日本の生き方       田原総一朗著

 2005年は、戦後60年目に当たり、戦後民主主義が定年を迎えたわけだ。このところ「夢がない」「展望がない」「閉塞感」などの言葉が氾濫しているが、これは戦後民主主義が定年を迎えたことと関係があるのではないだろうか。戦後のキーワードは”解放”であった。”解放”には夢がありロマンがあった。個が国家から解放されていかに主体的に生き、いかに自由に生き、豊かさを追求し、幸せになるかを求めてきた。だが、解放されて”個”となった日本人は、解放されたゆえの閉塞感を抱いているのではないだろうか。いまの日本のさまざまな問題が”公”と”個”との関係というキーワードでつながっているからこそ、家族、学校、地域社会、あるいは企業、そして国、それから世界というより広い枠の中で、「新しい個と公」をどうつくっていくのかが問われなければならない。

 本書は国益、教育、学級崩壊、小子化、家族、年金、マスコミ、安全保障の8章から構成されている。

国益
 戦後の長い間、国益とは何かというと、戦争に巻き込まれないというこだった。アメリカに憲法を押しつけられたことで、逆に日本はアメリカに自国防衛の責任を押しつけたのだ。戦争に巻き込まれないことが日本の最大の戦略で、もっというならば、世界戦略を持たないことが日本の戦略だったのだ。世界戦略はアメリカに委ねる、これが日本国民にとっての国民益であり、日本の国益であった。
 これまでの日本の国益とは、所有物を増やすことだった。所有を拡大し富を増大させることだった。一方、国民も一途に所有の拡大を目指した。より豊かに、より便利な生活へと頑張ってきた。これからは、日本が世界の中でいかに生きやすい環境、ポシションをつくるかが大事だ。日本という「個」が世界という「公」とどうやって関わっていくかということだろう。これを個人に当てはめて、いかに生きやすい環境をつくるかということを考えるとどうであろうか。単なる「所有」ではない、生きがいや自己実現や心を満たされることになるだろう。何が得か、何が損かといった物差しで測る豊かさとは別の豊かさ、価値観が国民にじわりと浸透してきている。


年金
 2004年7月の参議院選挙では、年金問題が最大の焦点だったにもかかわらず、本質的な改革案は与野党ともにだされなかった。1973年に確立した年金制度には二つの前提条件があった。一つは経済は必ず成長する。もう一つは、人口はも必ず増える。今の年金制度が設計された高度成長時代のような、二つの前提はあり得ない。これから人口が減っていく中での経済をどう維持していくかという時代になって、制度そのものを変えなければ、年金の支払額が増え、給付額が下がるということは、国民の誰もが知っている事実だ。問題は、そういう時代であればあるほど、現在のあらゆる情報、あらゆるデータを国民に示し、国民と議論していかなければならない。給付が減り支払いが増える年金制度であるとしても、どういう形が国民にとって一番納得しやすいか、少なくともそこを探るべきなのに、政府は相変わらず嘘の数字をもとにした未来予想図を示しているにすぎない。国民がいまの政治に抱いているのは、不信感だ。正直な数字を出し、現実との狭間で国民が納得できるような落としどころをつけなければ、この不信感は払拭できない。

政府の年金改革の問題点
@民間に保険料の引上げを求めるなら、まず官の共済年金のほうからやっていかなければならない。
A年金の積み立てたお金が財政投融資部門へ流用されて、いまや140兆円にもなり、これが不良債権化している。
B基礎年金の財源が不足しているから厚生年金から基礎年金に対して拠出しているが、その不足額が2兆7000億円になる。
C積立金の使い方を官僚の裁量に任せたから、リゾート施設をたくさんつくった。
D企業は社員の厚生年金の保険料を払いたくないから、正社員からパートタイマーにどんどん切り替えている。
E世代間の不公平がある。2000年に生まれた子どもたちは、もらう年金の額は支払った額の1.1倍しかもらえなくなる。いまはだいたい6.2倍になっている。