ルポ トランプ王国 もう一つのアメリカを行く 金成隆一著
移民や女性、身体障害者、イスラム教徒らへの侮蔑的な言動を繰り返してきた実業家ドナルド・トランプが大方の予測を覆して、アメリカの第45代大統領に選ばれた。
朝日新聞ニューヨーク支局駐在の記者である著者が2015年11月14日から大統領選の本選があった2016年11月8日までの1年間、共和党の予備選でトランプが圧倒的な勝利を収めた街「トランプ王国」に通いトランプ支持者の思いに耳を傾けた。ニューヨークや首都ワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコなどの7大都市とは異なる日本人記者が見た「もう一つのアメリカ」を報告している。
取材対象は、かつての製鉄業や製造業が廃れ、失業率が高く、若者の人口流失も激しい五大湖周辺の「ラストベルト:Rust
Belt(さびついた工業地帯)」と呼ばれるエリア(オハイオ州やペンシルバニア州)を選んだ。ニューヨークに拠点を置く著者は、比較的近い「ラストベルト」と「アパラチア地方(ケンタッキー州)」の取材がメインになった。
オハイオ州は、大統領選で常にカギを握ってきた。オハイオを制する者が全米を制する。オハイオで負けても大統領になれたのは、1960年のケネディが最後だ。2000年と2004年には共和党候補のブッシュが、2008年と2012年には民主党候補のオバマが勝っている。どちらの党の候補にも勝てる可能性が残っており、終盤になると両党の候補が遊説に力を入れるオハイオ州をじっくり取材した。
まじめに働いてきたのに以前のような暮らしができない。子どもの頃には家族そろって毎年旅行に出ていたのに、大人になった自分は月末のお金の心配ばかりで、長期休暇を楽しむこともできない。ミドルクラス(中流階級)から没落しそうだ。そんな不安や憤りは各地に広がっていた。トランプ支持者は共和党員も元民主党員もいて、共通するのは「エリート政治家がミドルクラスの暮らしを犠牲にしてきた」という憤りだ。共和党の名門ブッシュ家、民主党の名門になりつつあったクリントン家。どちらにも強い拒否感を示す人々に出会った。
クリントンは法科大学院に在学中、貧困問題や人種差別問題に取り組み、その後も子どもの権利のために働いた。今回の大統領選でも中間層の底上げをめざし、富裕層への増税など再分配政策を示した。口先だけでなく、実際に行動が伴っていた。それでもトランプ支持者の間では、クリントンには「エリート」「傲慢」「カネに汚い」とのイメージが定着し、トランプには「既得権を無視して庶民を代弁できる」という期待が高まっていた。これはどこに行っても同じだった。
怒りの矛先は企業にも向いた。企業はアメリカの労働者のことを考えなくなった。株主の利益の最大化のために労働者を捨て、平気で海外移転する。そしてそんな企業が大統領選の候補に多額の献金をばらまく。そんなカネを受け取る政治家に堂々と立ち向かえるのはトランプだけだ。トランプは具体策を十分に示さずに、雇用を海外から取り戻すと繰り返しているだけで、それでも多くの人々が惹きつけられていた。
ラスト・ベルトではアメリカン・ドリームは死語になっていた。主要産業の衰退、廃業、海外移転、合併など何でも起きた。夢を失った地域は活力も失う。ラストベルトやアパラチアで薬物中毒の死が増えている。夢の喪失と無関係ではないだろう。親より裕福にになる、という夢が終わっただけではない。医療の進化など他の先進国の人々はより長生きしているのにアメリカ中年白人の寿命は1999年以降、短くなっている。親より裕福になるどころか、寿命が短くなっていたのである。
グローバル化は国全体の利益になると思っていたが、いつまでたっても自分たちの暮らしは楽にならない。気付けば、富裕層と自分たちの格差は広がるばかりで「夢」抱くこともできない。グローバル化はアメリカの一部の利益にしかなっていないのではないか? この国は誤った方向に進んでいると考えている人が全体の6割を超えている中での選挙となり、そのうち7割近くの支持をトランプがすくいとった。(CNN出口調査)
高度成長期や産業化の時代を特徴づけていた予測可能な生き方が困難になり、一人ひとりが国境を越えた競争と、より大きな不確実性にさらされ、不安を抱えて生きている。「アメリカを再び偉大にしよう」「かつてのように大きな夢を描こう」。トランプが大声で発する楽観的なメッセージは、そんな不安を抱え、ほかに頼れる存在が見当たらない人々に歓迎されたのだ。とても制御できそうに見えないグローバル化が、先進国に広がるポピュリズムの共通の背景にあるのではないだろうか。