語っておきたい古代史        森浩一著

 本書は、「甦る古代人の知恵と技術」、「女王卑弥呼の時代」、「クマソの考古学」、「古墳研究と継体天皇」、「(見瀬)丸山古墳と陵墓問題」の五篇をテーマにしたの講演の内容がまとめられている。

三角縁神獣鏡
三角縁神獣鏡は中国にはなく、日本でしか出ないが、
現在約500枚も出ています。
倭人伝には、西暦239年に卑弥呼の出した使いが、
銅鏡100枚を持ち帰っている。銅鏡の種類の名称は
述べていない。
三角縁神獣鏡は、三世紀、とくにその前半とか中ごろの
鏡ではない。出てくる古墳は四世紀と五世紀の初めです。
三角縁神獣鏡は、源流は中国だが、日本製です。
長江流域の人びと、呉系の工人が倭へ移住して
つくったものであろう。
神獣鏡は、不老長寿の世界である神仙界を図柄に
あらわしている。不老長寿をマスターした仙人たちを
配した鏡です。さらに竜や虎が、不老長寿の理想郷へ
人を運んでくれる動物でもあるし、また不老長寿の世界
を守る動物でもあります。
生き返りを願って死骸を密封するということを考える。
死骸を守ってくれるのが直径九寸(22cm)以上の
鏡です。
長江下流域の江南と日本列島とで、共通の信仰が
広がった。


免田式土器
弥生土器の一番立派な土器とされる免田式土器は、人吉盆地あるいは熊本県の海岸地方と、宮崎県や
鹿児島県など、南九州に多い土器です。二世紀から四世紀ぐらいのものです。
その地域は古事記や日本書紀からみればクマソ(熊襲)という、大和の天皇家に服従しない者が
いた地域です。
免田式土器は、他の弥生土器のなかから生まれるものではない。金属製の容器を模倣しないと
できない。免田式土器の起源は、大陸のどこかに起源があるのではないでしょうか。

狗奴国
倭人伝には女王が支配している領域の南に狗奴国があると出てきます。狗奴国がどこにあったか
については、いくつかのの説があります。
@邪馬台国九州説では、邪馬台国は八女(やめ)市や瀬高町であるとか甘木市など、福岡県でも
南のほう、筑後川流域にあったのではないかという説が強まっているようです。そこからみれば
狗奴国の中心は、熊本県の南半分、球磨郡のあたりになります。狗奴国は免田とその周辺だろうと
思われる。
A邪馬台国が奈良県にあったと考えると、狗奴国は和歌山県の熊野地方ではないかというものです。
B邪馬台国が大和にあったと考え、狗奴国は東海地方、名古屋のあたりではないかということです。
C邪馬台国が大和にあったと考えても、狗奴国は熊本南部であるというものです。
邪馬台国は九州にも大和にもどちらにもあり、邪馬台国の東遷説です。狗奴国によって北部九州の
邪馬台国が大和にうつらざるをえなかったという見方があります。

古事記、日本書紀ではクマソとの戦争というのは、正々堂々とした戦いでは勝ち目がないという前提で、
書かれている。


継体大王
日本書紀では、武烈天皇のところで血統が絶えた。越にいた男大迹(おほど)王を倭国全体の国王として迎え入れたことになっています。しかし、武烈天皇に子供がなかったにしても、当時の大王には妃が多かった孫の代までになると少なくとも八十人とか百人になります。日本書紀では、男大迹(おほど)王は応神天皇の五代の孫だと書いてあります。五代という範囲で探せば、河内や大和に何百人もいたでしょう。血統が絶えたという書き方は信実を伝えていないのではないでしょうか。倭国全体の大王にふさわし国際的センスを身につけた支配者候補が、大和では見当たらなかったということが真実だったのではないでしょうか。
日本書紀では、西暦507年北河内の樟葉(くすば)で即位し、大王になっています。次に都をうつしたのは南山背(やましろ)の筒城(つつき)、それから三番目に都をうつしたのが淀川水系の北の弟国(おとくに)です。これらの三つの都、宮のあるところは淀川水系です。国際的な当時の都の位置は、船が海からさかのぼれるところにある。淀川水系というのは瀬戸内海にも出て行けるし、少し陸路をとりますが琵琶湖を通るとすぐに日本海にも出て行ける地の利を備えている。
507年に継体が樟葉宮で即位の儀式をしたときに、大伴金村がひざまずいて神宝としての鏡と剣を奉りました。これは明らかに越の国からやってきた継体王朝に対して大和側が降伏している。だから宝器を差し出しているのです。
継体大王は、遠隔地まで行ける帆船と陸上を疾走できる馬、この両方を政治や戦争にとり入れた画期的な大王でした。