金哲彦のマラソンレース必勝法        金哲彦著

 本書では、フルマラソンを走るすべての人に向けて、レースを成功に導く秘訣や、レースで失敗しないための注意点など、大会前にもう一度確認してほしい42のポイントを挙げている。レースを目前に控えた時の状態から、スタート直前の準備、レース序盤の走り方、中盤の心構え、そして、終盤のラストスパート、レース後のケアまで。マラソンランナーに起こりがちな肉体のトラブルや気持ちの変化、技術論まで含め、さまざまなポイントやコツが整理されている。

 レース10日前からの調整法としては、徐々に練習量を減らすことでレースに調子のピークをもってくることに努める。トレーニングの量を減らし、これまで溜まってきた疲労を抜くことに専念する。

 フルマラソンを走るランナーにとって、究極の食事方法を「カーボローディング」という。炭水化物中心の食事で、運動する際のエネルギーとなるグリコーゲンを身体に蓄積する。エネルギー不足で失敗しないように食事には十分気をつける。レース数日前から、炭水化物を意識的に多めにとるように心がけ、少なくともレース前夜は、しっかりと炭水化物を補給する。米、餅、パスタ、パンなどが、カーボローディングの主役である。レース終盤でも身体のなかにエネルギーが確保された状態を感じることができれば、レースの成功が近づいていることは間違いない。

 レースでは、最初の5kmの入り方が、非常に重要なポイントだ。ここで、オーバーペースにならないよう細心の注意を払いたい。マラソンに参加する多くのランナーは、自分の目標タイムを設定している。そして、その目標を達成するための平均ペースを計算し、そのペースをあらかじめ頭に入れて走っているはずだ。5km通過時点で、自分のペース設定に対し実際走っているペースは速いのか遅いのか、ラップタイムを確認しよう。一見貯金と感じるハイペースによるタイムリードは、レース終盤に身体が動かなくなってしまうという悲劇を招く。タイムを貯金しようと思っていたのが、結果的に身体への借金となり、さらに高い利子まで返済しなければならない。自分のペースを確認し、走りを整える。これが序盤5kmの課題だ。確認すべきは、目標ペースに対してプラスマイナス1分以内の誤差で走れているかどうか。

 レース前半で急なペースアップをしてしまうと、後半の失速につながる可能性は非常に高い。後半バテてペースが落ちてしまうのを防ぐ意味合いもあり、レース終盤にペースアップする意識で走ることは望ましいともいえる。急なスピードの変化は、知らず知らずのうちに、身体にダメージを与える。特にレース序盤は元気なため、まったく気にならないから余計に恐ろしい。後半になって、そのダメージが一気に噴出するので注意したい。元気なうちから、できるだけ燃費のいい効率的な走りを目指すように心がけたい。

 マラソンレースにおいて、給水は大変重要なポイントのひとつである。スムーズな走りを最優先するためにも、急ブレーキ、急発進は避けたい。給水ポイントにさしかかったら、後方のランナーを確認し、徐々に減速しながら、斜めにテーブルに近づいていく。テーブルの奥の角のコップをとるのが失敗しないコツだ。スムーズにとりそこなったとしてもタイム差にして数秒程度のことである。スムーズに給水することは理想だが、決して焦る必要はない。

 中間点にさしかかると「半分まできた!」と思って喜ぶだろう。しかし、この距離感覚には若干の勘違いがある。スタート地点から中間点までの前半戦と、中間点からゴールまでの後半戦とでは、走る距離こそ同じだが、体感距離は後者のほうが明らかに長く感じるはず。レース前半は、そこまで淡々と距離を消化してきたにすぎない感覚かもしれない。一方レース後半は、「本当に苦しいマラソンは、いよいよここから始まる」という感覚をもつべきである。淡々と半分の距離を進み、できるだけダメージの小さい状態で、残り半分を迎えるのが理想的。

 レースの際、注意すべきは水分不足だけではない。塩分不足も大いなる敵だ。汗をかく量が多いと、脱水症状だけでなく、低ナトリウム血症に陥りやすい。汗で塩分を排出することによって、身体の中でナトリウム不足を引き起こす。その結果、神経伝達にも影響を及ぼし、運動機能が低下したり、けいれんが起こりやすくなったりする。補給するものとしては、食塩、梅干し、塩飴などだ。

 長時間ランニングを続けることで身体全体に大きなダメージが蓄積している。筋肉痛はもちろん、時には腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん)などの炎症を引き起こしてしまう場合もある。腸脛靭帯炎とは、膝の運動に伴い腸脛靭帯と大腿骨の外側顆(がいそくか)が擦れ、それを繰り返すことにより膝の外側で炎症を起こした状態だ。そのほかにマメや靴ずれ、アキレス腱や足首の痛み、さらには、脚だけではなく、腰の痛みや全身の疲労感などマラソンを走ることによるダメージは、さまざまな部位に及ぶ。つらい状況に陥った時、それを乗り越えるためのテクニックとして効果的にウォーキング活用することで、マラソンでの終盤の苦しい状況を打破することが可能になる。

 レース前半は、他人に影響されたり、調子に乗ってスピードをだしすぎたりしてもいけないし、中盤で気持ちよくなったからといってペースを上げるのも禁物。そして、レース終盤、身体のコントロールがきかなくなった途端、あきらめてもいけない。マラソンには、いろいろな試練がある。常に自分自身の身体と対話しながら、我慢に我慢を重ねて走った先に、いい結果が待っている。それを信じてうまくレースの流れに乗ることが重要だし、これこそがマラソンの究極の楽しみ方でもある。自分という人間と向き合い、身体の声に耳を傾け、調子やペースを確認しながら、一歩一歩ゴールへ近づいていかなくてはならない。それがマラソンの難しさであり、醍醐味でもある。

 マラソンは肉体的苦痛を味わった先にある精神的な喜びを得るスポーツだ。マラソンは42.195kmを孤独に走る競技だからこそ、自分と向き合う時間が長く、みずからを見つめなおすには最適なスポーツだ。誰かに与えられたものではなく、自分自身が苦しみに立ち向かうことを選択し、自分で気づく課題だから、より価値が高いのだ。マラソンにおける失敗は、他人のせいではなく、すべてが自分に責任がある。そして、失敗の原因は誰より自分がよく知っている。その事実をあらためて認識し、理解し、受け入れ、そして改善しようと努力するスパイラルが、自分の人生を高めることにつながるのである。