通貨の興亡 円、ドル、ユーロ、人民元の行方        黒田東彦はるひこ

 現在の世界では、アメリカドルが圧倒的に重要な国際通貨であるといってよい。たとえば、世界貿易の52%がドル建てで取引され、世界の外貨準備の64%がドルである。ユーロは貿易建値の25%、外貨準備の20%を占める程度で、円は貿易建値でも、外貨準備でも、5%程度に過ぎない。為替市場における取引の実に90%近くがドルを相手とする取引なのである。

ドル
 どこよりもドル中心の世界に安住している国はアメリカである。為替差損を気にすることなく貿易や投資を自由に行え、ほとんど気にすることなく無制限に借金ができる。財政赤字のみならず、企業赤字や家計赤字も、いくらでもドルを発行することでファイナンスできる。だが、どうしても放恣(ほうし)に流れることになり、その結果が「双子の赤字」である。
 アメリカの財政赤字が急速に拡大し、経常赤字も拡大していて「双子の赤字」がふたたび問題になっている。財政赤字はアメリカ国民の中の、世代間の負担配分の問題が大きい。今増税して赤字を減らすか、歳出をカットして赤字を減らせば、今の世代のなかでつじつまを合わせることになる。ところが、国債を発行して借金を将来世代に回せば将来世代に負担がふえるので、世代間の「負担の公平」の問題が出てくる。経常赤字の場合は、外国人がドルというペーパーを喜んで購入してくれるなら、アメリカはほとんどただで財貨・サービスを手に入れることが出来る。ある意味で、ドルがアメリカ最大の輸出品になっている。
 ドル中心の世界は代替的なシステムが現れるまで続くだろう。一時的にドルからユーロや円にシフトしてみても、ドルの流動性や、ドル資産の収益性には、ユーロ資産や円資産はかなわない以上、いずれドルに戻って来ざるをえない。一時的なドル安は、永続的なドル安に必ずしもならない。アメリカ経済は、ドルが下落すると輸出競争力がふえるだけで、対外債務はふえない。ドルが下落するときは、ある程度物価も上がり、景気がいいことになる。ドルが下落するとアメリカ経済にとって非常に有利なので、アメリカ経済は強くなり、ドルは反転を始める。だから、何らかの理由でドルレートが大きく下がっても、また戻っていく。国際通貨としてのドルの地位が揺らぐということがない限り、ドルは暴落しない。ユーロがドルに圧力を加えられるようになるには、相当時間がかかる。

ユーロ
 アメリカのGDPは世界のGDPの30%を占めているが、ユーロ12カ国のGDPは20%強ぐらいになっている。今後、ユーロに加盟する国がさらにふえてくると、ユーロ圏経済の規模もアメリカに匹敵するようになっていく可能性がある。すでにユーロは、ユーロ圏だけでなく、ヨーロッパ全域、さらに、中東や北アフリカでも使われ始めている。アジアでも、ユーロ諸国はユーロ市場についていろいろな宣伝をしたり便宜を図ったりしている。したがって、今後、ユーロはしだいにシェアを高めていくだろう。だが、10年や20年でユーロが目立ってドルに代替するとは考えにくい。30年とか40年という長いタイムスパンで考えるとユーロはドルに匹敵するような通貨になるかもしれないし、ドルを上回る通貨になる可能性もないわけではない。ユーロがドルに代わるほどの国際通貨になるためには、経済規模とか商取引とかいうことだけでなく、安全保障の面、あるいは技術の面、その他いろいろな面で、もっと自立する強さが必要とされる。
 短期的に見ると、ユーロのこれまでの上昇テンポがやや急すぎるのと、物価上昇率はアメリカの方がやや高いものの、経済成長率は基調としてヨーロッパの方が低いことなどから、1ユーロ=1.34ドル程度の高水準というのは、調整が入るだろう。


 日本経済が大きくなれば、為替レートが変動しても、円の購買力の対象が大きくなるので、その分、外国人が円を持ってもよいという気になるのだが、現実には、日本経済のシェアは、だんだんと小さくなっているわけである。円を持つ価値が減り気味だ。円をドルやユーロに匹敵する国際通貨にするということは、非常に難しいことである。日本経済が、今後、世界経済のなかで急速に成長を遂げていくということはありそうもない。
 したがって、ドルやユーロに匹敵するような国際通貨になろうとするなら、中国や韓国、ASEAN(東南アジア諸国連合)との経済統合を進めていって東アジア通貨をつくり、むしろ円はその中に入っていかなければならない。円が東アジア通貨のなかに入っていけば、日本は東アジア通貨が国際通貨として大きく発展することに貢献することができる。
 東アジア通貨のなかに円とか人民元とか、韓国ウォンやASEAN通貨も入っていくという形が出来ることだ。そういう通貨をつくらないと、ドルやユーロに匹敵するものにはなっていかない。もちろん、その場合は、経済的な主権の多くを放棄しなければならないから、政治的にはそう簡単に出来るとは思わないし、それが近いうち出来るような状況にはなかなかならない。