人口と日本経済 長寿、イノベーション、経済成長         吉川洋著

 2012年1月に公表された国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口(出生中位)によると、日本の人口は2110年に4286万人になる。2015年の人口は1億2711万人(15年国勢調査)だから、これから100年でわが国の人口は約3分の1にまで減少する。この間に、急速な高齢化も進行する。これに対して政府は、2065年時点で、このまま放置すれば8100万人まで減少する人口を1億人に維持することを政策目標として掲げた。

 なぜ豊かな人々の間で出生率は、低下したのか。ブレンダーノ(1844〜1931)は、先駆的な研究の中で、今もなお専門家によって検討が続けられているいくつもの論点を挙げている。社会の進歩とともに若い人が楽しむモノやサービス(海外旅行、オペラの鑑賞など)の種類は拡大していく。そうしたモノやサービスを楽しむためには時間もかかるし、お金もかかる。その結果、多大の時間と経済的なコストを要する出産・子育ては敬遠されるようになる。人々は高い生活水準を保つために子どもの数を抑制する。また、少数の子どもに高い教育を授け、専門的な職業に就けたいと望むようになる。こうした流れに加えて、女性の意識の変化も指摘されている。文明が繁栄すると人口は減少する。こうしてローマ帝国も衰亡したのだ。ブレンダーノの論文はそう結ばれている。

 わが国の出生率の低下の原因は晩婚化と非婚化である。30代前半で結婚していないのは男性で半分近く、女性でも3人に1人が未婚である。晩婚化だけでなく非婚化、つまり一生結婚しない人の数も増えている。晩婚化、非婚化に加えてバブル崩壊後1990年代から始まった若者の労働条件の劣化がある。労働条件の劣化とは、非正規雇用の増加、賃金の低下を指す。1984年には、非正規雇用の比率は雇用者の15%だったのに、2014年にはそれが37%となった。現代日本では経済的困難により結婚できない人が増えてきた。

 既存の財やサービスに対する需要は必ず飽和する。はじめは需要に伴って生産量が高い伸びを示しても、いつしか必ず成長は鈍化する。成長の鈍化どころか、極端な場合には、シュンペータ―(1883〜1950)の「創造的破壊」により淘汰され、消えていくモノやサービスすらある。既存のモノやサービス対する需要が飽和に達するなら、経済全体の成長もやがてゼロ成長に向けて収束していかざるをえない。多くのモノやサービスが普及した成熟経済には、常に成長率低下の圧力がかかっている。そうした先進経済で成長を生み出す源泉は、当然のことながら、高い需要と成長を享受するモノやサービスの誕生、つまり「プロダクト・イノベーション」である。需要の不足によって生まれる不況を、ケインズ(1883〜1946)は、政府の公共投資と低金利で克服せよと説いた。シュンペータ―は、需要の飽和による低成長を乗り切る鍵はイノベーション以外にないと主張した。

 すでに現実になりつつある超高齢社会において人々が「人間らしく」生きていくためには、今なお膨大なプロダクト・イノベーションを必要としている。超高齢社会において、医療・介護は言うまでもなく、住宅、交通、流通、さらに一本の筆記具から都市まで、すべてが変わらずをえないからである。それは、好むと好まざるとにかかわらず、経済成長を通して実現されるものである。逆に、先進国の経済成長を生み出す源泉は、そうしたイノベーションである。人口が減っていく日本国内のマーケットに未来はない、という声をよく耳にするが、超高齢社会に向けたイノベーションにとって、日本経済は大きな可能性を秘めているのである。シュンペータ―は、イノベーションの担い手にとっては、金銭的なリターンもさることながら、何よりも未来に向けた自らのビジョンの実現こそが本質的だ、と言った。ケインズも、企業の設備投資はアムンゼンが犬ぞりに乗って南極を目指したときのように最終的には「アニマル・スピリッツ」による、したがって健全なオプティミズムが失われた合理的な計算のみに頼るなら企業は衰退する、と言っている。日本経済の将来は、日本の企業がいかに「人口減少ペシミズム」を克服するか、にかかっているのである。