失敗学のすすめ            畑村洋太郎著

 人類には、失敗から新技術や新たなアイデアを生み出し、社会を大きく発展させてきた歴史があります。これは個人の行動にも、そのままあてはまります。どうしても起こしてしまう失敗に、どのような姿勢で臨むかによって、その人が得るものも異なり、成長の度合いも大きく変わってきます。つまり、失敗とのつき合い方いかんで、その人は大きく飛躍するチャンスをつかむことができるのです。大切なのは、失敗の法則性を理解し、失敗の要因を知り、失敗が本当に致命的なものになる前に、未然に防止する術を覚えることです。これをマスターすることが、小さな失敗経験を新たな成長へ導く力にすることになります。人の営みが続くかぎり、これから先も失敗は続くし、事故も起こるでしょう。とすれば、これを単に忌み嫌って避けているのは意味がなく、むしろ失敗と上手につき合う方法を見つけていくべきなのです。

 ハインリッヒの法則は、潜在的な労働災害とそれが顕在化する確立をいわば経験則から導き出した考え方なのです。1件の重大災害の裏には、29件のかすり傷程度の軽災害があり、さらにその裏にはケガまではないものの300件のヒヤリとした体験が存在しています。失敗にもほぼこれと同じ、「失敗のハインリッヒの法則」とでも呼ぶべきものが存在しています。企業のケースでたとえるなら、新聞で取り上げられる大きな失敗のひとつがあれば、その裏には必ず軽度のクレーム程度の失敗が29は存在し、さらには、クレーム発生にはいたらないまでも、社員が「まずい」と認識した程度の潜在的失敗がその裏には必ず300件はあるわけです。仮に、「まずい」という体験があったときになんらかの防止策を打つことができれば、失敗の成長は止められるはずです。それをせずに放置しておくと、数は少ないにしても、より大きなクレーム程度の失敗が必ず芽を出します。そこでも防止策が打てなければ、失敗はさらに大きな形で現れ、まわりに多大な被害を与える致命的な失敗へ成長します。

 三陸海岸の町々を注意しながら歩いてみると、あちらこちらに津波の石碑を見つけることができます。大規模な津波が押し寄せるたびにつくられたもので、犠牲者も多かった古い時代の石碑は慰霊を目的にしていました。その中には、教訓的な意味合いが込められたものもあり、波がやってきた高さの場所に建てられ、「これより下には家を建てるな」という類の言葉が記された石碑も少なくありません。昔から伝わるそんな忠告を人々が忠実に守り、いまでも石碑より下には絶対に家を建てない徹底した津波対策をとっている地域ももちろんあります。かと思えば別の地域では、便利さゆえに先達たちが残した教訓を忘れて、人が次第に海岸線に集まっているところもありました。このように、一度経験した失敗がごく短期間のうちに忘れられ、再び同じ失敗を繰り返すことは珍しくありません。三陸海岸という津波常襲地帯で行われてきた過去の例にも、「失敗は人に伝わりにくい」「失敗は伝達されていく中で減衰していく」という、失敗情報の持つ特性がはっきりとうかがえます。

 1986年4月26日のチェルノブイリの原発事故が起こったとき、当時のソビエト政府は、事故原因を単なる運転員の規則違反と発表し、原子炉そのものに構造的欠陥があったことをひた隠しにしました。チェルノブイリ問題を掘り下げることは、国策として原子力開発を進める上では明らかにマイナス要因にしかならず、意図して歪曲された失敗情報を受け入れたわけです。そもそも関わる人たちの利害によって失敗が意図して歪曲化される「失敗原因は変わりたがる」という性質があります。

 失敗と上手につき合う上で真の失敗原因の解明を行うことは最も重要な作業になります。ところが、日本のように、責任追及と原因究明を同時に行うシステムでは、失敗を起こした当事者が刑事責任を避けるために、原因を意図的にねじ曲げて報告するようなことも十分に起こり得ます。実際、企業不祥事のように組織の中での失敗原因を探る場合、当事者責任や管理責任などが複雑な階層の中に隠れこんで、真の失敗原因の位置がまわりからはまったく見えないことがよくあります。これを防ぐには、責任追及と原因究明を分離して進めるしかありません。そして、その有効な手だてのひとつが、アメリカで使われている司法取引制度です。司法取引制度は、犯罪、すなわち失敗の渦中にある当事者に免責のの保証を与え、是と引き替えに真相を語らせるシステムです。この制度によって責任追及を逃れることができた当事者は、自分の発言のリスクを心配せず、自由に失敗について語ることができます。その結果、階層性の中に隠れている失敗原因の解明が、外側から見ている第三者にも容易にできるわけです。真相解明には、きわめて有効なシステムです。

 企業活動の大きな目的はあくまで利益をあげることですが、危険を顧みず、大きなリスクを負ってまで目先の利益を追求する姿勢は間違っています。本来やらなければならないメンテナンスの回数を減らして生産システムをフル稼働させたり、マニュアル化によって作業者の選択肢をせばめて生産効率を上げたり、人材派遣会社から必要に応じて作業員を提供してもらうことで大幅に人件費を浮かすなどといったことは、どこの企業もやりがちです。その反対に、失敗をなくすための安全管理などは、むしろ経費が増大するだけなので、「できることならやらずにすませたい」と考えがちです。失敗を忌み嫌い、これと真正面から向き合わずにいた組織運営を続けていくなら、どんな企業も企業存亡の危機を招きます。これを防ぐには、いくら口先で注意しようと、努力しようといったところでほとんど意味がありません。見えにくい失敗を顕在化させる経済システムがたいへん有効だと考えています。たとえば、企業のバランスシートの負債の項目に「潜在失敗」というものを加えてはどうかと考えています。「潜在失敗」とは、万一、失敗が生じたときの損害の程度を予測し、この総額の発生確率を乗じて、含み損として示していこうというものです。その考え方のベースにあるのは、リスク回避のための保険の発想と、時価評価の考え方です。仮にこうした失敗の評価が企業の会計に導入されるようになれば、事故やトラブルを誘発する体質を持った企業の評価は、いまとは比較にならないくらい下がるにちがいありません。これまで失敗から目をそらし、これを黙殺したり隠蔽するなどして放置してきた企業でも、身につまされる深刻な問題としてこれを受け入れざる得ないでしょう。経済原理から考えれば、ここまでくればどんな企業でも存亡をかけてなんらかの対策を打つのが自然の流れで、失敗を直視した形での真の意味での改革がスタートできるはずです。この方法は、「失敗対策をしないと損」という意識を企業に徹底させる上でも効果があるわけです。そこから一歩進んで、やがては「失敗を生かすことで時価評価をあげられる」といったプラス発想が生まれてくればしめたものです。「潜在失敗」の負債を低く抑えることで企業評価を高めることができるという、いわば逆転の発想の登場です。企業活動において、失敗と上手につき合うことを実利のともなうメリットにまで高めることができたら、失敗に直面したときに、これを放置したり黙殺したりする風潮もさすがになくなるのではないでしょうか。