日本人の骨とルーツ        埴原和郎著

 1990年に著者が、日本人の「二重構造モデル」を提出した。日本人集団の主な構成要素を縄文系と渡来系の二つと考えることから、「二重構造モデル」という。著者が考えている日本人形成史の概要は以下のようになる。

 日本の旧石器時代人や縄文人は、かつて東南アジアに住んでいた古いタイプのアジア人集団(原アジア人)をルーツにもつ。縄文人は一万年もの長期間にわたって日本列島に生活し、温暖な気候に育まれて独特の文化を成熟させた。気候が冷涼化するにつれて北東アジア(モンゴル、長江以北の中国北部および東北部、バイカル湖以東の東部シベリア)の集団が渡来してきたが、おそらく彼らも、もともとは縄文人と同じルーツをもつ集団だったのだろう。異なる点は、長い期間にわたって極端な寒冷地に住んだために寒冷適応をとげ、その祖先集団とはいちじるしい違いを示すようになったことである。
 大陸から日本列島への渡来は、おそらく縄文末期から始まったのだろうが、弥生時代(紀元前三−後三世紀)になって急に増加し、以後七世紀までのほぼ1000年にわたって続いた。渡来集団はまず北部九州や本州の日本海沿岸部に到着し、渡来人の数が増すにつれて小さなクニグニを作り始めた。さらに彼らは東進して近畿地方に至り、クニグニの間の抗争を経てついに統一政府、つまり朝廷が樹立された。
 その後朝廷は積極的に大陸から学者、技術者などを迎え、近畿地方は渡来人の中心になった。また土着の縄文系集団を同化するため北に南にと遠征軍を派遣し、一部の地方には政府の出先機関も設置された。渡来系の遺伝子はこのようにして徐々に拡散したが、縄文系と渡来系との混血は近畿から離れるにつれて薄くなる。現代にもみられる日本人の地域性は、両集団の混血の濃淡によって説明される。混血がほとんど、あるいはわずかしか起こらなかった北海道(アイヌ系)と南西諸島(琉球系)に縄文系の特徴を残す集団が住んでいることも同じ論理によって説明することができる。

 日本人は、東南アジア系と北東アジア系の少なくとも二つの集団をルーツとして成立したと考えられる。しかし現代日本人のデータを平均してみると、いずれかといえば東南アジア系より北東アジア系の集団の影響を強く受けていると考えられる。東南アジア人、北東アジア人のいずれもアジア人の仲間であり、もともとは共通の祖先からわかれた集団である。東南アジア人と北東アジア人との違いを生んだ主な原因は気候の差にあるらしい。とくに北東アジアの人びとは厳しい寒さを生き延びるために独特の適応を余儀なくされ、長い年月を経て祖先とは大幅に異なる特徴を獲得した。もしこのような適応に失敗したら北東アジア人たちが生き延びることは難しかったに違いない。人類学ではこのような適応をとくに寒冷適応といっている。


寒冷適応の特徴
・アジア人としては身長が高く、やや大柄である。胴の長さに比べ四肢が短く、またウエストが太めなので全体としてずんぐりした体型になっている。
 寒冷地方では体が大きくなり、高温多湿の地方では小さくなるという「ベルクマンの法則」がある。その原理は、身長が高くなるにつれて体温保持に役立つ体積は急に増えるが、体温の発散に関係する体表の面積はゆるやかにしか増えない、という物理法則である。四肢が短くなると体表面積が急速に減少し、体温の放散量が少なくなる。胴が長く、ウエストが太くなると体積が増すので体温の蓄積効果が高くなる。

上顎骨じょうがくこつ(うわあご)は上下、左右に大きくなったばかりでなく前の方にもふくらんできた。その結果、頬の部分のくぼみがすくなくなり、顔が平坦になった。
 上顎骨の内側には上顎洞と呼ばれる大きな空洞があり、鼻腔びくう(鼻の内部にある空洞)と協力してエア・コンディショナーの役目を果たしている。このような働きは粘膜の役目で、骨そのものの作用ではない。しかし粘膜の表面積を増やすためには、その土台の骨を大きくしなければならない。

・鼻の幅が狭い
 鼻腔や上顎洞の温度が急激に下がらないように空気の吸入量を調整するためで、寒冷気候に対する防御装置の役割を果たしている。

・眼が細い
 ほとんど液体から出来上がっている眼球を寒気から保護するため。

・髭、眉毛、体毛がすくない
 髭や睫毛に氷柱がぶら下がり凍傷を起こす可能性がある。

・一重瞼

・蒙古ヒダ