国家の命運        藪中三十二やぶなかみとじ

 自然の美しさ、治安の良さは日本人にとっては当たり前だが、世界標準で考えると当然視すべきことではなく、いま現在の日本は、いまだに素晴らしい国だ。問題は、この国の将来なのだ。増えつづけた財政赤字は、債務残高で904兆円(2010年6月末時点)、GDP比では197%にものぼる。これは世界の主要国が60%強というなかで、天文学的な大きさである。今は、戦後これまで蓄えた1400兆円の個人資産があるが、デモグラフィー(demography 人口統計学)を見れば、どんどん目減りしていくのは明らかだ。1990年、日米経済摩擦時代にアメリカがしきりに非難していた、高すぎる家計貯蓄率(当時15%)、これも、いつの間にかアメリカ並みの2%台にまで落ち込んでいる。また一人当たりのGDPも世界のトップから、23位にまで沈み込んでいる。世界に類を見ない少子高齢化のスピードは日本を確実に、かつ、急速に衰退の方向へ向かわせつつある。また、雇用と年金への不安に代表されるような、人生そのものへの不安が社会を覆いつくしている。

 ところが、日本人一人一人の生活ぶりや、世の中の論調を見ると、それほどの危機感は伝わってこない。漠然とした不安はあるが、今のところ生活できている、少なくとも飢えてはいないし、当面の暮らしに困るようなこともない、というのが平均的な感覚ではないだろうか。財政再建に取り組むことはもちろん必要だが、日本を覆う重苦しい閉塞感を打ち破るためには、パイを大きくして、明るい未来を示すことが必要だ。今後、世界の重心はアジアを中心に新興国家に移っていくであろうが、これは日本にとって大きなチャンスだ。これから先の経済は、システム作りがカギを握る。欧州諸国の専売特許だったシステム作りで、日本が主導的役割を果たすチャンスがめぐってきたともいえる。アジアを舞台にした「アジア版標準」、それを世界の「デファクト・スタンダード」としていく姿勢をとることだ。

 日本でも、ようやく今後の成長戦略が議論されはじめ、その一つとして重視されているのが自由貿易協定だ。EUや米国との間で自由貿易交渉を進めるかどうかは、日本は今、大きな岐路に立たされている。韓国や豪州との経済連携交渉にしても、ASEAN(Association of Southeast Asian Nations 東南アジア諸国連合)諸国のときとは比較にならないほど難しい交渉になっている。いずれにせよ問題は、農水産物の分野で日本が思い切った対応をとれるかどうかにかかっている。これから日本がアメリカや豪州などと自由貿易協定を結ぶためには、農業分野の水際での保護措置を大幅に撤廃しなくてはならない。

 2009年秋、鳩山政権発足とともに「東アジア共同体構想」が大きな注目を集めた。しかし、じつはこの構想事態は新しいものではない。2002年ぐらいから、日本とASEANの協議の中で出ていた考え方である。ASEANは現在10ヶ国(インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジア)で、域外諸国との東アジアにおける地域協力の先導役を任じている。ASEANプラス3は、ASEANを中心に日、中、韓の3ヶ国を加えた会合でありアジア太平洋地域の安全保障に関する唯一の政府間対話もASEANが中核となっている。さらに、ASEANプラス3にインド、豪州、ニュージーランドを加えた東アジアサミットでは、全16ヶ国が対等の立場で会合に参加するため、ASEANがドライバーズシートに座る、といえる状況ではなくなってきている。

 もう一つ、ユニークな自由貿易の枠組みが出現しつつある。環太平洋経済パートナーシップ協定(TPP Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)である。当初、シンガポール、ブルネイ、ニュージーランド、チリの4ヶ国でスタートした枠組みであり、「環太平洋地域の、もっとも自由貿易志向の強い、小国の集まり」というのが特徴だったが、経済規模からすればそれほど大きな影響力がなく、あまり注目されていなかった。ところが、この枠組みにオバマ政権が関心を示したことで、一挙に注目を集めることになった。アメリカは、日本の新政権が主張する東アジア共同体構想にアメリカが含まれるのか、あるいは排除されるのか、いま一つはっきりしないことに不安を抱いていた。そこでTPPへの参加に動き出したのである。次いで豪州もこれに乗り、「環太平洋」を基本とする枠組み構想が立ち上がった。さて、日本はどうすべきか。TPPに入るには、やはり農業面で大胆な貿易自由化が条件となるが、日本はその方向に進むべきだと考える。

 1989年に発足したAPEC、アジア太平洋経済協力(Asia-Pasific Economic Cooperation)は、アジア、アメリカだけでなく、ペルー、チリ、メキシコなど中南米の国々も加えたアジア太平洋地域の21の国と地域が集まっている。2010年11月には日本の横浜でAPECサミットが開催され、翌年はアメリカのハワイ、その次の年にはロシアのウラジオストックで開かれることになっている。枠組みとしてのAPECの将来は、この3年にかかっている。APECか、TPP(環太平洋経済パートナーシップ協定)が拡大していくのか、東アジアサミットか、それとも東アジア共同体構想か、今後もさまざまなアイディアが出てくるだろうが、ジグザグコースをたどりながらも、東アジアの地域協力が進むことだけはまちがいない。