人民元・ドル・円 田村秀男著
アメリカ、中国、日本の関係は、その経済相互依存関係は深化、拡大の一途をたどっている。「世界の工場」中国は安価な製品を世界に大量に供給し続けてきた。需要サイトの代表はアメリカであり、メイド・イン・チャイナの洪水をアメリカの大衆が歓迎している。日本はドル債購入でドル不安の防止に貢献している。中国に対して日本企業は部品、原材料や機械設備を輸出し、収益を上げる。日本も中国もモノやカネでアメリカの需要を満たすことが自国の経済の安定に結び付く。問題は、この相互依存の三角形が安定するかどうかである。
アメリカには基軸通貨国の特権がある。アメリカはドル札を好きなだけ自由に刷って世界にドルをばらまき、モノやサービスを買える。発行されたドルの三分の二以上がアメリカ外で出回っている。自分の所得以上に消費する結果、貿易赤字が膨張して産業界に不満が高まると、貿易相手国に「対ドル・レートを切り上げろ」と迫る。ドル保有者はいわばアメリカに対する債権者であり、対ドル・レート切り上げはアメリカにとって債務削減になる。
2001年9月の同時多発テロで、ブッシュ大統領は対テロ戦争を宣言した。アメリカはドル安定の義務から自らを解放した。国土安全保障を名目に支出を膨らませ財政赤字のの拡大に加速がかかった。ドルの規律を後回しにし、赤字国債を発行している。政府見通しでも2004年度の財政赤字は5千億ドルをはるかに上回る。アメリカの財政赤字の増加のうち、イラク復興予算は単なる一因にしかすぎない。直接、間接両面での政府部門の再肥大化が赤字の最大要因である。
ブッシュ政権は9.11のあとふた月足らずで「愛国者法」を成立させ、在来金融機関に対し、資金取引の詳細を当局に報告するように義務づけた。テロリストから資金を取り上げるためだが、打撃を受けたのはアルカイダばかりではない。身元をつかまれるのを嫌がる中東や華僑、さらに中国の企業などドル資産保有者や法人がドル離れを起こした。その多くがユーロ建て資産に転換した。欧州中央銀行はドル金利よりユーロ金利を高めに設定し運要役を引き受けた。同盟国日本政府がアメリカ国債を買い支え、元切り上げ圧力をかわすために中国もドル資産買いに努め、アメリカの金融市場の安定に結果としては貢献した。
サダム・フセインは2000年11月に国連の管理下に置かれていた石油代金収入による人道物資基金をドル建てからユーロ建てに置き換えた。イラク石油輸出を担っていたのはフランスとロシアの石油会社である。両国ともイラク攻撃に反対した。フセインにユーロ建てを認めたのは国連のアナン事務総長である。ブッシュ政権は国連を信用できない。単独でも懲罰のためフセインを退治し、サウジアラビア、イラン、ベネズエラなど他の産油国を牽制する必要があった。ブッシュ政権は国連や仏独の反対を無視し、大量破壊兵器保有を理由にフセインを退治した。イラクを復興を成功させ、サウジアラビアと並ぶ石油資源を事実上アメリカのコントロール化に置き、石油取引のドル建てを維持させる。それを基本にしながら、あとは日本、中国などアジアのドル資産買いが加わることで、ユーロの挑戦を退けるというのが、アメリカのドル帝国防衛戦略である。
1997年6月、ニューヨークで講演した橋本龍太郎首相は「何回か、日本政府が持っている財務省証券を大幅に売りたいとの誘惑に駆られたことがある。」と発言した。するとニューヨーク市場では株式、債券、ドルとも急落し、ワシントンも巻き込んで大騒ぎになった。それがもとで橋本氏はワシントンから事実上のレッドカードを突きつけられたという。クリントン大統領は1998年6月、日本をパスして9日間も訪中し、米中関係を固めた。
ドルを買い、アメリカ国債を買うことが同盟国アメリカへの忠誠の代価のようになってしまった。日本がドルの下落を止め、アメリカ国債を大量に保有することは短期的には限界にきているし、長期的には世界経済の不安要因を膨らませることになる。むしろ円高・ドル安のほうが日本の利益になるという見方すらある。円高の利益だが、今や日本にとって最大の輸出市場になったアジア向け輸出は増え、円安になると減るようになっている。円高で日本企業のアジア向け投資が加速し、現地の生産力が高まる。それに伴って日本の部品、設備需要が活発になって日本からの輸出が増える。東南アジア、台湾、韓国、中国も円高のため自国の輸出競争力が高まるので、対米輸出などが伸びるが、必要な資本財は自国にないので日本から輸入する。逆に円安になれば、各国の競争力が低下し、輸出が鈍化し、景気が悪化して日本からの輸入も減る。
中国は自由貿易圏を一挙にASEANに広げ、人民元をアジア経済圏の共通決済通貨にする戦略を構想している。人民元を1ドル=8.27元台に固定するドル・ペッグ制は、現行体制では当面最適なのだが、通貨での従属は、政治面にも響く。自立をめざすのは当然なのだろう。円が元の挑戦を受けることで、日本は円に関するこれまでの冗長で自主性のないドル依存の夢からさめるかもしれない。