きなダメージを受けずに収束していった。ところが、20世紀末からはじまった資源価格の高騰は、そういった次元では対処できない段階に入ってしまいました。新興国の台頭によって、エネルギーをタダ同然で手に入れることを前提になりたっていた近代社会の根底が揺さぶられているのです。

 交易条件とはどれだけ効率よく貿易ができているかをあらわす指標です。資源を安く手に入れて、効率的に生産した工業製品を高い値段で輸出すれば儲かります。逆に、高い値段で資源を手に入れた場合、製品に価格転嫁できなければ儲けは薄くなります。交易条件は、輸出物価を輸入物価で割ることで計算できます。第一次オイル・ショックを契機として、新興国、資源国の交易条件は急速に改善していきました。反対に先進国の交易条件は悪化しました。先進国の企業が儲からなくなりました。

 リーマン・ショックの前、日本では02年から07年の6年間にわたっていざなぎ景気を超える長期の景気拡大が実現しましたが、にもかかわらず国民の所得は増えませんでした。それは、交易条件が悪化したことで原材料費が高くついてしまうようになったため、売り上げが伸びても人件費にまわせなくなったからです。売上高の中身は変動費と固定費と利益の三つしかありません。一般的に、原材料費は変動費であり、人件費は固定費です。日本では、95年度から08年度にかけて、大企業製造業の売上高が43兆円増えました。ところが変動費は50兆円も増えてしまっています。変動費が増えた分、固定費の人件費や営業利益が削られています。資源価格の高騰によって景気と所得が分離されてしまった。所得の低下については、小泉政権による構造改革のせいだとか、日銀がデフレに対して何もしないからだとか、さまざまな議論がありますが、しかし実際には、先進国の交易条件が悪化したことが最大の原因です。先進国は交易条件が悪化したことで、実物経済では稼げなくなってしまった。そこで金融経済による利潤の極大化をめざしていくようになりました。

 フセインがユーロで石油代金を受け取ることにしたのは2000年11月でした。アメリカとしては、冷戦後、石油に裏づけされたドル基軸通貨体制のなかで金融帝国を築いてきたところ、フセインにユーロ建てにされたら、その土台が完全にぐらついてしまう。基軸通貨だからこそ、アメリカの財政赤字や経常収支赤字がいくら膨らんでも、各国はドルを買い支えてくれるわけだし、ドルの循環によって世界中のモノを購入できる。ドルが基軸通貨としての価値を実質的に担保できるのは石油とのつながりでしたから、もしそれがなくなれば、ドルは基軸通貨であることの土台を失ってしまうことになりかねない。アメリカがイラクを攻撃したのは、これだけは譲れない最後の砦だったということなのでしょう。2003年のイラク戦争は、金融帝国をささえる国際経済のシステムを防衛するために軍事力がつかわれた、典型的な戦争でした。

 世界資本主義の歴史におけるヘゲモニーの変遷をみると、覇権国のもとでの生産システムがいきづまると金融化がかならず起こっている。要するに、覇権国の経済が金融化していくときは、そのヘゲモニーが終わりつつある時期です。

 これまで世界資本主義のヘゲモニーが移動するするときは、より大きな軍事支配力をもつ国家に移動してきました。海洋技術で先んじたオランダから、その後に世界の海を支配したイギリス、そして世界の空を支配したアメリカへ、というかたちです。いずれも、より強い軍事力のもとで有利な交易条件が維持されてきたわけです。だからこれまでのパターンからすれば、前の覇権国よりも軍事的に強大な国でなければヘゲモニーを確立できないということになります。しかし、今後アメリカよりも軍事力のある国家がでてきて、アメリカのヘゲモニーがこれまでのようにその国家へと移動するとは単純には考えられません。基軸通貨という点ではドル対ユーロの戦いがくり広げられていますが、軍事力という点でみるとEUもまだ力不足です。中国はものすごい勢いで経済成長していますが、最終的にはその資本を自分でコントロールできなければ、中国はヘゲモニーを確立することができません。そのためには、アメリカに拮抗するだけの軍事力も必要となる。そうなると、アメリカと中国のあいだでヘゲモニーをめぐって血みどろの戦争になるというシナリオもありえますが、そうなれば多分世界が終わってしまうでしょう。だからありうるシナリオは、ヘゲモニーと工場が分離するというものです。これまではヘゲモニーをもつ国は同時に世界の中心的な生産拠点でもありました。しかし今後はそれが分裂して、中国やインドが世界の工場になるけれども、資本をコントロールしたり、世界経済のルールを定めたりして、中国やインドの成長の余剰吸い上げるのは別の地域になる可能性がある。経済成長して高い利潤率をうみだす地域と、世界資本主義をマネージする地域が分離するということです。アメリカとヨーロッパの連合体が軍事と金融を牛耳って世界経済のルールを定め、中国の経済成長の果実を吸い上げるというシステムになる可能性が高い。

 これまでは国民国家のなかで、軍事力とルール策定能力で抜きんでたところが、資源と通商空間を管理する側にまわってヘゲモニーを確立してきました。そこである程度、資本の動きと生産が一国内で完結していた。しかしそれが完結しえなくなると、国民国家そのものが解体していく可能性もでてきます。低成長の時代になって資本は高い利潤を求めて海外にいく。それによって日本でも工場の海外移転がすすみ、労働市場を国内に維持することができなくなる。国民経済が資本によって支えられなくなってしまう。つまり国民国家は資本に裏切られたかたちになってしまう。世界資本主義はいま大きな転換期を迎えています。そんななか、低成長社会の課題にまっさきに直面している日本は、想像力と知性を動員することで、新しい市場のかたち、経済のかたちを、それこそ世界にさきがけてつくりだしていく立場にある。