ヘッジファンド
浜田和幸著一九九七年五月、タイのバーツに始まった通貨危機は、またたく間にマレーシア、インドネシア、フィリピン、香港、韓国にまで拡がり、アジア全域を不安に陥れた。さらに九八年八月、経済危機はロシア、中南米にまで波及し、それらの国の債務不履行を心配する声も上がり始めた。この危機の陰には「ヘッジファンド」という怪物が蠢いている。ジョージ・ソロス氏の「クォンタム・ファンド」、ジュリアン・ロバートソン氏の「タイガー・ファンド」、ルイス・ベーコン氏の「ムーア・キャピタル・マネージメント」などが有名である。
今回の通貨危機でアジア市場から一兆ドルが闇に消えたといわれている。アジア通貨への攻撃は二年以上の準備期間を経て実行に移された。一九九五年ころから、ソロス氏を始めとする集団は、超低金利の日本から円を借りまくった。その円でドルを調達し、高利回りのアジアやロシアの市場に投資してまわった。このマネーゲームのリスクを回避するために、ソロス氏らは日本やタイなど各国で国債を買い進めた。その際、円を「売り待ち」し、タイのバーツを「買い待ち」するポジションを組んだ。彼らの読みは、日本の低金利政策は変わらない。そうなれば、「円安ドル高」局面が一層進行し、彼らの投資ポジションを強化することになる。彼らのゲームは思惑通りに進み円は下落し、ドルは高騰を続けた。九七年五月を迎え、「日本が二年ぶりに金利を引き上げるらしい」とのウワサが流れ始め、市場関係者は円高を予想し、他のアジア通貨を売り円買いに走った。その最初の波に飲まれたのがタイのバーツであった。ヘッジファンドの恐ろしいところは、その起爆剤的役割にある。特に、ソロス氏やロバートソン氏ら実績のあるファンドの動きは、大手の金融機関や投機集団がたちどころに嗅ぎつけて、後追いをし、アジアの通貨も株式もたちまち暴落したわけである。
一九九八年二月、スイスのダボスで開かれた国際会議の場を利用して、ヨーロッパの政治、金融界のトップが秘密の会合を持った。ソロス氏が、この会合で得られたコンセンサスを語っている。「われわれはアジアの通貨危機を予期していた。ただし、今回の金融危機でアジアの金融システムがすべて崩壊するようなことはありえない。これから先、第二のアジアの通貨不安のドラマが始まる。その時、香港がドルとのペック制を維持できなければ、アジアの危機は本格化するであろう。ヨーロッパにとっては、アジアの通貨危機はひとつ教訓を提示してくれたものと受けとめている。即ち、ヨーロッパの安定を確保するには、新しい通貨『ユーロ』のもとで安定した市場を形成する必要がある、という教えである。今のところ、ユーロの先行きは極めて明るい」。
一九九八年現在、世界のデリバティブ市場は150兆ドルにまで膨張している。この金額は世界のGDPの合計の四倍近い大きさである。デリバティブ取引は規模が大きいので失敗するとあっという間に数百億ドルの損出が発生してしまう。ヘッジファンドは借入金を担保にテコを働かせて、最終的に自己資金を五十倍、百倍も上回る投資を行っている。ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)は、ロシア経済の破綻を想定できず、三十億ドルの損出で行き詰まってしまった。デリバティブはリターンも大きいが、リスクも大きいビジネスなのだ。アメリカの金融専門家の間でも、「日本の銀行も不良債権の穴埋めをしようと、慣れないデリバティブやヘッジファンドへの投資をした結果、LTCMと同じ程度の損失を被っているはずだ」と推察されている。
ソロス氏が今後のターゲットにしている市場は日本と中国であり、日本と中国の対立を煽ることで、再び大儲けのチャンスを狙っている。とするならば、日本と中国は金融戦略の面でパートナーシップを構築すべき時だ。われわれはヘッジファンドの「投機の誘惑」に負けない、実体経済の復旧に邁進すべきだ。
ジョージ・ソロスの発言
時期 | 場所 | 内容 | コメント |
1992年 12月19日 |
ガーディアン | 確かに、投機的な行動には否定的な結果がついて回る。しかし、そんなことを考えていたのでは何もできない。自分の頭からは否定的な物の考えは追い出さねばならない。もし、倫理や道徳観に引きずられ、ある行動を取らないようなことがあれば、自分は優秀な投機家とは言われないだろう。ポンド危機を利用して利益を上げたことについても、私は少しも悪いことをしたとは思っていない。私は英国の通貨を助けるために投機に走っているわけではない。英国に打撃を与えようと思って投機をしているわけでもない。私が投機に夢中になっているのは、お金を儲けるためなんだよ。 | 金儲けに、下手な倫理観やモラルは不要 |
1995年 9月12日 |
ザ・タイムズ | 私は他人が決めたルールの中で行動している。もし、そのルールが上手く働かないとしたら、それは、ゲームに参加している私の責任ではない。あくまで、ルールを決めた人間に落ち度があったに過ぎない。要はわれわれ投機家が利益を上げることができるのは、抜け穴のあるようなルールに固執している政府当局のお陰なのである。 | |
1998年 4月21日 |
エコノミスト | 自分はあなたと同じくらい多くミスを犯す。ただ、自分が優れていると思う点は、その誤りを認めるところにある。それが、わが成功の秘訣だ。長年の思索の結果、私は人間の思考とは生まれながらにして誤りやすいものだ、という結論に至った。 | |
1998年 | ダボス会議での質問に答えて | アジアの通貨危機はこれからが本番だ。経済制度や社会体制に問題を抱える、日本や中国が危なくなるだろう。 | |
東南アジア諸国は“日本に学べ”と言う合い言葉を金科玉条として、ひたすら頑張り続けてきたが、欧米の先進諸国と比べるとまだまだ社会福祉や産業経済などファンダメンタルズの蓄積がたらない。 | |||
日本のリーダーに見られる使命感や道徳観の欠如、はたまた経済界の談合や癒着、更に暗黒社会との腐れ縁など、どれをとっても前近代的な“閉ざされた社会”そのものである。このような弱点を本気で正さなければ、日本は経済復権ができないどころでなく、世界から永遠に取り残されてしまうだろう。 | |||
勝てない博打はやらない。 | |||
ヘッジファンドとは未来を見据えた情報戦ゲームである。 | ソロスの基本哲学 | ||
エリザベス女王陛下の資産運用をお手伝いしている。 |