女帝と詩人 北山茂夫著
本のタイトルの女帝は持統天皇、詩人は柿本朝臣人麻呂をさしています。皇太后が天武天皇にささげられた挽歌 やすみしし (巻2−159) |
わが大君は、夕方になるときっとご覧になっている。明方になるときっとお尋ねになっている。その神岡の山の黄葉を、今日もお尋ねになることであろうか。明日もご覧になるであろうか。その山をはるかに見やりながら、夕方になるとむしょうに心悲しく思い、明方になるとただ心寂しく時を過ごして、粗い喪服の袖は乾く時もない。 |
神岳 橘寺南東にあるミハ山 荒栲 藤や葛で織った粗い着物(喪服) |
藤原宮の役の民作る歌 やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子 荒たえの 藤原が上に (巻1−50) |
天下を統治なされるわが大君、天空高く照らす日の皇子(持統)、藤原の地で国をお治めになろうと、宮殿を立派に営みなさろうとして、神のままに思し召されると、天地の神々も心服しておられればこそ、近江国の田上山の檜の用材を、宇治川に浮かべ流している。それを取ろうとして忙しく立ち働く天皇の御民も、家郷を忘れ、一身を顧みることもなく、鴨のように、水に浮んでいて、(「自分らがいま造る御門に、知らない異国も寄こせ」という、大和の巨勢道より、「わが国は、常住不変の国になるだろう」という瑞兆を甲に画いた神秘な亀が、即位なされた女帝の新たな御世を祝って出ずという)泉の川に持ち運んだ檜の角材を、筏にくみ、その上流に運ぶのであろう。先を争って励んでいるのを見ると、これは、わが大君が神のままの御方であられるからであろう。 |
近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本人麻呂朝臣の作れる歌 玉たすき (巻1−29) 反歌 さざなみの 志賀の唐崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ (巻1−30) さざなみの 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも (巻1−31) 近江の海 夕波千鳥 (巻3−266) |
畝傍山のふもと、橿原で即位された天皇の御代以来、神としてこの世に姿を現された歴代の天皇が、次々に大和で天下を治められたのに、その大和を捨てて奈良山を越え、いったいどういうお考えで、畿内を離れた田舎なのに、近江の国の大津の宮で天下を治められたりしたのだろうか。その天皇の宮殿はここだと聞くけれど、御殿はここだと言うけれど、春草の生い茂っている、春の日の霞んでいる荒涼とした宮殿の廃墟を見ると悲しいことだ。 |