生物と無生物のあいだ 福岡伸一著
生命とは何か。それは、自己複製を行うシステムである。1953年、科学雑誌『ネイチャー』にわずか千語の論文が掲載された。そこには、DNAが、互いに逆方向に結びついた二本のリボンからなっているとのモデルが提出された。DNAの二重ラセンは、互いにポジとネガの関係となる。ポジを元に新しいネガが作られ、元のネガから新しいポジが作られると、そこには二組の新しいDNA二重ラセンが誕生する。ポジあるいはネガとしてラセン状のフィルムに書き込まれている暗号、これが遺伝子情報である。これが生命の自己複製システムであり、新たに生命が誕生するとき、あるいは細胞が分裂するとき、情報が伝達される仕組みの根幹をなしている。
ウイルスが単なる物質から一線を画している唯一の、そして最大の特性は、ウイルスが自らを増やせるということだ。ウイルスは自己複製能力を持つ。ウイルスは単独では何もできない。ウイルスは細胞に寄生することによってのみ複製する。ウイルスは宿主となる細胞の表面に付着し、その接点から細胞の内部に向かって自身のDNAを注入する。そのDNAには、ウイルスを構築するのに必要な情報が書き込まれている。宿主細胞は何も知らず、その外来DNAを自分の一部だと勘違いして複製を行う一方、DNA情報もとにせっせとウイルスの部材を作り出す。細胞内でそれらが再構築されて次々とウイルスが生産される。それら新たに作り出されたウイルスはまもなく細胞膜を破壊して一斉に外に飛び出す。ウイルスは生物と無生物のあいだをさまよう者である。ウイルスを生物とするか無生物とするかは長らく論争の的であったが、いまだに決着していない。生命とは自己複製するシステムである、との定義は不十分だと考える。
生命とは動的平衡にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られるきわから壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのであろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。DNAが相補的な対構造をとっていると、一方の文字列が決まれば他方が一義的に決まる。あるいは二本のDNA鎖のうちどちらかが部分的にうしなわれても、他方をもとに容易に修復することが可能になる。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保ちえているのである。タンパク質の合成と分解を繰り返すことによって、傷ついたタンパク質、変性したタンパク質を取り除き、これらが蓄積するのを防御することができる。また合成の途中にミスが生じた場合の修整機能も果たせる。生体はさまざまなストレスにさらされ、その都度、構成成分であるタンパク質は傷つけられる。酸化や切断、あるいは構造変化をうけて機能を失う。糖尿病では血液の糖濃度が上昇する結果、タンパク質に糖が結合し、それがタンパク質を傷害する。動的平衡はこのような異常タンパク質を取り除き、新しい部品を素早く入れ替えることを保障する。結果として生体は、その内部に溜まりうる潜在的な廃物を系の外に捨てることができる。しかし、この仕組みは万全ではない。ある種の異常では、廃物の蓄積速度が、それをくみ出す速度を上回り、やがて蓄積されたエントロピーが生命を危機的な状態に追い込む。アルツハイマーでは、アミロイド前駆体タンパク質が、狂牛病・ヤコブ病では異常型プリオンタンパク質が、脳の内部に蓄積する。おそらくごく初期の段階では、異常タンパク質は生体に備わった分解機構、除去機能によって排除されるのだろう。だから健康な人が高頻度で発症することはない。蓄積が一定の閾値を超えて進行すると、除去機能のキャパシティを上回り、やがて異常タンパク質の塊が脳細胞を圧迫するようになるのだ。
脳細胞は発生時に形成されると、一生の間わずかな例外を除き、分裂も増殖もしないとされている。つまりここにはDNAの自己複製の機会はない。ならば、脳細胞のDNAはまったく不変で、ヒトが生まれてから死ぬまで、同一の原子で構成されたまま不動なのだろうか。そうではない。脳細胞の内部では常に分子と原子の交換がある。脳細胞のDNAを構成する原子は、むしろ増殖する細胞のDNAよりも高い頻度で、部分的な分解と修復がなされている。生まれてから死ぬまでに、脳細胞はずっと分子が出入りする流れの中にあって、すっかり置き換わっている。エントロピー増大の法則にあらがう唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになる。
生物という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。これを乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。もし平衡状態が表向き、大きく変化しないように見えても、それはこの動的な仕組みが滑らかで、やわらかいがゆえに、操作を一時的に吸収したからにすぎない。そこでは何かが変形され、何かが損なわれている。生命と環境との相互作用が一回限りの折り紙であるという意味からは、介入が、この一回性の運動を異なる岐路へ導いたことに変わりはない。
参考 遺伝子の謎を楽しむ本 中村祐輔著