人口学への招待        河野稠果しげみ

 日本はいよいよ人口減少時代を迎えようとしている。日本の人口は、2005年から減少をはじめた。その原因は1956年頃からすでにはじまっていた少子化現象、すなはち人口置換え水準を下回る低出生率にほかならない。人工置換え水準とは人口増減のない状態を保つ出生率を指す。近年の日本の場合、合計特殊出生率が2.07の水準である。2.07を切るとやがて人口減少がはじまる可能性が起こる。


 2006年以後は推計で、出生率は中位で死亡率も中位の推計値での日本の将来人口推計である。合計特殊出生率が2013年までに1.2134に下がり、その後2055年までにわずかに1.2640に回復すると仮定されている。日本の人口は、2004年に1億2779万人ですでにピークに達している。2025年に1億1927万人、2050年に9515万人、2100年に4771万人になる見込みである。15〜64歳の生産年齢人口は1995年頃からすでに減少期に入っている。15歳未満人口は1955年頃がピークである。65歳以上の老年人口は、2040年代初頭まで増加する。高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は2025年30.5%、2050年39.4%、2055年40.5%というすさまじい超高齢人口となる。人口減少がはじまった最初の10〜20年間の減少は緩慢である。しかし次第に減少のペースがはやまり、急速に減少していく。たとえ出生率が置換え水準に回復しても、元の人口規模に戻ることはない。

 実際に人口が減るとどういったことが起こるのか。まず国力の低下が起こる。国力とは軍事力、経済力、技術力、そしてソフト・パワーと言われる外国の人びとをひきつける日本全体の総合的な力であろう。一国の総生産が持続的に減少しているときに、人びとは経済的な活力の低下を肌身に感じ、将来への不安や不透明感を覚えるに違いない。将来の不安が横たわっているときには、人口減少がこの先さらに低出生スパイラルを生む可能性は考えられる。いかなる時代でも、経済が不況の時代には出生率は上昇しない。将来に明るい見通しがないときにも出生率は回復しない。産業体制・組織の合理化、効率化を徹底し、人口や労働力の数に頼らず、労働集約的産業形態から脱皮することができれば、日本はさらなる経済興隆期を迎えて、出生率が反転し上昇する可能性が生まれてくるかもしれない。日本では、経済が強ければ人口減少は恐ろしくないという見解も聞かれる。経済の規模が変わらず人口減少すれば、一人当たりの所得水準は上昇し過密も解消して、日本は本格的に豊かな社会になるとの議論はあり得る。しかしその可能性は、2005年に人口減少がはじまってからせいぜい最初の20年程度の話であることを留意したい。

 近年のフランスや北欧諸国の出生率回復の成功例をみればわかるが、十分に手厚い家族支援政策を長い時間をかけて有効に行えば、ある程度の効果がある。フランスの合計特殊出生率がヨーロッパ最高の2.0になった。家族政策と称して、児童手当の増額、子どものいる家族の税金の控除、働く女性の仕事と家庭の支援を広く行う。フランスは1世紀にもわたり出生促進政策を国是として行ってきた。北欧諸国も1930年以来、子どもを持つ家庭への援助と、働く女性の仕事と家庭の両立を支援する手厚い家族政策、住宅政策を実施してきた。

 14世紀のヨーロッパでペストが流行し、多くの国・地域で人口減少が起きた。なかには人口が半分以下になった地域さえある。深刻な労働者不足が起き、それを補うために生き残った人びとはあらゆる工夫を試み、改革を行った。その結果、ルネサンスが花開き、技術革新が起き、後日の産業革命につながったと言われている。狭い血縁社会の範囲内で、世襲で次世代労働力の補給を行っていた伝統的なギルド社会に、血縁以外の人びとも参入できるようになった。このことはいまの日本の状況からみれば、現代にそぐわない古い体制の改革、悪しき既得権の撤廃と同等の意味を持つ。