ペ スト大流行 ヨーロッパ中世の崩壊                村上陽 一郎著


 14世紀に起きたペストの大流行では、世界で1億人ほどの人々が死に当時の世界の人口を4億5千万人から3億5千万人まで減少させた。

 ヨーロッパでは1348年から1420年に大流行し、ヨーロッパの全人口の30%から40%が死亡した。

 ヨーロッパの死者総数が3千万人と推定される。

 ペストは世界的規模で流行したのでパンデミック(Pandemic)と言える。

 今日では、ストレプトマイシンをはじめとする抗生物質がペスト菌に効果があることが判明している。

 人体にペスト菌を媒介するのがノミである。保菌者であるノミの咬み傷からペスト菌が血液中に入ることによって発病する。ノミはヒトを宿主とするばかりでな くネズミを宿主としている。ヒトの流行に先立って、ネズミ間でのペストが流行する。

 ペスト菌に感染したネズミたちは、元(中国)の世界帝国とそれに伴う戦乱、あるいは十字軍によるヨーロッパ世界の拡大、そして相継ぐ飢饉や天災も加わっ て、ヨー ロッパ世界に侵入し、拡散した。

 ペスト菌によってひき起される症状は「腺ペスト」と「肺ペスト」の2種類ある。

「腺ペスト」は、潜伏期はほぼ数日から1週間程度。その後突然の発熱で始まる。39度から41度の高熱、頭痛は、しだいに脳神経系を冒し、随意筋は麻痺して ひきつけ、硬直、しゃっくりなどからひどい精神的な倦怠感に打ちひしがれたり、あるいは錯乱して暴れたりするような全身症状を示す。局所的には、多くの場合鼠 蹊部(そけいぶ)のリンパ腺が腫脹(しゅちょう)を起こし、硬結してなかなか拝膿しない。3病日ごろから全身の皮膚に出血性の紫斑や小型の膿胞が現われ、患者 が死の転帰をたどるか回復の道を歩むかほぼこの時期に定まる。ペストが「黒死病」と呼ばれる理由は、死体に見られる紫斑や膿胞の「黒さ」にある。

もう一つの「肺ペスト」は、皮膚症状やリンパ腺の腫脹は全く見られないか、あってもきわめて軽微であり、その代わりに、血痰や喀血などの肺炎症状が加わるも のである。3から5日目あたりが病気の「ヤマ」で、心機能が低下するため、患者が寝返りうったり、苦痛にまかせて暴れたりすることが、突然の死を誘いがちであ るという。

 黒死病の有様を描いた文献に、ジョバンニ・ボカッチョ(1313-1375)の『デカメロン』(十日物語)がある。7人の女と3人の男が、一人一日一話ず つ十日間話続けた百の話 です。そうした仕組みは、黒死病下にあるフィレンツェの街に、人びとが放縦と不安のなかで日々を送っているとき、その騒然とした世相を避けて、楽しく面白い話 を語りかつ聞くためにしつらえたものであって、百の話の背後には、ペスト流行にあえぐ凄惨(せいさん)なフィレンツェの状況がある。

 天譴(てんけん 天罰)の苛酷のはなはだしさは、概算して、(1348年)三月からその年の七月までの間に十万の生霊がフィレンツェの町の城壁内で失われ た、と、これだけ申せば、もはや付け足すことはありますまい。