年収300万円時代を生き抜く経済学        森永卓郎著

 いままでの日本人の働き方には大きく分けて二つあった。一つはパート、アルバイト、フリーターという形で年収100万円前後の安い賃金で働く働き方である。もう一つが、正社員のサラリーマンになって、必死になって働いて年収700〜800万円をもらう働き方だ。しかし、平均的なサラリーマンが年収700万円も800万円ももらっているということ自体が、世界的な常識からすれば、ある意味で異常なことだった。欧米の先進国でも、世帯年収が300万円から400万円というのがグローバルスタンダードなのである。いまは世界的に見てもトップレベルの日本のサラリーマンの年収は否応なく、世界の標準に近づいていかざるを得ないのだ。

 ただし、いまの日本のサラリーマンの年収が一率に世界標準へ向けて下がっていくという変化が、今後起こるわけではない。今後の日本社会は「所得の三層構造化」が現実になっていくだろう。1億円以上稼ぐような一部の大金持ちと、年収300〜400万円ぐらいの世界標準給与をもらう一般サラリーマンと、年収100万円台のフリータ的な人たちの三層構造だ。三層のうち、上の方は自分で働くというより「資本家」の性格を強めていくのだろう。そして、下の二層はずっと賃金労働者として働きつづける。下の二つの階層のうち、いままではかなりの部分が正社員のサラリーマンだったわけだが、その割合がどんどん小さくなっていくのだ。かって中流と言われたサラリーマン層がリストラのたびに低賃金層におちていき、新卒者は正社員として就職を経ないままで低賃金層に入っていく。

 いま日本中の企業が、積極的に導入しているのが、成果主義の賃金体系である。成果主義というのは、ごく一部の人の処遇を思い切り高くするためのシステムである。会社が支払える人件費の原資は限られているのだから、一部の人に高い賃金を支払えば、残りの人の賃金は減っていく。いわゆる「勝ち組」になれるのは多くても1割だ。残りの9割の人たちは現在より収入が減っていく、それが成果主義というものだ。

 9割の人が「負け組」になり収入も大幅に減るとなれば、不安はますます強まって当然だ。もういままでのように収入が増えていく時代ではない。収入が減っていくのは避けられないし、いままでのような「安定」は失うとしても、すでに日本は物質的には十分豊かなのだ。物は溢れるほど持っている。生活のリストラをしてもそれほど生活が悪くなるでもない。
 それなのに、「負け組」になる不安に怯えながら毎日走り回るような生活を続けるのか。あるいは「勝ち組」になるという幻想を捨てて自由時間を余裕を持って楽しめる生活を求めるのか。大切なのは人生の価値観の転換なのである。いまの日本では少しくらい生活レベルを落としても健康で文化的な生活は十分可能なのである。日本のサラリーマンは、自らのライフスタイルを一部の異常な「勝ち組」たちの生活に無理やり合わせようとするのはやめて、個人個人が、自分がいかに幸せに生きるかという価値観に切り替えたほうが、よほど幸せなのではないだろうか。