新・世界経済入門             西川潤著

 21世紀に入って世界経済を襲った金融・経済危機、この危機に際して伝統的な財政金融政策を総動員した政府の国家債務危機という二重の危機は明白に近代以来、また第二次大戦以来加速化された資本蓄積システムが大きな転換期にさしかかっていることを示すものだった。

 日本経済がそもそも発展途上の状態から高い経済成長を実現しえた主要な原因は、先進国からの技術導入と模倣、南の世界からの安価な原材料の供給、そして先進国の旺盛な消費需要というグローバル経済の開放体制と結びついた諸要因と関連している。いま、そのような要因は日本にとって消失し、日本は「海図のない世界」に乗り出しつつある。いまでは、これらの成長要因は、アジアの新興国に移動した。国際的、国内的に第二次世界大戦後の数十年間、日本経済の成長を保証した国家主導による資本蓄積を万能と考え、この至上目的に人間を従える体制は明確に行き詰まっている。

 3.11の原発事故は、”開発独裁ガバナンス”の行き詰まりを白日の下にさらけ出したといえる。日本の原子力の「平和」利用は、もともとはアメリカの原子力産業の市場受け皿として発足したが、間もなく、日本の政官財業体制の利権拡大の一環として推進されるようになった。電力事業の独占体制と結びついて形成された「原子力ムラ」は原発の安全神話を振りかざして、日本におけるトップダウン型支配体制の重要な一翼を担った。それは、日本の再軍備化、将来の核保有に備える「安全保障」の動きでもあった。原子力ムラの原発推進は、高成長時代に過疎化した地方への中央からのカネのばら撒きによって推進された。その意味では、原子力ムラ、すなわち、政財官業体制のエネルギー分野における独占体制は、日本における中央集権型の資本蓄積=高成長を象徴するものだった。

 2009年の民主党への政権交代で、国民は新しい方向に期待を示したが、民主党は旧体制の政治を引きずり、諸政治勢力が混とんとした状態であい争い、新しい方向を明確に示すことができなかった。これに代わって2012年末の選挙では、政官財業体制の再構築を課題とする安倍政権が誕生した。安倍政権は「異次元の金融緩和」、「大盤振る舞い」の財政政策により、円安株高を導き、大企業の輸出主導型繁栄を通じて、そのおこぼれを国民にわかち与える古典的なトリクルダウン政策(Trickle Down:したたり落ちる 大企業や富裕層を減税により優遇することで、富裕層らの経済活動が活性化され、最終的に貧困層を含む社会全体に富が行き渡るという理論 )をとっている。しかし、そのつけは、国民への増税、TPPなど経済自由化による雇用市場の不安定化、地方と一次産業のさらなる衰退、そして国債増発による将来世代へのつけまわしとなってあらわれるしかない。また、安倍政権は、日本国憲法の国家主導型への改悪、トップダウン型ガバナンスにとって必要な原発再稼働、特定機密保護法、靖国参拝などによるナショナリズムの高揚を意図している。安倍政権のナショナリズムと強権的支配体制再建の動きは、国民に「成長のエサ」をちらつかせながらも、それが実現する構造的要因は永遠に去っている現在、より大きな危機状態へと日本を導くものとなろう。すでにこの動きは、アメリカへの表面的なすり寄り(TPP、集団的自衛権や沖縄普天間基地の辺野古移設)を通じて、近隣アジア諸国との緊張関係としてあらわれている。このような日米連携は、世界的な構造的不均衡を増幅する道である。

 これに対して世界の先進地域でひろがっている脱原発、定常経済への移行、新しい豊かさを身の回りから実現していく良い生き方の探求は、トップダウン型ガバナンスの民主化を通じて、日本と世界を結ぶ道でもある。この場合に日本は、単に市場のグローバル化に流されるのではなく、人権や環境など、意識のグローバル化が、経済のグローバル化とあいともないつつ進展しており、両者の相関、緊張関係を通じて、新しい世界秩序が生成している。世界には、対話と協力と平和を求める動きも確実に存在するのである。そのような道に日本がつながっていくためには、モノ優先の価値観を人間優先に切り替え、グローバリズムの流れに立つ「地球市民」として生きていく道を選ぶしかない。

 世界経済が大きな変動期にあること、日本の変化がこれと軌を一にしていること、この時期に日本にとって「いつか来た道」に戻るのではなく、新しい豊かさを求めるもうひとつの道がある。