アフリカで誕生した人類が日本人になるまで 溝口優司著
アフリカで長い時間をかけて、猿人からホモ・サピエンスになった人類は、アフリカを出て世界各地に移住し、その土地土地の環境に適応してきました。 アフリカを出た人類は、どのようにして日本列島にたどり着き、この姿・形を獲得したかの謎を探ります。
1997年にエチオピアのヘルトで最古の現生人類の化石が見つかった。ホモ・サピエンス・イダルトゥ(ヘルト人)です。放射年代測定によりおよそ16万年前と年代決定されました。
出アフリカの有力なルートは2つあったと考えられています。その一つがアフリカ東部から紅海の海峡を通て、アラビア半島の南端に至る道です。もう一つのルートはアフリカ北部からシナイ半島を抜け、中東に至る道です。イスラエルのカフゼーで見つかったホモ・サピエンスの化石が、約10万年前のものであることが判明しました。その後氷期になりアフリカから出てきて体が寒冷地適応していなかったホモ・サピエンスはイスラエルから去り、寒冷地適応したネアンデルタール人がヨーロッパからイスラエルのあたりまで南下してきました。一旦イスラエルから姿を消したホモ・サピエンスは3万5000年前ごろになって道具を発達させてヨーロッパに姿を見せました。(クロマニョン人)
アフリカを出たホモ・サピエンスの一派はヨーロッパに到達し、後に日本人となる一派は、中東またはアラビア半島の南端からインド、インドシナ半島へと海岸沿いに移動し、ユーラシアの南東部にたどり着いたところで、日本人の祖先のように北に進む人々と、南に進む人々に分かれました。南下した一派は、遅くとも4万年前までにはボルネオ島北中部(現在のマレーシアのサラワク州)に、3万年前までにはオーストラリア南東部に到達したようです。おそらくは、氷期に海水面が下がって、マレー半島とスマトラ、ジャワ、ボルネオなどの島々がつながった「スンダランド」と、オーストラリアとニューギニア、タスマニアなどがつなっがった「サフールランド」という大きな陸地ができたときに、陸づたいに歩いて、あるいは近くなった島から島へ何らかの舟で渡ったのでしょう。
化石人骨を計測する形質人類学者の著者によると縄文人の祖先は、オーストラリア先住民(アボリジニ)などの祖先と同様にスンダランドにいた人々であるとしています。弥生人の祖先は、北方アジア系の遊牧民であるとの見方を示しています。日本人は、南方起源の縄文人の後に、北方起源の弥生人が入ってきて、置き換わりに近い混血をした結果、現在のような姿・形になりました。狩猟採集民と農耕民では、人口増加率が異なります。農耕によって安定して食料が供給できるようになると人口が一気に増えるため、農耕民の人口増加率は、狩猟採集民より遥かに高いので日本全域が弥生人の特徴を持つ人々で埋め尽くされていきました。