人口から読む日本の歴史       鬼頭宏著

人口推移の四つの波

 縄文時代から21世紀に至る日本人口の推移は4つの波があった。第一は縄文時代の人口循環、第二は弥生時代に始まる波、第三は14・15世紀に始まる波、そして最後は19世紀に始まり現代まで続く循環である。

縄文

 縄文時代の人口は、縄文早期の2万人から縄文中期の最盛期の26万1千人まで順調に増加したが、縄文中期を過ぎると反転し急激に落ち込み、縄文後期は16万人、縄文晩期は7万6千人まで減少した。1万年ほど前、日本列島の年平均気温は現在よりも約2度低かった。しかしその頃から気候は温暖化しはじめ、6千年前には現在より1度以上高くなった。気候温暖化に支えられて、関東・中部の人口は縄文中期までに環境の人口支持限度いっぱいに達していた。そのような状況にあるときに気候の悪化が起きるとまず動物相に影響があらわれる。そして生産力の低下にもかかわらずいっそう環境から多くのものを引き出そうとするから、環境の悪化ないし破壊を加速してしまう。その結果として一人あたり食料消費量は減少し、栄養不良の状態が拡がることになる。同時に、縄文時代後半には大陸から新しい文化をもった人々が渡ってきていたが、縄文人にとっては免疫のない新しい病気ももたらされたと考えられる。

水稲農耕化

 紀元前3世紀ころ九州北部に稲作農耕の受容により弥生文化がおこり、紀元前100年頃までには西日本一帯をおおい、1世紀には東北南部、そして3世紀には北海道を除く日本列島のほぼ全域に拡がり、日本の人口は急速に増加しはじめた。この人口成長は千年ほども続いたのち、8世紀を過ぎるころから成長を鈍化させて、11世紀以後になると人口循環を一巡させた。稲作の導入は二つの面から人口を増加させた。一つは稲作の高生産力が日本列島の人口支持力を著しく上昇させたこと、そしてもう一つは水田耕作が多くの労働力投入を必要としたことである。

 弥生時代以降の人口増加には、縄文時代から日本列島にすみついていた人々の自然増加によるだけでなく、海外からの移住にささえられた増加もあった。そもそも稲をもたらした人々は、渡来人であった。シミュレーションの結果、弥生時代初期から奈良時代初期までの千年間に150万人程度の渡来があり、奈良時代初期の人口は血統からみて、北アジア系渡来系が八割あるいはそれ以上、もっと古い時代に日本列島にやってきて土着化していた縄文系(原日本人)が二割またはそれ以下の比率で混血した可能性が高いという。

水稲農耕化社会の成長の限界

○当時の技術体系のもとで可能な耕地拡大と土地生産性の上昇が望めなくなった。

○12世紀の乾燥化の影響は度重なる旱害となって現れた。その極度が1181年の日照りによる大飢饉であった。

○大陸から日本に人口移動とともに天然痘が浸入し流行した。

○公地・公民制は9世紀には動揺しはじめ、10・11世紀には解体した。代わって出現したのは荘園・公領制であった。土地の私有化は初期には原野の開墾を促す要因となったが、律令制的土地制度の崩壊は、高度な技術と大量の労働力を駆使して大河川流域の平野を開拓し、排水・灌漑施設を維持することを困難にした。

経済社会化

 江戸前期に連なる人口成長の波は、14・15世紀に始まり、その後四百〜五百年を支配して、18世紀まで継続した。それを支えた原動力は経済社会化、すなわち市場経済の展開に求めることができる。室町時代は文明システムの転換にとって重要な時代であった。現代日本人にとって伝統的な文化とみなされているものの多くがこの時代に生まれ、あるいは中国・朝鮮・ヨーロッパ(南蛮)などから取り込まれた。

 世帯規模と世帯構造の大きな変化によってひき起こされた出生率の上昇が人口成長の主要因となっている。世帯規模の縮小は、傍系親族と隷属農民の分離あるいは消滅によって、社会全体の有配偶率を高め、その結果として出生率の上昇に結びつく。いわゆる小農民自立と呼ばれる現象で、人口成長は、隷属農民の労働力に依存する名主経営が解体して、家族労働力を主体とする小農経営へと移行する農業経営組織の変化と結びついていた。

 18世紀になると人口は停滞する。重い年貢賦課や度重なる飢饉によって餓死や堕胎・間引が横行したためと説明されることが多い。しかし、最近では、死亡率はむしろ改善されており、堕胎・間引にしても将来の生活水準の低下を防ぐ目的で、予防的に行われていたとみなされている。

工業化

 19世紀に始まり現代まで続く工業化の波である。工業化社会を生み出した産業革命の基本的特徴は、文明が依拠するエネルギー源を生物的資源から非生物的資源へと転換したことにあった。石炭、石油、天然ガスといった化石燃料や、原子力、おもに水力発電の形で利用する自然力などの、非生物的エネルギー資源の大規模な使用が、いくつかの側面から未曾有の経済成長と人口成長を可能にした。

○非生物的エネルギー資源の利用は耕地を大幅に食糧生産に振り向けた。薪炭生産のための林野や、役畜飼育のための牧草地・飼料畑を必要としなくなった。

○生物(木)の生育速度に束縛されていたエネルギー供給が、その制約から解放された。いつでも必要なだけのエネルギーを取り出して、人口成長を上回る経済成長を達成することができた。

○工業生産物が農業生産力を高い水準に押し上げた。機械力の導入、農薬・化学肥料の投入はそのもっとも目覚しいものである。

現代の世界の人口の推移

 現代の人口増加は、発展途上国で大きく、先進国ではゼロ成長に近い。発展途上国における高い出生率は貧しさとむすびつけた説明がなされている。子供が労働力として役立ち、ささやかであっても賃金稼得の担い手になりうる場合や、同族の拡大が成員の生活保障に役立つ場合には、貧困が多産に結びつく。また、発展途上国における高い人口増加率を、人口転換の実現過程における過渡的な現象であるとする見方がある。近代以前の社会では多産ではあったが死亡率も高かったので、人口増加は小さかったとされる。近代化の過程で医薬や医療が進歩し、水道や病院などの社会資本が整備されることによって、死亡率が下がりはじめる。ところが社会的な慣習となっている出生行動は急には変わらない。高い出生率が維持されたままに、死亡率の低下が進展する。この多産少死が、近代人口成長の局面を生み出すのである。しかしやがて出生率も低下に向かい、やがて少産少死が実現して、人口増加はゼロ成長に近づいて安定する。

 20世紀の先進国が経験したのは、死亡率の低下に遅れて、あるいは平行して出生率の低下が起きたことであった。まず晩婚化である。とくに女性の教育水準の上昇と家庭外での就職が増えることによって結婚年齢が上昇した。しかし出生率低下のおもな要因は、むしろ有配偶出生率、すなわち夫婦間の意図的な出生抑制であった。子供をもつことの価値が減退したのに対して、子供をもつことに財政的にも、心理的にも負担が増大しているのである。