メガバンクの誤算銀行復活は可能か     箭内やない昇著

 ムーディーズが評価した日本の大手銀行は80年代末にはすべてAaa(トリプルA)という最高の格付を誇っていた。わずか10年間でトリプルAからシングルAに6ランクも転落した。

格付が低い理由
 第1の理由は、不良債権処理の償却負担がきはめて重いことである。デフレ進行と地価下落が続く中で不良債権がさらに膨張する可能性もある。

 第2の理由は、収益力が低く貸出業務偏重の収益構造にある。日本の銀行にとって最大の収益源である利ざやがきわめて薄いことが最大の問題である。これは日本の銀行が長年続けた貸出競争と金利ダンピング合戦のツケがいまだに続いているのだ。もうひとつの収益構造の問題は、日本の銀行が伝統的銀行業務である貸出業務、つまり利ざや収益に依存しすぎていることだ。薄利多売の貸出業務に頼りすぎているので、全体として環境変化やリスクに対する対応力、抵抗力が弱いと評価されている。

 第3の理由は、銀行の健全性の指標である自己資本が薄く、質が悪いことだ。自己資本は銀行が預金支払をする最後の原資である。国際決済銀行(BIS)では、海外活動するリスク資産の8%以上の自己資本を要求している(BIS規制)。日本の銀行の自己資本比率は、表面上の数字こそ欧米の有力銀行と比べても遜色ないものの、自己資本の中身、質の面で大きな問題がある。いまや世界のマーケットは、自己資本を構成する一次自己資本と二次自己資本のうち一次自己資本にしか注目しない。一次自己資本は資本金や利益剰余金など本来的な自己資本であり、二次自己資本は株式の含み益や劣後債などあくまで補完的なものに過ぎないとみているのだ。現に日本の銀行では、二次自己資本の柱だった巨額の株の含み益はこの数年で完全に吹き飛んだし、劣後債も元本を償還しなければならない以上、自己資本とみなすことができないというのが通説になりつつある。さらに問題なのは、一次自己資本の中身だ。日本の銀行では一次自己資本のほとんどが繰延税金資産と優先株式・優先証券だが、格付機関はこれらをコア自己資本としてみることに否定的である。 たとえば、繰延税金資産はいわば過払い分の税金還付期待額だ。日本では不良債権の非課税の償却条件が厳しいので、とりあえず有税で貸倒引当金を積むのが通常である。取引先が破綻して損失が確定すると引当金は損金として認定され、課税所得があれば税金が戻ってくる。この税金の戻り分が繰延税金資産だ。しかし、そもそも将来赤字決算をすれば税還付もありえないのだから、幻の自己資本になってしまう。アメリカでは自己資本に組み込める繰延税金資産は、一年分または一次自己資本の10%のいずれか少ない金額を上限としているが、日本では五年分まで認めているため金額が膨らみ、ビッグ4平均で一次資本の46.2%も占めるという異常な状態になっている。こうした格付機関や海外投資家の指摘に対して日本の銀行は「優先株も繰延税金資産もルールで認められている以上問題ない」と主張し、内外の認識のギャップは拡大する一方だ。

 第4の理由は、保有株式のリスクが高いことだ。日本の銀行が大量の株式を保有しているのは取引先との持ち合いが最大の理由だが、バブル崩壊後不良債権処理のためにクロス取引で売却益を出し続けたことも大きな要因だ。この10年間、不良債権処理の原資として含み益が残っている株式を根こそぎクロス売買したため、簿価が水脹れし、株価下落とともに逆に含み損が拡大したのである。かって巨額の含み益を持つ日本の銀行は日本株式会社の象徴でもあったが、今は一転して巨額の含み損を抱える銀行が低迷する日本経済の象徴になった。

自壊の風土
 第1の経営風土は、「危機感のない」風土だ。日本の大銀行は「銀行神話」に惑わされ、高度成長が終わったときも、プラザ合意のときも、BIS規制導入のときも、そしてバブルが崩壊して経営危機を迎えたあとも危機感をもてなかった。大銀行は倒産しない、させないということが、国民合意といってよいほど定着した風土になっており、これが銀行経営者の危機感を薄め、モラルハザードを招いている。

