ソフト・パワー経済        竹中平蔵著

 20世紀の覇権国は「経済力」、「軍事力」といったハード・パワーを高めることによって世界の中で大きな存在感を持つようになった。21世紀は、ハード・パワーが重要なことは間違いないが、「知恵」と「魅力」といったソフト・パワーが相対的に重要になってくる。ソフト・パワーとは「相手を力でねじ伏せるのではなく魅力で引き寄せる力」、あるいは「知的な力、情報の力、人や社会の魅力の総称」といえる。21世紀の経済政策の基本は、人的資源を高めるための根本的な仕組みをこの社会につくったうえで、あとは思い切って競争を促進し人々の活力を引き出すことである。

「二一世紀型」への下地づくり

ちょうど10年前、東西冷戦の末期、この地球上で市場経済の中で暮らす人間は約27億人だった。しかし、冷戦構造が崩れ、旧ソ連、東欧、そして中国、ベトナムといったアジアの社会主義国まで続々市場経済の中に入ってき、市場経済人口は55億人を超えた。10年で市場規模が2倍になった。世界中の人々が、このチャンスを自分のものにしようと、市場の活力を果敢に取り入れて大競争を始めた。日本は、もはやこの大競争から逃れることはできない。

魅力的なところに、資本もよい人材も集まる。結果的にはこうした魅力ある場所は、情報も交流して経済が一層発展するチャンスを得る。いまや社会は、世界のヒト・モノ・カネを引きつける「魅力」を競い、結果的には魅力ある社会が一人勝ちする仕組みが生まれつつある。

日本経済の再生は、新しい世界の市場経済の特色を踏まえ魅力的な経済社会をつくること、つまり21世紀型日本経済をつくることと、結局は同じ線上にある。

平成不況の当面の危機を回避するのは不良債権の処理が第一歩だが、その一方で安心感のある競争的な金融市場をつくることが不可欠である。金融市場が競争的でないと、銀行は護送船団方式の中でモラル・ハザード(倫理性の欠如)を起こし、不良債権を拡大してしまった。銀行の経営内容をディスクロージャー(情報開示)し、問題が闇から闇へ葬られることがないようにする必要がある。

市場経済が2倍に拡大し、新たなマーケットという巨大なフロンティアが出現した。そして、もう一つ、通信・情報革命の中で、技術というフロンティアも拓かれた。フロンティア型社会では能力のある人、がんばった人が報われる競争社会でなければならない。そこで税制改革し、フロンティア型税制を導入する。法人税の実行税率は、97年までは50%だったが、98年に46%に、99年に41%まで引き下げられた。所得税も最高が65%もあった累進構造のきつい制度が見直された。

競争型社会では個人の安心の拠り所、セイフティ・ネットが問題である。戦後日本人のセイフティ・ネットは終身雇用、年功序列制度の企業だった。終身雇用、年功序列制度はピラッミッド型の組織になっていないと成り立たないが、いまや日本は逆ピラミッドの人口構成になりつつあり企業が従業員に対してこれまでのようなセイフティ・ネットを与えることができない。21世紀型経済システムでは自分の能力こそが最大のセイフティ・ネットである。どのように困難な状況が生じても、自分に所得を稼ぐ能力があり、自信が持てるならば、それこそが最大のセイフティ・ネットである。言い換えれば、教育により人的資源を高めることである。

日本の人口は2007年に人口のピークを迎え、2008年から人口の減少が始まり、21世紀末の人口は半分程度になる。人口の減少とともに日本の貯蓄も減ってくるから、あと約10年の間に、21世紀を生きられるインフラをつくっておかなければならない。21世紀型のインフラ戦略は都市を強化し、情報インフラを強化することである。さらには環境インフラをつくっていくことも重要である。

ソフト・パワー経済に挑む

アメリカ経済は1980年代は個人消費の拡大に依存した経済であり、1993年以降は設備投資に主導されて拡大し、それが産業競争力を強化しつつある。情報関連投資は全設備投資の約三分一を占めており、日本の比率(1〜2割)を大きく上回っている。また、アメリカは従来以上に自己責任を重視し、市場メカニズム型のシステムを強化するという選択を行った。生産性の高い人にはもっと高い賃金を払ってがんばってもらう反面、技能のない人にはもっと安い賃金で我慢してもらおう、と考える。

アメリカ経済は今すさまじい勢いで成長しているが、その35%はIT革命によって直接もたらされた。間接的な効果を入れると、その影響力はさらに大きくなる。同時に今から6、7年後には、アメリカの労働者の50%以上がIT産業で働いているか、ないしはそのヘビー・ユーザーになっていることが予想されている。つまり普通の労働者でいようと思ったら、もはやITを装備していかざる得ない。

組織の大小の問題ではなく、いかに早く変化できるか、そのスピードが問われる時代になった。素早く製品を市場に送り出し、早く市場を席捲した企業が圧倒的な業績を上げることができた。(”Fast eat slow.”、”Winner take all.”)21世紀型経済の特質として速さが重要であることと関連して、「今のことを今解決する」、つまり「問題を先送りしない」ことである。いわゆる右肩上がりの経済では、問題を将来に先送りしても、成長の中でそれを吸収できたが、成長率がそれほど高くない場合、問題を先送りすれば将来が大変になることは目に見えている。

競争を制限すると、結果的に企業も個人も向上への努力がおろそかになる。規制が少なく、競争と自己責任の徹底した産業ほど、生産性上昇の圧力が高い。

今後求められるソフト・パワーは「知的なソフト・パワー」、「情報のソフト・パワー」、「資本主義のインフラ、民主主義のインフラを担う専門家集団」の三つである。「知的なソフト・パワー」を高めるために、世界と競争できる高等教育機関の拡充、とりわけ大学の改革が急がれる。「情報のソフト・パワー」は、CNNのニュースのように世界中に情報を発信する力である。「資本主義のインフラ、民主主義のインフラを担う専門家集団」は国際機関の中枢を担う職員、国際弁護士、国際会計士といった国際的な専門化集団をいう。知恵と魅力の時代に、われわれは高等教育改革を進めることによって、新しい人的資源大国を目指さなければならない。