 第2の経営風土は、「顧客不在」と「サービス不在」だ。日本の銀行は70年代以降、世界の金融業が資金仲介業からサービス業に転換したことを見逃し、「床の間」意識から脱却できなかった。アメリカでは、個人も企業もそして機関投資家も絶えず金融界にニーズをぶつけ、金融界もこれを先取りして技術開発、商品開発をしてきた。金融はまさにサービス業であり、顧客のニーズにこたえられないということは市場からの撤退を意味していた。つまり、アメリカでは顧客と金融機関および金融機関同士が切磋琢磨することによって金融マーケットが多様化し、拡大したのである。

 第3の経営風土は、「競争回避とカルテル志向」だ。わが国では大蔵省や日銀に差配された強力な護送船団行政が80年代半ばまで続いて、各銀行のみならず、銀行界全体の競争力を大きく削いできた。それ以上に深刻な問題は、こうした護送船団方式の絆が緩み始め、徐々に自由化が進展した後も競争回避やカルテル協定を続けたことだ。

 わが国の銀行は戦後一貫して真の競争を避け、カルテル体制の維持と当局やライバル行の情報収集に膨大なエネルギーを投入してきた。他業態への進出意欲は見せるものの、他業態からの浸入に対しては鉄の団結で断固排除した。業態内の競争も預金獲得や中小企業開拓など表面上こそ激烈だが、ひとことでいえば体力戦、消耗戦であり、商品性やサービス面での競争はなかった。こうした経営風土に真の経営戦略や経営者が生まれるはずもなかったのである。

金融ビジョン
 第1の視点は、金融機関サイドから顧客サイドに転換することだ。金融行政の視点を「金融秩序の維持」から「金融サービス・機能の拡充」に転換すべきだ。

 第2の視点は、資本市場の拡充だ。わが国の金融市場は明治時代に近代的金融制度がスタートして以来、銀行中心の間接金融、貸出市場が圧倒的に優位で、株式や債券などの直接金融、資本市場は片隅に追いやられきた。間接金融は銀行がリスクを調整するので預金客は元本割れの心配がないし、企業も銀行との関係さえ維持すれば低金利で資金が調達できるというメリットがある反面、個人も企業もリスクや金利に対する感覚が脆弱になるというデメリットもある。いまや世界の金融市場は連動しながら自由化が進んで、日本の金融もいや応なしに自己責任の時代に入った。世界の金融市場では直接金融、資本市場が拡大する一方だ。投信や証券化商品などの新商品もみな資本市場の商品だ。やはりわが国の個人も企業も、需要と供給という市場原理で金利が決定される資本市場に足を踏み入れざる得ないだろう。わが国で資本市場育成の最大の鍵は、年金基金が抱えている巨額の資金を株式など資本市場に向かわせることだろう。

 第3の視点は、金融システムの安全性確保だ。預金保険制度から始まり、銀行検査の厳格化、自己資本比率の低下警戒警報とする早期是正措置の導入など、相次いで安全装置を拡充してきた。基本理念は「火事は仕方ないが、延焼は食い止める」というものであり、現在も資金決済期間の短縮化など新たな施策を検討している。また、銀行倒産処理などのコスト負担についても、試行錯誤をへた現在では、預金者の自己責任であり、納税者たる国民負担をできるだけ回避することが基本ポリシーになっている。

劣後債 発行会社が倒産した場合に一般の無担保社債や債権の返済が終わってからでないと返済が受けられない債権。支払い順位が低いため、株式などに近いとみなされ、一定の割合で銀行の自己資本に算入することが認められている。邦銀は90年以降自己資本比率を維持するために積極的に発行している。償還期限のない永久劣後債も増えている。
優先株式 普通株に比べて配当金を優先的に受ける、あるいは会社が解散した時に残った財産を優先的に受けるなど、投資家にとって権利内容が優先的になった株式をいう。自己資本の充実を迫られた銀行の資金調達手段として定着しつつある。1998年、99年に公的資金投入による優先株の多くはすでに、普通株に転換可能な時期に来ている。普通株転換が実現すると、国が筆頭株主になるのは確実。筆頭株主になれば、公的資金の注入の申請、経営陣の入れ替えも容易になる。